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金に踊って踊らされ……。「ウシジマくん」シリーズの面白さは、現実を映し鏡にした金を巡る人間模様で、キレイごとは一切なし、何より闇金〝カウカウファイナンス〟の社長ウシジマのブレない姿勢が小気味いい。演じる山田孝之の個々の事情などまったく関知しないビジネスライクな冷酷ぶり。闇金に駆け込んでくる人たちが、欲に舞い上がって足元を見ない人ばかりで、そのツケで大怪我をするのも、反面教師的で納得できる。最後の最後に仕掛けるウシジマの大岡裁き(!?)は今回もスカッ。
原作者であるモデルの女性のことはまったく知らないが、志田未来が演じるヒロインの押しつけがましくも騒々しいキャラクターは、お節介女のサンプルみたい。それで純愛と言われても、出そうもない涙が更に奥に引っ込んだり。ま、素直に観れば、難病で半ば人生を閉ざしてしまっている若い男を献身的に支えた主人公の美談であることは間違いないのだろうが、逆にヒロインの強引さに男が絡め取られたような印象も。ピエロは一種の自虐キャラ。独りよがりの笑顔と善意にウンザリする。
アングラ演劇が盛んだった70年代前後は、時代を挑発する活動や各劇団同士のぶつかり合いだけではなく、劇団内での色恋沙汰もハンパではなかったと聞くが、女だけの劇団のバックステージふうのこの作品、その色恋沙汰をメインにしていて、描写がまた、生々しく大胆。何やら自らの原作を映画化した江本純子は、自分好みの恋人を探すために劇団を立ち上げ、オーディションをしたのではと勘繰りたくなるほど。そういった女同士の関係は面白いが、劇中の公演まで70年代ふうとはガクッ。
三姉妹も、亡くなった祖母も、生きていた母親も、母娘のいささか古めかしいメロドラマを運ぶための操り人形のようで、どのキャラクターも、表面的。特に娘たちの回想で描かれる母親の理不尽な姿。新旧の女優たちがこれだけ顔を揃えているのに、誰一人、強い印象を残さないのも、キャラが形だけだからだ。娘たちが母親不在で育った自分たちをことさら卑下するようなエピソードも、だから取って付けたよう。そして「カノン」というタイトル。意味はあるのだが、あまり観る気には……。
惜しい出来、とでも言うべきか。もっと面白くなるはずなのにちょっと芯をハズしているような。それはおそらく映画「怒り」に続いて、水澤紳吾は素晴らしかった、と再び書きたくなることとも関係ある。更に言えば本作は脇役であればあるほどそいつに場をさらう存在感があり、逆に中心的な人物には観る甲斐がないということになっている。端役のほうこそが描こうとする世界にシンクロし、それが出来ない製作側は無意識的な存在である俳優らに救われている。すぐに続く次作に期待……。
前回はこのコーナーを四年やっていることの副作用で、難病ものへの飽食で毒を吐いたが、本作で描かれる腎臓の病で透析が必要という状況は伯父三人(上の二人は既に亡い)と母親が糖尿である家系の自分にも高い確率で訪れる事態なので身につまされた。以後気をつけたい。粗さや型通りのところがあるが、諦念からの愛想づかしの場面は強かった。他にも婚姻届に署名しようとして手の痺れを自覚、車のなかで隠れて泣く、ピエロの付け鼻など、具体によって語る場面が良かった。
面白かった。裸体に威力があった。意外とミニマルな関係性の話なので題名が中身と合っていない気もしたが。本作が描く世界には男もペニスも存在せず必要とされもしない。私は男としてそのことを心地よく思った。そしてこの女性たちの関わり合いを、世に多く見られる、男性が支配的に存在する現場のカリカチュアとしては見たくないとも。集団での表現をやっていて生じるあの厭な感じへの解答すら求めて。それは果たされなかったが。ラストはやや甘い。だが嫌いにはなれない青春映画。
死せる多岐川裕美、生ける比嘉愛未を走らす。多岐川は冒頭でいきなり死んでいるのだが、主人公らも観客も彼女の遺骨をボリボリ嚙むように映画は展開してゆく。鈴木保奈美の荒廃老けメイクもすごい。三姉妹がトラウマを解消し、それに繋がる現在の自分の閉塞を破り、母との関係を再建するメロドラマだが、かなりミステリ的。ネタの強さと語りが勢いを持っている。「旅路 村でいちばんの首吊りの木」のようにある家族固有の謎と探偵的行動、解決というのは極めて映画的な題材だ。
マネーゲームにおいて人は「自分だけは損しない」と信じて疑わないもの。このシリーズでは、金に人生を左右される多様な人々を描いているが、観ている側もどこか他人事で「自分だけはそうならない」と信じて疑わない。現実世界でも本作と同様に、検索サイトの隅で大金獲得を謳う怪しげな広告が人々の欲望を誘惑しているというのに。この第3作では高額アフィリエイトを題材にデフレやインフレの仕組みを学べるだけでなく、金を稼ぐことのあり方に対する是非を再確認させるのも一興。
信号が青から赤に変わるファーストカット。それは横断歩道を渡る側にとって赤から青になるという場面になっている。またバス停には〝赤十字病院〟と記されているように、映画冒頭でその後の展開に対する予兆が示されている。それゆえ、危険を促す〈赤〉を、服・靴・帽子・お手玉・風船・ピエロの鼻、そして〈血〉等によって、劇中へ点在させていることも窺える。物語はその予兆に沿っているだけなのだが、本作にとって重要なのは「見方によって見え方が異なる」という点にあるのだ。
早織演じるナオコが稽古中に劇団員を怒鳴りつける場面。いっけんするとナオコが劇団員を演出しているように見えるのだが、実際に現場を演出しているのは、その向こう側にいる監督の江本純子なのである。当然の如くナオコを演じる早織には、彼女を演出する江本純子の存在がある。興味深いのは、観客が「ナオコ=早織=江本純子」という公式を導きながら観てしまう〝入れ子の構造〟が生まれている点。演じる役により全く異なる印象を与える早織には、カメレオン女優の資質を見出せる。
〈カノン進行〉は、聴けば誰もが心地いいと感じるコード進行のこと。音楽制作において安心や安定を導く仕組みとも言えるのだが、本作における家族像には不協和音が鳴り響いている。つまりタイトルや音楽の引用が反定立となり、物語に調和を導こうとしているのである。また、本作で重要な役割を担う〈ひまわり〉の花言葉は「片想い」であり、母の心中を代弁させていることも窺える。母を演じた鈴木保奈美の生涯ベストと思える演技には、不協和音を安心や安定へと導く説得力を感じる。