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ドラマ版のことはまったく知らないが、ド派手にショーアップされた喧嘩バトルムービーで、というよりもミュージック・ビデオ仕立ての喧嘩バトルとでもいうか。この辺り、さすがEXILEとそのご一党の面々の持ち味全開で、大音響のロックに激しいアクション、スタイリッシュな映像も、パワーとスピード感がある。族ごとのファッションも奇抜で楽しい。が若者と言うにはかなりトウが立ったAKIRAのキャラが思わせぶりで、その意図も幼稚。殴り合いで仲直りというのも痛ッ!!
まるで遊びと冒険とスリルが火花を散らし合っている豪勢なカーニバルでも観ているよう。12分に及ぶというゴージャスなオープニングだけで、すでに本篇分のパワーとアクションが詰まっていて、その気前の良さに逆に恐縮する始末。私は格別「ONE PIECE」ファンではないけれども、キャラの弾け方といい、カラフルで流動的な絵といい、今回特に素晴らしい。黒岩勉の脚本も粋で、常連キャラへの目配りもみごと。ただあまり賑やかすぎて、ゴメン、途中でこちらの息が上がりそうに。
ケンとカズを演じる2人の俳優のカメラに動じない演技と表情が素晴しい。遊ぶ金ほしさではなく、それぞれのしがらみの中でまとまった金がほしい2人。ロクでもない闇仕事は、自ら蒔いた種でニッチもサッチもいかなくなるが、2人の息遣いとイラ立ちが画面からストレートに伝わってきて、その暴力も悲鳴に近い。2人をここまでみごとに描き出した小路監督の手腕に拍手を送りたいが、遅まきながらYouTubeで、本作のもとになった11年制作の短篇を観て、ワッ、短篇のほうがもっと凄いと。
〝夢二〟をナルシストとして描くのは作り手側の自由だが、この作品の場合、夢二以上に監督自身がナルシストで、自分の演出に妙に溺れているのには困った。しかも描写が形式的で、場面と台詞はあっても、一つの流れ、一つのドラマにつながらない。夢二の断片、夢二が関わる女たちの断片があるだけなのだ。人物も場面も限定されているから、イメージに余裕がないのかもしれないが、夢二の何を描きたいのかも不明では、摑みどころがない。シネスコ画面も意味ないような。
EXILEメンツのいままでの映画出演は所詮借りてきた猫。彼らの本来の姿やパフォーマンスで見せるイメージに近い、いわばEXILEのEXILEによるEXILEのための映画が本作だと理解。苦手なタイプの人々の大挙にメゲそうになるが、面白く、もう一度観たいほど。話は雑だがやたらカッコつけるところと、キャラごとのアクションの描き分けが良い。特にパルクールは目を惹く。邦画ヤンキーものとリュック・ベッソン製作「アルティメット」シリーズのハイブリッドを夢見させる。
原作もアニメも観たことなかった。初「ONE PIECE」。女性キャラの乳の大きさに驚く。ドゥルーズは『シネマ2』で、〝労働者が経営者におかまをほられているのなら、それを見せなければならないのであって、「隠喩化」してはならない〟とゴダール映画に見られる〝字義性〟を評価するが、本作の、黄金を操る能力がある人物が人々に金粉を振りかけてそれによって人々を支配するというのはほとんどこれ。それを打ち破るのが熱血と友情という週刊少年ジャンプ黄金律。飽かずに観た。
低予算のなかでのツボを押さえたエンタメぶり。暴力と、いま現在確実に存在しそうなのにメジャーな映画にあまり出てこない人々を描いたことで、時期的に「ディストラクション・ベイビーズ」「孤高の遠吠」と比較されることも多いだろうが、そう並べた場合に最も意識的に構成して娯楽性を狙っているのは本作だろう。ある種の韓国映画ではちゃんと出来ていて、多くの日本映画に出来ていなかったことが出来ている。観るべし。そして本作の監督、スタッフ、キャストに更なる機会を。
こういう準時代劇はよほど美術を突き詰めないかぎりつくり手も観客も、なにか見た目が薄いのではないかという思いを拭えないが(これをクリア出来てるのは清順「夢二」)、本作は常に前景と後景に人物や物をかぶせるように配置して画面に変化をつけた。竹久夢二映画は意外と多い。夢二と女性たちとの関係になにか、劇の核になるものが感じられるからだろうか。本作では妻のたまきを演じた黒谷友香の物狂いの場面が凄い。しかし昨今多いラブシーンの際の乳首ガードはもはや異常。
本作は、基本的に〈アイドル映画〉の文脈で語らなければならない。そのため、何十人ものキャラクターに各々の見せ場がある。そんな中でも最大の見せ場は、映画中盤における乱闘場面。限られたスケジュールの中で、大人数のキャストにスタントを負わせ、物量作戦による同時多発のアクションを実践させたアクション監督・大内貴仁の功績は大きい。またグラフィティアートが描かれたコンテナを積み上げた空間でアクションをさせることにより、映像内情報量がさらに増しているのも一興。
注目すべきは、タイトルにもある〈金〉の表現である。舞台となる絢爛豪華な黄金船〝グラン・テゾーロ〟は、あらゆる部分が〈金〉で出来ているという設定。そのため、光の明暗や反射はもちろん、陰影においても観客が〈金〉だと判るような色彩設定が為されている。また本作には、日本のカジノ構想に対する或る種の回答がある。メインターゲットである少年少女たちに対して、その是非をサブリミナル的に訴え、彼らが都市計画のあり方を将来考える折のヒントに成り得るのではないか。
ケンとカズの暮らす〈世界〉を構築させるためか、本作には余計な人物がフレーム内に映り込まない。映り込まないから、その〈世界〉が閉じているように感じる。それは〈半径5メートルの世界〉という自主映画への揶揄とは異なる。閉じているからこそ閉塞感があり、より広がりのある〈世界〉に飛び出すための動機となる。多用されるクロースアップも、その効果を生むためだ。そしてカトウシンスケと毎熊克哉の面構えは、映画に人気スターが必要ないのではないか? とも思わせるに至る。
本作がシネマスコープサイズで撮影されている所為、それは夢二とふたりの女性との関係性を視覚化させる点にある。例えば、関係性が密接になるにつれて、ふたりの姿は横長の画面の中で実際に〈距離〉が縮まり、視覚的な狭さを感じさせている。また多くのショットが〈手前〉と〈奥〉を意識して撮影され、そのことは〝もうひとりの自分〟を映し出す〈鏡〉の多用にも表れている。望遠レンズは被写体を陽炎のように映し出し、それは幻のようにみえる。夢二が漂泊者といわれる由縁である。