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前作は観ていないのだが、これはかなりの傑作だ。実話を元に云々はどうでもいいが、古典的なポルターガイスト映画のパターンをなぞりつつ、要所要所で現代ホラーらしいアイデアをかましてくれる。特に感心したのは「見える/見えない」の中間地帯を絶妙に用いたギミック。クライマックスのアレもそうだが、その前の、老人の霊に憑依された次女が水を含んで喋る場面のピンボケには思わず唸った。コワイという感覚の核心的な部分が、視覚性の限界とかかわっていることの鮮やかな証明。
前作は観ていないのだが、なかなか面白かった。ドリーが前向性健忘(?)ってのは元からある設定なんですか? 中盤以降の畳み掛けるような高速展開は、まあよくあると言えばよくある話のパターンではあるけれど、ピクサーの最先端の技術と話法の粋が極められており、安心して手に汗を握っていられる。しかし最後までさっぱりわからなかったのは、そう、突然声だけで登場するシガニー・ウィーバー! 試写室でも驚きの声と戸惑いの失笑が漏れていたが、あれは一体何だったんだろう。
非常に興味深いドキュメンタリーなのだけど、映画業界外の一般観客にどれだけ興味を持たれるかというと、それは少々疑問。だが、とにかく面白いのは確か。フランズ・アフマン自身が全編出ずっぱりで大いに語り、監督は彼の実の娘という一種の家族映画だが、語られる内容のスケールはデカい。このオランダ出身の「一介の銀行員」(本人の弁)は「映画」というビジネスを一変させたが、逆に言えば、マン・ツー・マンの小さな関係性の網が「映画」を動かしているということでもある。
近年の西欧映画に非常に多い「モジュラー型」の作品。いずれも現代的かつ普遍的な問題を体現した複数の登場人物の運命がパラレルに錯綜しながら物語られる。フックの多い場面演出と断片的な構成の妙で観客の関心を巧みに持続させてゆくが、何シーズンも続くドラマシリーズを映画の尺に畳み込んだような感じもなくはない。こういうリアルな社会的テーマって日本の劇映画ではやりにくいだろう。グザヴィエ・ドランあっての日本公開なのだろうが、僕、あんまり彼に惹かれないんですよね。
イギリスでは何百年も前に建てられた古い建築が今でも多く残っていて、現役の住居として活躍していることも少なくない。そこではその間に建物が経てきた時間や、過去に住んできた歴代の人々の歴史が刻まれていることが普通であり、今の住人はむしろ一番新顔のお客さん。ゆえに家についてくる「幽霊」に対する概念は日本のそれとは少し違うかもしれない。本作の舞台はロンドン北部エンフィールドにある家屋。そうしたイギリスの文化をふまえて観ると、ラストの一家の選択にも合点がいく。
「ファインディング・ニモ」を観たとき、健忘症のようにも見える忘れん坊のドリーの存在は衝撃だった。こんなキャラクターをメインに近い立ち位置で登場させるなんてピクサーはなんて豊かなんだろうと思った。それが今度は堂々の主役。人は肉体的にも精神的にも一人一人違う生き物であり、そこに正解はない。本作はその多様性と複雑さをより認めていこうとする現代の流れに属し、それはタコなのに7本足のハンクも然り。ハンクの驚異的な動きを表現した技術には惚れ惚れする。
映画は現場だけで出来ているわけではない。目に見える撮影やそれに関わる人たちはフィーチャーされやすいが、人は自分の想像力の及ばないことに関しては驚くほど不寛容だ。製作、現場、宣伝の間にはなかなか超えられない壁があると思うし、解決策があるのかないのかもわからない。だからオスカーの受賞スピーチで銀行マンであるフランズ・アフマンの名が読み上げられるシーンはそれだけでグッとくるものがある。監督が娘だからこそ言及できたミーハーな一面も愛らしい。
表現において宗教と死を扱うことは、必然的にある種の幻想性を孕むことになる。現実の時間の流れから数ミリ浮いたような緩やかな編集のテンポや音楽が舞台装置としていい働きをしているが、本作におけるそれらは劇中の人々の描かれ方と同様に、抗えない運命に翻弄されることに対するナルシスティックな側面も浮き彫りにさせる。そこに一役買っているのは役者として出演しているドランだ。その意味でこれはドランの映画でもあり、彼がこれを演じたがったのはとても納得できる。
霊の存在を頭から信じない者にとっては、ついて行きにくいかも知れないが、実話であると再三クレジットされている。ジェイムズ・ワン監督は、ホラー映画だが人間ドラマを描くなどという言辞を弄さず、ひたすら霊と人間の闘いを正面から描いており、それがこの作品の迫力となっている。第一作に比べ、霊魂や宗教に関する説明的冗漫さが無くなり、一層凝縮した内容だ。館の美術デザイン、音楽効果の巧みさが、どこか懐かしいこの古風でアナログタッチのホラーを盛り上げている。
ドリーの健忘症の描き方は、動きがないだけにむずかしいのではと危惧したが、明るく前向きに生きようとする彼女の可憐な姿とセリフまわしによって見事にクリアされた。両親との感動の再会から一転、疾風怒濤の追っかけ劇へ続く終盤の奇想天外ぶりはアニメの醍醐味だ。ニモもドリーも、身体障害者であり認知症患者だが、ハンデをハンデと考えない彼等の生き方やそれを皆で助ける魚達の同胞愛を、深刻でしめっぽくしないで笑いの中で描いていくのはディズニーならではだろう。
アメリカ映画に投資する者は、皆一攫千金狙いばかりと思いきや、こんな人物もいたのだ。皆が異口同音に彼はディーセントな人だと言う。上品で控えめなお人柄だ。フィルモグラフィーを見ても芸術にも娯楽にも偏らないディーセントな良心作ばかりだ。FOX社を買収した直後お縄頂戴となる悪徳プロデューサーへの融資を「友達になれない人物」という理由で拒否し銀行を首になる。その辺の事情は昨年公開の「キャノンフィルムズ爆走風雲録」にも描かれている。知られざる映画の裏話だ。
巧みに構成されたオムニバスドラマだ。空港付近のホテルを舞台に、人生の岐路に立つ四組のカップルがスリリングに描かれる。一本の映画が作れる位重いエピソードが四つも詰め込まれているので、余裕や遊びが全くなく、いささか疲れるが重厚な後味を残す。時制、場所、視点を複雑に交錯させる映画が昨今多いが、映画的技巧より判りやすく見せて欲しいと思う。X・ドラン主演の如き売り方は疑問だが、MIRACULUMの邦題を「神のゆらぎ」とした配給会社のセンスに★一つ追加。