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クリスマスの場面以後は地獄絵図というほかなく、主人公はどうすべきだったのかとかいろいろ考えさせられる。でも、この映画を支えているのは主にストーリーの面白さであって、観終わったとき全体の印象が奇妙に薄いのも確か。冒頭の事故が起こる一本道と、重要な場となる海の中道は、物語構造上重なり合っているのだと思うが、たとえば、このフォトジェニックな中道をもっと魅力的に撮ることはできなかったものか。海上を車が突っ走るって、映画として最高にすごい画のはずなのだが。
原作どおり教養ある文明人のターザンが、「ヘイトフル・エイト」から更生したみたいなサミュエル・L・ジャクソン(この役は実在の人物がモデルになっているらしい)とともに、残虐な圧政で歴史上悪名高いベルギー統治下のコンゴで冒険を繰り広げる。クライマックスはちょっと笑っちゃうくらいの壮観さ。しかし余計なお世話かもだが、今の時代にターザン映画を売ること自体が、そもそもかなりの難題なのではという気も。「ナッシュビル」等を製作したジェリー・ワイントローブの遺作。
成績優秀でおとなしいギークの黒人男子高校生が、西海岸の、犯罪発生率が高い地域で暮らしていくのがどういうことかがよくわかる映画というだけでなく、ちょっと拾いものと言っていい面白さ。「Nigga」という言葉の使い方など、アメリカ文化をある程度知らないとピンときづらいかもしれないし、実際、詳しい人なら笑いどころが増える「あるあるネタ」満載でもあるけれど、詳しくなくても、個性的な人物たちのやり取りはそれだけで楽しい。MDMAの別名には映画ファンもびっくり?
NYは猛烈に魅力のある都市だし、当然写真家もそれに惹きつけられて魅力的な作品をたくさん残すわけで、この題材で映画がつまらなかったらむしろバチあたりだと思う。次々紹介される写真にとにかく強烈な力があり、次々登場する写真家たち(少数に絞らず、多くの写真家に取材したことが、この映画の面白さの決め手)の制作姿勢も個性的で興味を惹く。彼らが走るNY市街を撮影した映像も素晴らしくいいのだが、室内に座ってもらってインタビューしているときの顔の撮り方は時々疑問。
少年時代の母の謎めいた死がトラウマとなった主人公ローラン・ラフィットが、執拗に謎を解明しようとして家族のあいだに波風を立てるミステリー。妹役のメラニー・ロランをはじめ、登場人物がキメこまかく配置されていてサスペンスフルだ。オートバイをとばし、死体処理を職業とする女性オドレイ・ダナの存在が物語をひきたてる。筆者もテレビの2時間ドラマでルイ・C・トマの『死のミストラル』を脚色したことがあるが、ノワールムーティエ島のロケなど、さすが映画のスケール。
ジョニー・ワイズミュラーのシリーズを見ては「ターザンごっこ」をしていた世代にとっては憂いある英国貴族のターザンとなると、まるで別作品だ。しかもここまでCG技術を駆使した映画を見たあとでは、声をはりあげて、真似するわけにもいかないだろう。シーンを追うごとに、CG画面はエスカレートして、野獣の群れが疾走する最終部になると、もう冗談の作り。一方、物語はシリアスで、奴隷売買やベルギー国王の愚挙を突き、クリストフ・ヴァルツの悪役など、子どもには怖すぎる。
カリフォルニア州イングルウッドの「どん底」の街で青春の日々を過ごすマルコムは90年代ヒップホップに憧れ、オタクで、そのくせハーバードに進学したいと思う。そのへんは日本の高校生と変わらず、ビルドゥングスロマンの構成になっているのだが、アメリカの貧民都市のイジメの在り方や貧富の格差がハンパではなく、観客は笑った直後に、クスリや拳銃の衝撃で緊張してしまう。フロリダの銃撃事件のあったあとの目で見ると、音楽を楽しみながらもアメリカの危機感が伝わってくる。
ストリートの写真家が次々に登場し、カメラを構えてはニューヨークのさまざまな表情を映しとる。プロであり、写真を撮ることによって金を稼ぐわけだから、観光では見られない街の表情、貧困地帯、そこに居住する薬物中毒者、ギャングまがいの不良たちが作品化されている。ニューヨークは最先端を行く街というよりも、怖い場所だという印象が残る。監督みずからが女性写真家のせいか、勇気をもって危険な対象と取り組む女性フォトグラファーの場面が丁寧。彼女たちは高齢でも饒舌だ。
家族だからこそ言いたくない、家族だからこそ訊けない、家族だからこそ隠したい。どんな家族にも、こうしたミステリーやタブーが大小かかわらず存在するはず。ゆえに登場する家族のそれぞれに共感できるし、物語にも引き込まれてしまう。語らぬ父を責めながら、自身も同じように娘と接したことに主人公が気づくサブ・ドラマも悪くない。しかし、自分だけが執着していた謎が氷解してスッキリする主人公だが、他の家族はボロボロな様子。画的には晴れやかに〆るが、彼らの今後が心配だ。
燃えるわけでもなく、萎えるわけでもない、実に「ハリポタ」シリーズのD・イェーツらしい仕上がり。アフリカを蹂躙する欧米列強の批判も盛り込んでいるが、そのわりにはコンゴの各部族のセリフがほとんど英語だったりするのは引っ掛かる。とはいえ、「007 スペクター」よりもいきいきとした悪役ぶりを見せつけるC・ヴァルツは◎。人生で初遭遇する女が、まさかのM・ロビー。ひたすら体臭を嗅ぎ、あちこちを撫でまくり、股間に顔を突っ込もうとするターザンに激しくシンパシー。
マイノリティーである黒人たちのなかで、さらなるマイノリティーとして扱われるオタク少年ふたりにレズの少女。「当然、黒人にもいるだろう」と思う彼らの境遇だが、それでも新鮮というかハッとしてしまう。ヒップホップネタがちりばめられているものの軽快な青春+犯罪ものとなっており、オタクならではの知性と人脈を駆使して危機を切り抜け、ワルどもを出し抜く展開も痛快。といった具合に楽しんでしまうわけだが、ラストで繰り出されるヘヴィな問いかけにこれまたハッとしてしまう。
登場するカメラマン15人のうち、知っている者はわずか。しかも、名前を聞いたことがある程度。それでも十五者十五様のNY観は興味深いし、それに裏打ちされた作品の数々には惹きつけられる。といいつつ、デジタルとフィルムのどちらで撮るべきか、路上で撮影する際のセキュリティー対策といった質問をぶつけるカメラマンFAQ的要素がいちばん面白く感じてしまった。パリ、ロンドン、東京でもこうした作品はできるだろうが、観たいとまでは思わない。やはり、NYにはなにかある。