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抑制された映像スタイルをも含めて「エデンより彼方に」の姉妹篇のようだが、豊饒な色彩は「エデン」よりも苛烈なくすみを帯び、キャサリンとオードリーの両ヘプバーンにも似た女ふたりは、埃っぽい幹線道路に車を走らせて因習から逃走する。それは、「男の付属物」として生きることしか女には許されなかった時代に、自分の欲するものを得ようとする、いや、自分の欲するものが何であるかを探ろうとする旅だ。D・リーンの「逢びき」かと思わせておいて、結末には感動的なひねりが。
緻密に書きこまれた会話劇(字幕翻訳の苦労がしのばれる)で、俳優陣もみな力を発揮。プレゼン前の緊迫した時間に展開される緊迫したやり取りを見ているだけで昂揚する。しかし映画全体がずっと同じリズムなのはどうなのだろう。幕間(この映画はくっきりとした三幕構成だ)に休憩が欲しくなるし、時々挟まる「キメ画」はもう少し長く見ていたい。これではまるで、会話劇では退屈されるのではと無用な心配をして、闇雲に突っ走っているかのようだ。音楽と場面との連動の面白さは出色。
たぶんアイドル映画的なものを意図していて、現在と過去とを交互に語っていくやり方も特にひねりはなく、恋愛物にも出演者たちにも興味のない観客がこれをどこまで面白がることができるかは疑問なのだけど、喜怒哀楽を強烈に押し出してくるのが韓国映画だというイメージを真っ向から裏切るかのような淡白な語り口(重要な事実の露呈がごくさりげなくなされたりする)と、現代の韓国のさまざまな地域の風景を俳優の背後につねに取りこんでいる画面には、ちょっと捨てがたい魅力がある。
グアテマラ高地の暮らしがすぐれたドキュメンタリー映画のようにとらえられ、変化に富んだ地形、緑したたる森、色彩豊かな衣裳や日常の道具類、民間伝承、果ては人物の何気ない動作に至るまで、目に映るものすべてが面白い。しかもことの推移を淡々とつづっているだけのように見せかけながら、やがて力強い物語性と強烈な問題意識が立ち現われる。主人公のマリアもその母親も、内側に熱いものを宿した火山のようであり、映画が終わったあとも噴火の予感(あるいは期待)に心が騒ぐ。
全体的にラグジュアリーで、そこはかとなくサスペンスフル。だが、極めてまっとうなラブロマンスにしてセックス云々を問わずにマイノリティーの生きづらさを描いたドラマでもある。煙草を挟んだ指、お互いの肩に添える手などなど、レズビアンにとって性的にも重要な器官ともなる指と手がひたすら艶めかしく映し出される。そんな視点で捉えられたK・ブランシェットの指が、R・マーラの乳首を愛おしく摘むショットは本当に美しい。アカデミー賞作品候補にならなかったのが解せない。
ベタに少年時代や青年時代から描かず、ジョブズ的にもコンピュータ史的にもエポックな3つの発表会だけで時制を区切る構成に唸った。そのなかで、彼の切れ者ぶりと人格破綻者ぶり、出自、人間関係、家族……といった人となりをすべて観る者に伝えてしまう語り口にさらに唸った。〝シンク・ディファレント〟と大衆にけしかけて世界を変えた男が、自身の偏狭で歪んだ部分を少しだけ変えていく物語といったところ。ジョブズに扮したM・ファスベンダーは、枯れた高橋がなりにしか見えず。。
回想場面が多いが、規模は小さくとも男女が旅をして、会話を重ね、想いを嚙み締めるノリは、なんだかR・リンクレイターの〝ビフォア3部作〟に近い感じ。切ないが前向きな展開、ベタだが共感せざるを得ない〝恋愛あるある〟描写が程よくマッチした、良き小品。1年ぶりに再会した元カレが自分のコーヒーの好みを忘れていて、ムッとするヒロイン。しかし、〝ミルクの代わりに豆乳で割ったダブルラテ〟なんて面倒なのを覚えていられる男は少ない。だから、別れたともいえるが。
雄大な火山、その灰が積もる原野、そこから吹く煙、そして古来の祭典や呪術。スピリチュアルでプリミティブな風景のなか、現代文明がもたらす沈痛な物語が淡々と進む。無垢なまま伝統や文化を守ってきたがゆえに、現代を生き抜くにはあまりに無知で弱い存在となってしまったマヤ人の姿、そこからあらゆる場面で不遇を強いられる女性の悲しみをも浮き上げる二段構えのメッセージ性と視点が巧み。とはいえ、かなり酷い目にあってもヒロインの両親はどこかあっけらかんとしている感じ。
ダグラス・サークへのオマージュ映画を撮っているトッド・ヘインズだけに、レズビアン嗜好を持つヒロインの特異な心理、行動と50年代のアメリカの描写は精緻を極め、見ごたえがある。原作者のパトリシア・ハイスミスは、奇妙な味の犯罪小説の名手として有名だが、ミステリーより普通小説の愛読者に圧倒的な支持を受けている。別名で発表した原作、どこまでが自伝的要素か興味深い。謎が多い私生活のこの作家の自叙伝が大変面白いというのでこれを期に読もうと注文してみたところだ。
30年以上のマック・ユーザーだがジョブズについては何も知らなかった。不器用な女性関係、企業内の人間関係、科学者と企業家の対立などストーリーは巧みに作られている。その結果、興味深い人間像が浮び上がるが、それは共感、感銘を覚える魅力的な人物とはいささか違う。盟友の科学者が、ジョブズに向って「人間はバイナリーではない、人格と才能は両立できる」といった言葉を吐くが、それがこの映画のテーマを語り尽くしているようだ。前妻との離婚のいきさつは説明不足。
シンガーソングライター志望の青年とアニメ作家志望の女性、二人の出会いと別れ、二人の愛した一匹の猫。青春映画にはゴマンとあったような設定だ。「等身大」という言葉を昨今よく聞くがまさにそんなオハナシだ。ファッショナブルで表層的、人気のウェブ・コミックが原作と聞けば納得。それでも、この手のドラマがあまり好きでない私を最後まで退屈させないで見せてくれたのは、イ・ジョンフンのナイーブで細心な脚本、演出だろう。都会と対照的なさびれた島のロケも印象的。
グアテマラの高地で農業を営み、迷信や呪術に従って生きる先住民マヤ人。その一家の母子の物語だ。娘は父親のいない子供を身籠る。堕胎が出来ないと知るや、娘と生まれてくる新しい命のために献身する素朴で善良な母親の存在感は圧倒的だ。大きな体軀に大地から学び取ったような生活の知恵。おおらかな女権社会で男性の影は薄い。今村昌平の映画や中上健次のオリュウノオバを思い出す。ドキュメンタリー的に描かれていくが、やがて一家は現代文明の暗部との対峙を余儀なくされる。