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こんな「世紀の恋」を現在成立させられる数少ない女優のひとりがオルガ・キュリレンコで、実際彼女を前にすると、「トゥ・ザ・ワンダー」よろしく、卑俗な色恋沙汰も宇宙的規模の崇高さを帯びるのだった。滅びてもなお光を送ってくる星のように死者から届くメッセージ、映画のスタントの仕事をしながら博士号取得を目指す女性大学院生と、わたしの大好物だらけの設定で期待値上がる。なのに何だか「出オチ」感が……。展開に工夫がなさ過ぎて、メリハリなくだらだら続く感じが否めず。
アンジーの演出には好感を持っていたのでこの数の星をつけるのはつらい。でも責任は演出よりも脚本にあり(とはいえ脚本もアンジーだけど)。異様に繰り返される核心の「先送り」は、サスペンスのつもりかもしれないが悪い効果しかもたらさず。ただし、ヒッチコック的倒錯の主題が突然浮上するのは意外で面白く、途端にカット割りと音楽も、いまにも殺人が起こりそうな雰囲気を漂わせはじめるのがさらに面白い。この映画は徹底的にヒッチコックをやるべきだったんじゃないだろうか。
このまま普通に「高慢と偏見」を続けてもいいんじゃないかと思えるくらいまともな演出をしているところへ、いきなりゾンビ物やら戦闘美少女物やらの要素がぶっこまれるのが原作小説同様珍妙な面白さを生み出す、という狙いなのだけど、作り手の狙いどおり愉快に思ってもらえるか、それともついて行けないと思われるかは人によって分かれそう。観る前に元ネタの『高慢と偏見』を、せめてあらすじくらいは知っておくのが吉。音楽も文芸映画と武闘映画の折衷になっているのが興味深い。
「何が起こっているのかイマイチわからんアクションシーン」を久々に見せられた(注・アクションシーンが全部そうだったわけではありません)のには閉口したが、好きなタイプの話なので個人的には楽しく観た。怪奇映画と探偵映画とアクション映画を合わせたような面白さ。現代のNYに魔術の世界が潜んでいるという設定がそれなりに説得力をもって提示され、虫やら石やらの道具立てが、ほとんど説明なしに次々登場するのもいい。しかしイライジャ・ウッドはどこへ向かっているのか。
いずこもシニアの映画観客が多いせいで、巨匠トロナトーレもまた、億光年彼方の星を研究している老天文学者J・アイアンズが自分の死後、愛し合った女子学生(オルガ・キュリレンコが力演)にパソコンやビデオ撮影など、最新の通信技術を駆使してメッセージを送り続けるという、奇想天外な、映画ならではの物語を作った。エンニオ・モリコーネの音楽とエディンバラやイタリア湖水地方の気分を楽しみながら、シニアの観客は満足するだろうが、若いひとの感性にはどうか知りたいものだ。
70年代、南仏の避暑地へアメリカ人小説家夫妻がやってくる。風景はいいし、周りの人たちもやさしいのに、夫のブラッド・ピットは独りで酒ばかり飲み、監督も兼ねる元ダンサーのアンジェリーナ・ジョリー・ピットはいつも暗い顔をしていて、見ている方もうんざり。夫婦はホテルの部屋の穴から隣室の「のぞき」をするのだが、その場面もエロチックではなくて、単調。やがてヒロインの「女の哀しみ」が唐突に表明されて、男はそのことを小説に書く。だが女の心はそれでおさまるのか。
ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』の時代を舞台にして画面は文芸映画のタッチ。そこへゾンビが登場し、女性による刀剣のアクションまで混入して、実に目まぐるしい。映画的好奇心は高まるものの、一体どうなることかとも思う。その間に古典的な男女の物語とヴィクトリア朝の階級制度も描かれていく。やがてゾンビたちが産業革命の陰で貧困と病いに苦しむ、差別された人々の群に見えてくる。娯楽映画をやろうとしながらも作家たちはそこまで計算しているのかと気味わるくなった。
ポプコーンを口にする子連れの客の隣席で、「シン・ゴジラ」を見た翌日、試写に行ったので、ひどくマニア向けの映画だという気がした。ジュリー・バーゴフの美術が、魔女の巣食う大樹や、ニューヨークの街並みを眼下に薬草の茂る部屋、無気味な監獄など、絶品。ジュリー・エンゲルブレヒトの魔女の女王の顔も怖い。80年代にエリカ・ジョングとジョセフ・A・スミスの絵本『魔女たち』がよく読まれたものだけれど、この映画も相当にペダンチックなので、カルトなファン向きである。
死ぬのは仕方ないが、存命しているかのようにメールだ手紙だDVDを届けてはヒロインの心をかき乱すJ・アイアンズの人格を疑う。そうする理由や死後発送システムの詳細がわかったようなわからないようなまま終わるが、当のヒロインはいたく感激していたので、これで良いのだろう。とりあえず背景はあるのだが彼女が天文学生にしてガチな撮影をこなすスタント・ウーマンだったり、スタント仲間が情報局(MI5かSIS?)の知人がいると口走ったりなど、そうした奇妙な部分は魅力。
ブラピ&アンジーが新婚旅行で訪れたマルタ島で、夫婦一緒に映画を撮る。ロマンチックに聞こえるが、こうした他人の思い出作りに付き合わされていい思いをした例がない。で、今回もそうだった。もうダメっぽい夫婦が隣室の若いカップルを覗くだけで2時間。ここで再び燃えてアレコレするとか、ふたりをブラピの前妻ジェニファー・アニストンがさらに覗くみたいな展開があればいいのだが。ブラピに離婚申し立てをしたアンジーだが、その布石や前兆みたいな作品だと考えれば筋が合う。
乙女のきらめき、恋のときめき、女性の尊厳といった『高慢と偏見』の最重要テーマを薄めることなく、しっかとゾンビ・ムービーと融合させているのはさすが。ま、映画以前に原作が巧みなのだろうが……。しかも、おちゃらけたノリで撮ろうとしていない姿勢もいい。ただし、少林寺拳法や日本刀をフィーチャーしているわりには、それがイイ感じで炸裂していないのが少し残念なところ。コルセットを締め上げながら、美脚のあちこちにナイフを仕込むリリー・ジェームズにはしびれた。
大失敗に終わった「リディック」が証明したように、ヴィン・ディーゼルはコスチューム系やファンタジー系に寄せた作品とは相性が悪い。やはり今作もしっくりきておらず、むやみに大きい剣を背負っていたり、振り回している姿は違和感バリバリ。だが、ゴツいアストンマーチンをブッ飛ばし、ショットガンをブッ放すという〝彼らしい姿〟が出てくると、画面が締まってくるし、ノリも良くなってくる。魔女と人間が共存する世界の設定も細かく決められているが、その面白さもいまいち伝わらず。