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モノクロ・スタンダード、加えてパートカラーと、ヴィジュアルに凝っている。それにふさわしく、蝋燭のショットや影絵を出すなど、監督の志向=嗜好は一貫している。このような画が見たいのだということがはっきりしているのだ。ただ、蝋燭の灯りは、それに反照する顔なりモノなりがあって映えるのだが、そこをいまひとつ工夫して欲しかった。物語は、かなりミニマルで、広がりに欠けるが、それを救っているのが、Vampilliaの音楽だ。それが、この閉ざされた世界を、最後に開く。
この映画、「いじめの映画」というだけで映画会社やテレビ局は扉を閉ざしたというが、それだけに監督は、撮るからには徹底してやると腹を括ったのだろう。それは、前段の小柴亮太演じるシュンが、苛めを受ける場面の半端ではないリアルさに現れている。その小柴がいい。そして父親を演じる永瀬正敏が素晴らしい。その佇まいに、息子を見殺しにした者たちへの怒りと同時に、何も出来なかった自身への怒りもない交ぜになっている。また在りし日の息子への想いに縋る富田靖子の母も。
大人の身勝手に振り回される子ども。片や母と息子、片や父と娘、双方の親が結婚したために、二人は、今日から「きょうだい」と言われ、学校では同じクラスになる。それだけでもイヤなのに、少年は義父に、少女は義母に馴染めない。そこで「離婚同盟」を結成、父母を別れさせようとするが成功しない。そうこうするうちに、二人は仲良くなるが、あることをきっかけに、少女が義母を「おかあさん」と呼ぶようになり、万事丸く収まると思いきや、またしても大人の身勝手が……この結末は渋い。
リリー・フランキー演じる盲目の貝類学者が、採ってきた貝の身を抉り出し、殻を洗う、その手の動きを通して露わになる貝の色と形。自然の造形というか、貝類もまた、なぜ、あれほど多様な形をしているのか、改めてその不思議を思う。この映画は、そのような自然の不思議を喚起しながら、それを忘れ、利用できるものは利用し尽くそうとする人間の傲岸さを、告発とは逆な、ある諦念とともに描き出す。火山が噴火したあと、橋本愛とともに歩む盲目の学者は何処へ行くのか。問いだけが残る。
漫画『ナニワ金融道』の作者青木雄二にはこの社会を乗り切り倒せ的エッセイが多いが、そのなかで、好きなことやって生きるのは成功と失敗が才能と運頼み、読みも効かぬからやめろ、みたいなことを書いている。だが私は今の世の中は安定すら低水準すぎるから皆やりたいことがあればやるべきだと思う。影絵遊びが好きな娘が照明パーソンになる。いいではないか。十七歳から好きで覚えた映写こそが結局一番自分を食わせたことだったという私には本作のその部分は他人事ではなかった。
題材が良い。価値があるかどうか、感動を誘うかどうかなどは観るひと個々に違うだろうが、実際の事件と原作に既にある内容が、まずはとにかく興味深い。三十歳の小出恵介が平然と中学生を演じるのは異様だが、私は「ソロモンの偽証」の年少役者勢揃いのリアルより本作のムチャぶりに、大人でも対処しがたい事態の深刻さの象徴を感じてこちらを買う。いじめをする奴は人間のクズ、黙って見ている奴は卑怯者、という台詞があるが実際はそれこそが日本社会の構成員のほとんどだろう。
少年が赤く融けた熱い鉄にアイデンティファイしている。本作題名は子どもが自己の鉱物質の部分を鍛えあげることを示すがファーストシーンが全く同じなので筆者は思わずシュワちゃん映画「コナン・ザ・グレート」を連想。有史以前の英雄コナンは鉄を崇拝する民族出身の孤児だ。「鉄の子」主人公少年が精神的な父と慕うスギちゃんがやたら、男は筋肉! と唱えてマッチョポーズをとるのも何か通底する。子ども映画ではなく、子ども時代を終わらせてゆく映画。悲しいことだが嘆かずに。
リリー・フランキーってなんかすごい。さりげないのに要所要所で存在感ある感。本作は十五年ぶりの単独主演作という紹介もされていて、つまりは「盲獣vs一寸法師」以来の単独主演だと。いい映画だったなあ、「盲獣vs一寸法師」。塚本晋也「野火」のリリー・フランキーはすごかったなあ。誰か解らず観てて、かつ何だかいい役者がいると思ったもの。あれは市川崑版だとたしか滝沢修がやった役だった。この人、もはやすごいポジションに来てる。アート映画で主演してもいいはず。
不可思議な手触り。仄かな笑いあり、ピュアな初恋あり、核として貫かれる音楽あり、淡きエロスあり……。そして、究極のところ日本版「ぼくのエリ」とも呼びたいテーマもあり。「Dressing Up」の安川有果、「春子超常現象研究所」の竹葉リサ、そしてこの酒井麻衣と、若き女性監督たちが醸すダークでありつつ軽やかな妙味に、日本映画の一縷の希望を見る。ただ、モノクロの世界がとりどりの色で煌めく瞬間から本作最大のクライマックスにかけて、終盤やや甘さに偏りすぎる気も。
2月初旬のまさに今日も、中二少年自殺の報を目にした。日々身近で起こり得るこうした現実の酷さを直視し、遺された者たちの背負う十字架の重さとその先辿り着くべく境地について、本作は丁寧に描き出す。共に十字架を背負う小出恵介と木村文乃が、中学生から一貫して現在の姿のまま演じるという特異な設定に、最初はぎょっとした。が、次第に、悲痛な状況を見つめ続ける「目」が一貫していることの意義を知る(特に終盤のサッカーシーン)。少年の弟役、葉山奨之の熱演も印象に残る。
今なお〝キューポラのある街〟として知られる川口を舞台にした、とある再婚家庭の物語。まだ打たれる前の、熱く柔らかい鉄のような子どもたちの多感かつ繊細なひとときが、温かいまなざしをもって綴られる。デビュー作「お引越し」を思い出させる母親役の田畑智子がいい。父親に扮する裵ジョンミョンのキャラも憎めないのだが、ふとこの父にとって、家庭とは何だろう? と考えてしまった。とはいえ、大人の意味不明な行動に子どもが振り回されるのは確かに世の常でもあり。子役も光る。
人類と自然を巡る終わりなき渦=螺旋。雄大な自然と、その中で生きるものたちの葛藤や欲望、さらに生と死が、貝という生き物の美しくもグロテスクな神秘と共に綴られる。静謐で聖なる空間に俗が踏み込む恐ろしさと不粋、どうにも回避できぬ摂理を思う。ラスト、リリーのシャツの白、橋本愛のワンピースの赤、二人を包む空と海の青のトリコロールに、床屋のポールを想起した。血を抜いて病を治す「しゃ血」に由来するという果てしのない螺旋。空に上る渦が残像となり、胸に沁みた。