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06年のコンゴ民主主義共和国を舞台に始まるこの活劇は、あらゆる新しい世界状況をとりこむ当今の娯楽映画の流れに乗って、またしても(と言うべきか?)多国籍企業の悪が描かれる。ショーン・ペンが動きよく演じるガンマンが、8年後には自分が狙撃される身になるときの舞台はバルセロナで、映画だから闘牛も出てくるが、最後のクレジットでバルセロナ州は反闘牛の州であると説明がある。ハビエル・バルデムなど傍役陣も生き、おさだまりの結末までテンポよく引っぱってくれる。
太平洋戦争時に日本軍の捕虜となった米軍兵の実話にもとづく映画で、A・ジョリー監督の日本への配慮が感じられる。漂流中の米兵は「日本人(Japanese)は魚を生で食べるんだ」と話し、捕虜になってから初めてジャップ(Jap)と言う。捕虜収容所の日本人軍曹はRoosevelt大統領を正しくロウズヴェルトと発音する。JOAK(NHK)が捕虜を対米宣伝放送に利用する場面は、恐らく映画に初めて描かれたもので興味深い。日本での撮影は皆無だが、各収容所の雰囲気描写は悪くない。
タイトルからゾンビ養成学校(そんなものがあるとして)の映画かと思ったら、小学生たちが凶暴なゾンビと化し、おとなたちがあわてふためくというコメディーだった。イライジャ・ウッドという俳優の最高作は「ぼくの大事なコレクション」という(見ている人が少ない)ウクライナが舞台の映画だと私は思うが、この田舎の学校の臨時職員役もはまっており、まじめな悪戦苦闘ぶりがいい。過去のさまざまな映画を思わせる場面もあり、演技陣がみなどこか楽しげな気分が自然に伝わってくる。
映画のなかに韓国で人気のTVアニメ『名探偵コナン』への言及があるが、この映画のほうは『コナン』のような明るさが(一見ありそうで)欠けているように感じてしまうのは、劇中で描かれる連続殺人事件が陰惨にすぎて私にはうまく乗っていけないのと、事件の謎解きが複雑すぎるからかもしれない。逆に、この複雑さを楽しむミステリー映画好きもおいででしょう。韓国では大ヒットのようだが、日本のテレビで相棒ものになじんだ目には、ユーモアをもっとはずませて欲しかった。
ショーン・ペンが本格的アクションに初挑戦。演技派の冠に飽きたのだろうか。彼が演じる主人公は、どういう立ち位置にいるのかわかりづらい男。ペンは私生活で人道活動をしているために、この映画の出演に興味を持ったというのはホントか!?NGOの支援活動って、こんなやたらと銃をぶっ放すヤバい人もやってるの? 過剰に弾ける残忍な描写は、ヴァイオレンス・アクションとしてはハイレベル。が、結局、贖罪や哀しみの物語でもなく、ペンに都合のいいままの能天気な幕切れに呆然。
なぜこの映画の日本公開が問題視されてきたのか、観終わってみるとわからない。じわじわと心揺さぶる人間ドラマだ。何よりアンジェリーナ・ジョリーの監督力。俳優監督の域を遥かに超えている。引き出しの多さ。持久力と的確さ。静謐を保ちながら、米兵捕虜の主人公ルイの精神性を積み上げていく演出の細やかさに息を呑む。不屈のルイと、彼を痛めつける渡辺の関係性は、「戦メリ」のセリアズとヨノイのそれに似ていまいか。けれどルイは戦後も生き続けた。この事実が本作の肝だ。
給食のチキンナゲットに混入していたバイ菌がきっかけで、小学校の子どもたちが次々とゾンビ化し、教師たちを食い殺し始める。潔いくらいのB級感ゆえ、展開の破綻も憎めない。そんなバカバカしさの中にも、小学校の学級崩壊などが漏れ伝えられるいまの学校事情を、ギャグで風刺しているようなところもあり、アンタッチャブルなラインで冒険している。もっと掘り下げていたら傑作だったかも。ゾンビになってはっちゃける子どもたちはノリノリで、楽しい現場だったんじゃないかな。
殺人事件を追う硬派な推理サスペンスと、子育てにも励む恐妻家のほのぼのコメディーが絶妙にミックス。まんが喫茶店長にして推理オタクのブロガーに扮するクォン・サンウが、実に面白い味わいで、この乖離するジャンルを魅力的につなげている。相棒的存在となる切れ者刑事役のソン・ドンイルも、ひそかにお茶目でいい。刑事もののパロディーに終わらず、すべての伏線に、韓国の夫婦関係を見つめる鋭いまなざしと問いが込められていて興味深い。奥さんの肩を揉むサンウが個人的にはツボ!
主演のショーン・ペンが製作と脚本にも参加しているというから期待しないわけにはいかない。ところがこれがだめなときのピエール・モレルの映画でしかなかった! ショーンの隆々たる筋骨はすごいが、コンゴの内戦と鉱山利権は借景にすぎないし、見せ場のアクションもガッカリの一言。この映画のモレルの演出には空間のおもしろさがまったくない。さしあたりわからないことが二点。①リーアム・ニーソンではなぜいけなかったのか。②ショーン・ペンはどこへ向かっているのか。
長距離走者として将来を嘱望された主人公が東京に降り立ったのは、五輪選手としてではなく、戦争捕虜としてだった。この伝記的事実だけでグッとくるのだが、この映画がどこか奇異なのは、全篇におよぶその平板さゆえだろうか。前半部分は異様に長いし、日本人軍曹とのホモエロティックな交感の描写も深くない。疑似的な磔刑に至る受難劇としてもあまりにつつましい。しかし、出来事を特権化しないこのつつましさが、ふしぎにいい。「リベラルなイーストウッド」という語がおもわず浮かぶ。
トロマにこんな映画があったような気がしてならんが、どうあれB級映画として二流三流のできばえ。生意気なガキに手を焼いていたボンクラ教師たちの逆襲、という筋書きはよいとして(よくないが)、子どもたちを(ゾンビとはいえ)次々に殺めるのを爽快な演出で見せるのは後味がよろしくない。学園崩壊をゾンビの隠喩でやるなら、それこそトロマのようにとことんグロテスクにやらないと戯画として成立しない。製作にも一枚嚙んだイライジャ・ウッドはどこへ向かっているのか。
良質な娯楽映画。アラフォーにしてますますチャーミングなクォン・サンウと、白髪交じりの似合うソン・ドンイルの画面のおさまりが実によい。テレビ的というかキャッチーすぎる感じもするが、安心して最後まで見ていられる。どこか「殺人の追憶」を想起させる薄気味悪い事件とハードな死体描写で映画の骨格を固めつつ、小ネタやアクションをからめる演出はみごと。小型自転車(坂をのぼれない)のチェイスシーンなど、空間把握のうまい監督だと思う。シリーズ化できそうなパッケージ。