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一九九九年から近未来の二〇二五年まで、ふたりの男に言いよられ、野心的な実業家と結婚するが、結局離婚し息子を夫にとられてしまう中国女性の女の一生ともいえる内容だが、未来の舞台はオーストラリアなので、風景が次第にひろがっていく印象があり、画面もワイドスクリーン化していくが、同時に親子間の距離もひらいてしまう。人物が列車に乗っている場面が何度かあるが、通常の映画と逆に、常に進行方向に背を向けてすわっている。未来に進みつつ想いは過去にという暗示かも。
このところディズニーの長篇アニメの進化がいちじるしい。アカデミー賞受賞の「インサイド・ヘッド」に続くこの長篇も、まず着想が斬新、脚本が見事で無駄な画面がなく、最後まではらはらさせながら、いっきに見せてしまう。動物アニメが得意のディズニーでも、なまけもののキャラクターが出るのは初めてだが、爆笑させてくれる。人種差別そのほかの問題を巧みに動物の世界に置きかえて描き、うさぎの女性警官の戦いを応援してしまう。おとなもこどもも楽しめるすばらしさだ。
「富士山の樹海は最良の死に場所」として海外で紹介されているとこの映画で初めて知った。死ぬためにアメリカからやってきた男が、樹海でさまよっている英語をしゃべる日本人の渡辺謙に出会って……という映画。ふたりの自殺志向の理由など次第に明らかになるが、やや思わせぶりすぎて、そうしたミステリアスな部分よりも、樹海では毎年何人の死者が出るのか、人命救助のシステムがどうなっているのかといった具体的な描写の部分のほうが私には興味深い。思い入れの描写がやや長すぎる。
これは私にとって切実な記憶を呼びおこす映画だ。一九八〇年代の初めに侯孝賢の映画を最初に、朝日新聞の匿名コラムで紹介したのは私だったし、楊徳昌の家で彼が結婚することになる人気歌手に紹介され、台湾映画人とは香港や日本で何度も会うことになる。また王童監督の兄は台湾最大のアニメスタジオの社長だったので、この兄弟を私は親しく交流していたなど、個人的な思い出は尽きない。いまの失われた台湾ニューシネマを、アジア以外の映画人たちはどう見ていたかがわかり刺激的。
過去、現在、未来。3つの時代から、ひとりの女性の人生と、遠く離れた場所にいる息子の成長を、洗練された構成と映像美で描く珠玉の作品。ジャ・ジャンクーの〝母〟に対する思いが濃厚に込められている。彼のミューズ、チャオ・タオがヒロインを好演。私は特に、2025年を舞台にした最終章が興味深かった。異国で育ち、ルーツが見えない自身のアイデンティティーを、母の記憶の中に探そうとする青年の渇望。生き物としての不思議。人を生へと向かわせるノスタルジーに心が沁みた。
動物たちが人間のように暮らしているズートピア。それぞれの動物のサイズを含めた姿形から性質まで、愛らしいアニメ・キャラクターでリアルに再現しながら、ひとつの世界観にそれらを投入。多様性の社会における共存をテーマにしていて、楽しめると同時にいろいろ考えさせられる。相当に実験的な試み。本質を突きすぎて怖いところもあるけど、確かにまずは己を知らないと何事も始まらないからなぁ。主役のウサギとキツネがいいコンビ。ナマケモノとマフィアのネズミが最高でした。
映画の舞台を、自殺の名所とも言われる富士の樹海にする必要はあったのだろうか。窮地に陥った男の内面的な煉獄の世界とか、あるいは単純に人里離れた森のような架空の場所ならば、男の再生の物語として楽しめたかもしれない。が、自ら飛び込んだ無念の魂さまよう場所を背景に、〝生き延びた、ラッキー!〟さながら高揚しゲームオーバーする主人公を好きになれない。もっと違う感謝の仕方はないのか。〝浮かれるな〟と、「マネー・ショート」のブラピじゃないけど言いたくなる。
台湾映画に感じるある種の懐かしさ。それは悲しみも含めた日本との歴史的な関係が一因なのだと本作を観て改めて思うが、それだけではないとも痛感する。時代を躍動的に切り取るテーマ性、映画美学の純粋な追求。80年代に胎動した台湾ニューシネマは、みずみずしい勢いをもって奇跡的な何かを生み、その精神は各国の映画人の心に根を下ろしている。日本をはじめ、世界の映画人のコメントは貴重。個々に継承した思いが、いま、国境を超えて見えないムーブメントを引き起こしている。
国破れて山河在り。中国は、中国人は、どこへゆくのか――。同時代の空気をもっとも繊細につかまえてきたジャ・ジャンクーがこの作品で差し出しているのは、このような問いだと思う。気心知れた炭鉱夫でなく、野心ある事業家との結婚を主人公がえらんだことは、経済発展を是とした中国の後戻りできない選択を暗示しているに違いなく、この明らかな寓意が未来さえも見通させる。時代をつなぐいつかの流行歌がこの上なく切ない。三世代を演じるチャオ・タオは映画に愛された俳優だ。
おどろいた。正直ちょっとなめていた。「アナ雪」や「イントゥ・ザ・ウッズ」などを通じてハッピーエンディングの発想を更新してきたディズニーが、この不寛容の時代に満を持してもってきた作品だという気がする。失言で立場をうしなう主人公がこれまでいただろうか(正しくSNS時代の反映である)。演説好きのアメリカ的な価値観が基礎にありながらも、「多様性の尊重」をまっすぐに伝えたことはすばらしいと思う。ひょっとすると「一億総活躍社会」の最良のテキストかもしれない。
ガス・ヴァン・サントはもともとカルトな趣向のある監督で、たまに変なものを撮ってくれてうれしいのだけど、この作品は一見そっち方面に見せかけたヒューマンドラマ。誰もがマコナヘイに思う、YOUはどうして日本へ? という疑問がいっこうに解決されないご都合主義的な脚本に、映画そのものが樹海のようでたいへん苦しい。こわれゆくナオミ・ワッツがすごくうまいのだけど、ダンナが非常勤講師になって収入が減る、というあまりにも切実なリアリティーに個人的に胸が痛んだ。
まちがってもノスタルジーに濡れたような作品ではない。オリヴィエ・アサイヤスやワン・ビン、黒沢清らが異口同音にいうように、このフィルムは「現代映画」を構想するための証言録なのであり、彼らは台湾ニューシネマを回顧しながら、同時にみずからの映画こそを語っている。そのことがこの作品の文体をあくまで現在形にしている。アジア映画の紹介につとめた佐藤忠男のことばを聞きながら、批評家の存在が新しい運動に息吹をあたえてきた映画史を想った。書きつづけなければならない。