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彼女たち四人はもの欲しげに幸せを求めているのではない、とは思うが、基本これは幸せなんか求めるヤツには地獄が待っている、というコンセプト。それを自覚したり、あるいは体験したりするのが、実は「振りまわされる」男たちの方だというのも興味深い。路上で泣き崩れる人の姿を見て、いたたまれない気分になってしまった。話が脇にそれるが、人生の本当の智者はちょっとしか出てこないお姑さんなのに、その知恵を若夫婦はきちんと受け止めようとはしていないようだ。勿体ないねえ。
広河の仕事も生き方も立派なのはよく分かった。それにしちゃ星が伸びないのは「仕事も生き方」も監督の客観視の範疇から一歩も出てこない気がするからだ。ずっと広河に語らせているのに不思議な感想だが。広河の家族の件が限定的にしか話題にならないせいかな。まあそういうテーマの企画じゃないか。広河のキャリアの基盤が中東情勢におけるジャーナリストの果たすべき役割の認識であったこと。その意味は現在こそ重要視されている。私たちは、彼らのことを今でも何も知らないから。
面白いのだが、さすがに劇場で見るには物足りない。アニメ好きとしてはね。まる子ファンならこれで十分なのか。七〇年代日本が舞台ということで一時期私も原作にのめり込んだクチである。ここでも大阪芸人の場面や電話の扱いがそういう趣向。でもそれ以上じゃない。センスを感じさせるのは音楽で、最初と最後はもちろん中間部のも良い。大原櫻子ファンにはたまらないであろう。懐メロとか他に使えたらもっと良かったのかも。でも外国人が言うほど日本はたいした国じゃない、今も昔も。
韓ちゃんと言えば「ピストルオペラ」の生首デビューで有名だが着実に成長しているねえ。彼女にキスした若者はそれだけで別れたのに、彼女は「長く話した気がする」とぽつんともらしていて、何かヘンだなと思ったのだがラストシチュエーションにその齟齬が効いてくる。時間が行ったり来たりして、最初は説明的すぎるように見えたのだが、繰り返されるうちに完全に監督の術中にはまってしまった。ただ物語の時制を整理していくとクライマックスの事件は中盤で起きているのがヘンかも。
確かに30代後半の女性は、家庭があっても独身でも何かと生きづらい。いやそれを言えば、世代や性別に関係なく、誰もがどこかで無理しているのが現代人だと思う。そんな女性グループに焦点を当て、虚実皮膜ふうにたっぷり時間を費やした本作、演じる彼女たちの自然体の言動は実に大したものだと思う。けれどその言動の一方的な被害者ぶりや弁護人気どりは鼻持ちならない。彼女たちが連れ立って参加するさまざまなワークショップの場面もムダに長く、こっちの時間のことも考えてよ。
撮る人、を撮る。近年、よく見かける。当然、撮る人を撮ることによって、その撮られた作品と撮る人の関係が一体化、記録映画を撮る側としては一石二鳥的効果があるってワケになる。中でも記憶に残るのは、2015年9月に亡くなった報道写真家・福島菊次郎のドキュメンタリー。そのドキュの監督だけに、本作も世界の実情を撮り続ける広河隆一の姿勢や活動はしっかり伝わってくるが、ゴメンナサイ、戦場カメラマンと聞くと、危険な仕事と背中合わせの功名心を感じてしまったり。
テレビアニメ版はまったく見ないのに久しぶりという気がしないのが不思議。シンプルな絵とキャラクターが記憶の邪魔にならないからだろう。トゲトゲしたものやイジワルが一切ないのも、ちびまる子ちゃんの世界ならではで、ちょっとゆるめのテンポも心地よい。まる子の友だちや、外国からやってきた子どもたちのキャラの違いも面白く、大阪、京都の旅も楽しくほほえましい。終盤の灯籠流しや花火のシーンが実写以上に情感豊かなのは、絵と脚本が純真だからだ。まる子ちゃん、バンザイ!!
韓国のアイドル・グループ〝N’UEST〟と言われても、こちらにはまったく〝知らない、人たち〟。そんな彼らを、あえて目立たない役で日常の中に置き、さりげなく目立たせるという狙いは面白いと思うが、行きずりとか、すれ違いとか、場面はあってもドラマがなく、さしずめ群像スケッチでも観ているよう。靴職人役の金髪美青年など、何で心を閉ざしているのかポーズだけの印象も。そうか、等身大というのは、自分を持て余していることなのか。韓英恵だけはリアルに頑張っているが。
土着でも旅行者でもない長期逗留者的視点とでも言おうか、こんな神戸を映画で見たのは初めてだ。ワークショップや打ち上げ、朗読会のシーンになるとドキュメンタリー的に長々と撮られるが、客席とスクリーンに流れる時間が均等化され、映画の中に引きこまれそうになる。新緑の山から心地良い風が街に吹き込み、ぶっきらぼうな彼女たちの演技がみるみる輝く前半に惹かれる。助手席の女性が降りた後の座席を映し続けるだけで残存感に胸が締め付けられる映画が今、他にあるだろうか。
「早く来てれば息子は助かったのに」とパレスチナで詰られたという広河。時として暴力に例えられるカメラは、こういう場でこそ役に立つ。チェルノブイリ、福島などへも目を向け救援活動を行う広河の行動力に驚かされるが、それを饒舌に語るわけでもない。その分、彼が撮った写真が問題を語りかけてくる。言葉と写真の配分が絶妙だ。こんな強烈な男をどう映画として撮ったのかと思っていると、撮影が山崎裕なので納得。互いに感応し合うようなカメラを持つ男たちの息づかいを感じた。
前作「わたしの好きな歌」は今も繰り返し観る傑作なので期待値が高まりすぎたかも。まる子の大阪観光にお笑い好きの野口さんが帯同するとなれば濃いネタを期待したが、各国から来た同年代の子どもたちとの交流が主だけに、カウスボタン、仁鶴、寛平が登場するも顔見せ程度(芸人たちが登場するまで時代設定を忘れていたが)。この時期は寛平が唄った『ひらけ!チューリップ』がヒットして神代辰巳の同名題のロマンポルノまで作られただけに、あたしゃまる子に歌ってほしかったよ。
「サッドティー」で実証済みの群像劇に抜群の才を見せる今泉力哉だけに、透明感のある映像と共に国籍も言葉の壁もすり抜けて、二人組たちのすれ違いと邂逅を味わい深く映し出す。閉じた狭い世界を描きながら視点は広く深い。日本映画に韓国人が登場すると〈気を遣う〉か、アケスケになりがちだが、コンビニや職場にいる隣人として捉えたフラットな視点を堪能。韓国イケメン歌手を使っても淡々とした作劇が揺るがず感心したが、韓英恵が双方を接続する存在として放つ魅力が忘れ難い。