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サッカー映画はつねにサッカーに敗北する。ボールと芝生と二本足だけで織りなされてきた美しき即興芸術の粋を、ハリウッドがいくら高度な映像技術で再現/拡張しても、得てして徒労に終わる。敗北の自覚を前提とした時、かろうじてサッカー映画は退廃を免れる。しかし本作は、ブラジル選手の妙技を潤沢な予算でスペクタクル化すれば、さぞかし楽しいだろうという素朴な期待感によって作られたようだ。評者には本作が〝慎み深い「少林サッカー」〟に留まっているように思える。
監督の前作「はじまりのうた」の源流を、監督の故郷アイルランドへ遡行してまさぐる。一九八五年、英国ニューウェイヴ全盛期のダブリン市内。高校生たちがバンドを結成する。街頭でのPV撮影やアパートでの練習など、二度と戻らない青春の時間が、作者の一人称すれすれの思い入れをもって刻まれてゆく。本作の高校生たちは評者の同世代でもあるが、ひとつ文句を言うと、一九八五年時点でデュラン・デュランを「未知数の才能」と語るのは変。その頃はもう出がらし気味だった。
ヴィム・ヴェンダースが製作総指揮をつとめたドキュ・ドラマ。一九八〇年代までは映画界の次代のエースと目されたヴェンダースも、長いスランプに悩まされてきた。そんなキャリア上の危機を再三にわたり救ったのが、芸術をめぐるドキュ・ドラマというジャンルだ。それは全盛期に作った「ニックス・ムービー」「東京画」の頃から変わらない。今回も砂漠の中の泉のごときこのジャンルで一息つきつつ、ブエノスアイレスという都市の現代史を、一組のカップルの別離を通して洞察する。
ウルグアイの首都にあるシネマテーカ。財政難と機材の老朽化による窮状を訴えるも、財団は支援停止を通告する。タイトルから察するに「ニュー・シネマ・パラダイス」調の感傷に終始するかと思いきや、さにあらず。ヴェンダース初期作のごときメランコリーを湛えつつ、力感が画面を横溢し始める。絶望的状況に置かれた主人公の耳元でJ・フォード「駅馬車」のサウンドトラックが鳴り響き、映画と人生のチューニングが、過去をかなぐり捨てながら、あざやかに更新されてゆく。
ご存じペレが初出場の世界大会で大活躍、チームを勝利に導くまでを描いて。貧乏な子ども時代から苦労してのし上がるプロセスはお約束通りの展開と演出。ペレを差別するエリート白色人種の描写が型どおりの悪役タイプなのが味気ない。が、彼らも欧州人に劣等感を持っていたと判るあたりにヒネリが。ウルグアイに逆転負けしたショックで、チーム全体で得意の個人技を封印するという内幕も面白い。最後に自国民族の誇りを謳いあげるのは、いかにも今風の感。アメリカ人の製作なのにね。
ダブリンの荒れた学校に通う少年がバンドを作る。メンバーは落ちこぼれのクセモノ揃い。ボーカルは自称モデルの野性的女子。というあたり定番だが、けっこうニヤニヤ楽しめる。家でぶらぶらしてるけど、ロックには精通の兄貴も面白いキャラ。英国に旅立ちのラストも青春映画らしく――てな具合に口当たりがよく、後味もいいけど、あまり心に刺さらない。この監督の作品(人気があるが)、どうも表面を撫でてるだけというか、もうひとつ映画の彫りが浅い気がして。さて皆さまの判定は?
アルゼンチンの伝説的ダンスペアの記録。彼らの出会いから、引退した現在までが描かれる。が、当人たちの証言はともかく、再現パートの役者たちのコメントはあまり面白くない。その現在の画面が無遠慮にカットインされて、せっかくの過去の踊りの映像が中断されるのが残念。日本における引退のダンス・シーン他、じっくり観たいところがけっこうあるのだが。タンゴ盛衰の歴史を、かの国の政治状況と重ねて描いてほしかったという欲も。十八年前の「タンゴ・バー」は良かったけどなあ。
珍しやウルグアイのシネマテークの話。無声映画の字幕解説を映写室からしたり、ラジオで上映作品の紹介をしたり、特集映画の監督をゲストに呼んだりという日常風景が、珍しかったり、わが日本と同じだったりで微笑ましい。経営危機なのもこちらと同じで、いよいよ閉館となって、傷心の主人公が大学で(ニセの)講義を。その「嘘」に託して語る映画論が沁みる。往年の名画の音楽とサウンドをバックに使用しているのもお楽しみ。映画研究者が撮った映画みたいな色気のなさもちと感じて。
サッカー界のレジェンド、ペレが、貧困の中から頭角を現していく少年時代の姿を描いたサクセス・ストーリー。サッカー・ファンでなくとも、正攻法に盛り上がるスポーツ映画として楽しめる。私は特に、幼少よりペレの身体に馴染むジンガというブラジル特有のテクニックにまつわる、文化的エピソードが面白かった。ヨーロッパに対してのブラジルという視点が生きている。最年少17歳で出場したワールドカップで、そのスタジアムを初めて踏んだペレが、観衆を悠然と見渡すショットが好きだ。
ミュージック・ビデオは80年代を席巻した。当時、洋楽にハマりたての日本の女子高生にとって、深夜のテレビで流れるそれはありがたかった。本作の監督ジョン・カーニーは、アイルランドの同世代。MV作りに勤しむバンド高校生たちを描くとは、斬新な着目だ。やたら派手なのに影も濃かった80年代。子どもと大人の世界が明確に分離していた時代でもあった。改めてファッション、ダサいなぁと思うんだけど、それすら逆手に誇らしく謳うカーニーの心意気に心打たれる。主人公の兄がいい。
アルゼンチン・タンゴはその性質上、女性ダンサーは女であることをことさら強いられるダンスではないか。男に対しての女。決してそこから逃れられない。それは相当しんどいように思うが、こうした緊張感こそが情熱的な官能の芸術を生む。マリアとフアンの半世紀に及ぶタンゴを通しての葛藤が、当人と若いダンサーとの再現によってひもとかれる。焦点は完全にマリア・ニエベスに当てられている。20世紀的かもしれないが、女性芸術家のすべてがある。壮絶で美しい生きざま。ブラボー!
6年前に製作されたウルグアイ映画。シネマテークに勤めて25年のホルヘにとって、そこは人生そのもの。が、ここ数年は観客が減り、ついに閉鎖が決まる。ホルヘの地道な仕事ぶり。シネフィルぶり。その日常が一気に奪われる。そして彼は街に出る。映画が直面している問題は、どこの国も同じなのだ。映画を観ること、見せることを仕事にしたホルヘの気持ちは私もわかる。でも本作は、彼が街に出た後半がいいと思った。ホルヘが映画と出会い直せますように。そこからきっと何かが始まる。