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選挙の年に米国で増えるキリスト教宣伝映画の一本(前々号もこんなこと言ってましたね)だが、ラストのモンタージュ・シークエンスの政治的メッセージの露骨さにはいくらなんでも引く。そのうえ、話がぺらぺらなだけでなく構成もずたずた。ほかの映画とは明らかに「別の種類の商品」なのだから、こんなふうに並べて星をつけられるのは不本意なのではないかと気の毒にさえなってくる。ダブルダッチの演技が見られるのは面白かったが、これだってもう少し撮り方というものがあるだろう。
いつになったら事件が起きるのかと退屈しはじめたところでようやく登場する巨大宇宙船。この登場シーンのイマジネーションはちょっといい。そこからが大スペクタクルのディザスター・ムービーになるけれど、中盤からはまた転調して、ちょっと懐かしい感じのする(ハードではない)SF展開に。アメリカ映画の伝統芸と言える「気のいいおっさん」「豪快なおっさん」がいろいろ出てくるのが楽しく、彼らをもっと見たくなる。それにしても、丸いものがしゃべるとなぜあんなに可愛いのか。
「10人の泥棒たち」「群盗」「国際市場で逢いましょう」等、近年の韓国映画で面白かった諸作品のスタッフ・キャストが総集結。日本人役を必ずしも日本語が上手ではない俳優が演じているせいもあって、リアルな歴史物というより冒険スリラーの色彩が濃い。途中の語りが不必要にわかりにくいのが難だけど、各場面を華やかに見せる工夫がこらされていて、何より美術が素晴らしい。イ・ジョンジェは60代男性の肉体を完璧に作り上げ、チョン・ジヒョンとハ・ジョンウは無類のかっこよさ。
10代にしてすでに完成されたジャズ・ヴォーカリストだった少女は、老成した魂の持ち主でもあった。彼女が求めたのは純粋に音楽と向き合うことだけであり、成功は分かちがたく破滅と結びついていく。膨大なプライヴェート映像からは、彼女を救えなかった親友たちの悲痛な思いも伝わってくる。あそこまで壮絶な人生ではなかったにせよ、何やらビリー・ホリデイのことも連想させられた。そして全篇を貫くエイミーの歌詞と歌声がひたすら素晴らしく、最良のミュージカル映画でさえある。
日本で連続公開される、ハリウッド製クリスチャン映画の一本だが、かつてのセシル・B・デミル「十戒」に代表されるような大作然とした装いのないのが現代的。冒頭から黒人中産階級の生活ぶりが描かれていくので、そのリアリズムを楽しんでいると、突如、サラリーマンの夫が会社の金を使い込み、浮気をしかける。妻は動揺するが、クリスチャンの老婦人が登場。「祈るときには、自分の奥まった部屋に入り、隠れた所におられる父に祈れ」とさとす。祈りと縄跳び競争がクライマックス。
ビル・クリントンが絶賛した前作からもう20年も経過し、こんどはヒラリーが初の女性大統領になることを想定してアメリカ主導のエイリアン対決ドラマを作る商魂はさすが。相変わらず大都市破壊の映像が繰り返されるのだが、そこに居住する人たちの痛みは伝わらなくて、軍事エリートたちがCG技術の進歩に支えられ、まるでオモチャを操作するように、新しい機械を使って宇宙空間を飛び回る。エイリアンが女王蜂のごとく君臨するというので、期待したけれど、官能的ではなかった。
安彦良和の劇画『虹色のトロツキー』や『天の血脈』が刊行されると、解説とともに読み、日本映画ではやれないスケールだと思っていた。その点、この映画の京城三越の舞台セットの美術など見事なもの。韓国独立軍の狙撃手アン・オギュンがメガネをかけてから獲物を狙う演技が哀れで感情移入してしまうが、ターゲットとなる朝鮮の悪徳資本家と日本の高級官僚たちが例のごとくパターンで退屈。「まさか朝鮮が独立するとは思わなかった」と呟く裏切り者ヨム・ソクチンのリアリティがほしい。
エイミーは私小説作家のように、現実の生活を歌い上げる。開けっ広げな性格のせいで私的な撮影も自由にさせていたらしく、映像資料の多いことには驚く。しかし編集段階で監督の好みが強く働き、彼女の父親は休養中のエイミーのところへ、テレビの撮影クルーを連れて現れたり、無理な仕事を入れたりする悪役に見え、クスリへの誘惑者だった、アナーキーなブレイク・フィールダーとの短い結婚生活が、エイミーの愛と幸せの時代だったように映る。トニー・ベネットと歌うところがいい。
どんな障害も苦悩も、それらに負けませんみたいなことを書いたメモをベタベタと貼った納戸で神に祈っていればオール・クリア。その問題が人そのものであったり、人が起こしたものならば、神でなくて人が対処すべきだと考える自分には噴飯もの。結構な悪事を働く主人公の夫が信心深くなったことで許されたりするのだが、これって神の名のもとにならばなにをしてもいいと言っているようで怖い。観終わった後に「エクソシスト」「オーメン」両シリーズで〝お目々直し〟をしたくなった。
エメリッヒ監督作のディザスター・シーンを選り抜いたベスト盤といったところ。前作は丁寧とはいえないまでも宇宙人襲来までのプロセス、人物の相関や背景も描かれていたが、今回はそういったドラマ的要素が彼史上最薄ではないか? でも、それを求める者は皆無ゆえOK。そんななかでも目を引くのが、前作で宇宙人の腹話術人形となったロン毛博士がゲイ・キャラになっていた点。恋人と宇宙人に挑みながら愛と絆を深める姿に、自身もゲイであるエメリッヒの想いみたいなものを感じた。
舞台は、日本統治下にあった1930年代のソウルや、上海。その時代と場所が放っていたのであろうデカダンでカオティックでエキゾチックな空気感が作用するのか、女はひときわ美しく凛としており、男たちはとにかく強く、どいつもこいつもイイ顔で、いくら見得を切ってもさまになってしまう。そしてド派手な銃撃戦で生じる火花は妖しく、彼らがまとうコートの翻る裾にまで見惚れてしまう。バリバリのアクションであることは間違いないが、どうしても〝活劇〟と呼びたくなる仕上がり。
天才でセンシティブなアーティストにありがちというか、非凡な人たちにおける平凡な破滅劇ではある。しかし、こうした故人のドキュメントはどうしてもその死がクライマックスとなり、不謹慎なスリルとカウントダウンが生じるので見入ってしまう。さらには、「どう死ぬのよ?」「いつ死ぬのよ?」とまで思ってしまう。だが、ここでエイミーを死に追い詰めた一因でもあるパパラッチとその報道に夢中になった民衆と根性が同期していることに気付いてハッとする。そんな監督の狙いに感嘆。