パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
珍しく「ええ話やなあ」と感心し、未来を変えるというより要するに現在をより良いものにする、というコンセプトに納得する。ただしSFとしては片手落ち、というより両手落ち。どうやって手紙(物質)を過去へ送るのか、何の納得できる説明もない。こういう突飛なシチュエーションほど仕掛け(ガジェット)とか伏線とかが必要なのに。ある朝、鞄に入ってたってのはズサンに過ぎる。二通目も無駄。それと手紙を過去に送った人にはパラレルワールドの現在は分からないので拍子抜け。
これは思わぬ拾いもの。人間なら百歳に近い老ゾウの最後の日々を真っ正直に描いて出色の出来。若い人から定年間近まで多数いる飼育員も各々個性的で楽しい。というかそれが本作最大の見どころになっている。途中から皆、そろそろ彼女が死ぬな、と了解し始めてその心の準備も見えてくる構成。日本の高齢化社会を象徴するような看護と看取りの日々、とりわけその死の瞬間に感涙必至である。倒れた時に折れてしまった牙が改めてラストに効いてくるあたり、端倪すべからざる上手さ也。
こういうほどほど感が魅力、と評価する人も多い監督だ。原爆を「人間のすることやなか」と怒る辻萬長。避けられたから運命じゃない、と小百合さん。そうだよな、とは思いつつそれだけかい、と感じる私が無責任なのか。原爆投下から三年経ってようやく現れた息子の幽霊。そのわけは最初に本人から語られるが、本当の理由は最後に分かる、という作り。ラストに歌われる、自殺した作家原民喜の詩に曲をつけた歌は確かに聴き物。小林稔侍の片腕演技とか細部にまで俳優の見どころは多い。
コメディー風味にして正解。滝藤は「はしゃぎすぎ」だが、こうじゃなきゃ映画じゃない、という気がやがてしてくるから偉い。乳がん患者(始まりは)であるお母さん広末が、病気をいわば同伴者にしながら家族と共にしぶとく生きた数年間を、笑いをまじえて描く。クライマックス、オリジナル主題歌を広末が熱唱するコンサートがとてもお得感あり。実話の映画化で、注目の脚本家(監督兼任)が旦那さんに取材して念入りに構成を整える、その最上の成果がコンサート場面に良く出た、と感心。
アンジェラ・アキの歌『手紙~拝啓十五の君へ~』をチャラッとマネしたような設定は、まあ、大目に見るとして、この6人の高校生たちの愛だか友情だかの間のびした薄っぺらさは、もう無かったこと、観なかったことにしたいほど。等身大の青春映画ならぬ、等身小の青春オママゴト。原作の少女漫画のことは知らないし知りたくもないが、簡単に人を死なせる無神経さも、幼稚な6人だけの発展性のない人間関係も小学生レベル。ヒロイン役・土屋太鳳の上ずった幼稚声がまた気色ワルー。
なんという命の重さ。飼育員の方たちが必死で支え持ち上げようとする〝春さん〟の命。アップで写される開いたままの眼は、すでに冷たい陶器のようだが、春さん、春さんと励ます声はまだまだ諦めない。64年間も天王寺動物園にいたアジア象の春さんの厳粛な命の終わり。カメラはその前年から老いが目立つ春さんの日々を追っていくが、頑固で気難しい親の世話をするように春さんに話しかける飼育員の方も感動的で、フト、命に寄り添うということばが浮かぶ。ただラストがくどすぎる。
同じ親と子でも、父親と娘、母親と息子では大違いなのだと痛感する。父系映画「父と暮せば」と対をなす母系映画「母と暮せば」。ベースにあるのはどちらも原爆に対する怒りだが、生き残った娘をテレたように励ます「父と暮せば」の亡霊父親に比べ、「母と暮せば」の亡霊息子は、まだ母親に甘え足りないとでもいうようにあれこれと母親に甘え、ダダをこねる。この辺の密なる母子関係があのラストにつながったのだろうが、息子の恋人に未来を委ねてはいるものの、それでも疑問は残る。
ブログに書かれた、がん、出産、闘病記の映画化といえば、先般「夫婦フーフー日記」が公開されたばかり、きっとこういったブログを読んで励まされる人も多いのだろうが、それをまた映画化とはイージーな気もしないではない。ま、「夫婦フーフー日記」にしろ、本作にしろ、お涙チョーダイ映画とは一線を画しているが、リスクを承知しての出産、子育て、女性の方がキモが座っているのも共通する。食に関するこだわりや情報が宗教のように押しつけがましいのにはヘキエキ。
未来から来た手紙に、これから起きる出来事が事細かに書いてあったら、何を差し置いても一気に全部読みたいはずだが、このヒロイン、やたらと他のことにかまけて読むのが遅い。心情を説明するモノローグの多用といい、漫画なら成立しても実写では一考の余地があったはず。現在と過去が交錯するが、過去を変えても平行世界で異なる未来が広がるのはいいとしても、どうやって過去に手紙が届いたのかが曖昧すぎる。しずかちゃんみたいな節回しで台詞を言う土屋太鳳の演技も乗れず。
学生時代は天王寺動物園の近くに住んでいたので、見知ったゾウの最期を感傷的に眺めたが、感動を押し付けすぎない作りは好感(音楽は湿りすぎだが)。ゾウで描く高齢化と終活という内容だが、ゾウが飼育員をランク付けしていて、下位カーストの飼育員がゾウに蹴りを入れたり、「すまんなあ、無理言うて」と、なだめたり威したりしながら〈労働〉として愛想をふりまくよう送り出す姿がいい。パンダにタイムカードを押させた『パンダコパンダ』以来の動物園で労働する動物を描いている。
市川・小津の次は黒木和雄かという感じだが、「父と暮せば」の対を意識しすぎて設定に無理を感じる。一人残された息子のもとに母の幽霊が現れる方が良かったのでは。これでは母が死んだ夫や他の息子も忘れて末っ子を溺愛する「息子と暮せば」だ。粗雑な上海のおじさんの扱いは山田映画的で絶品だが、息子と婚約者の〈遠距離恋愛〉に母が手を貸すのかと思っていると素知らぬ顔で、まるで恋人の様な面持ちで息子と過ごしている。「大霊界2」の終盤みたいなラストシーンには呆然。
直球世代としては、ヒロスエが歌うシーンがあるだけで満足。死を殊更に強調しないという当たり前の映画作法が守られていることに安心してしまう。だが、コメディシーンが弾けない。結婚に難色を示す夫側の母の過剰な演技も引っかかるが、がんの再発リスクが高まる出産を悩む妻を後押しするのが夫、実父、男性医師と男ばかりなのが釈然としない。女たちは彼女の出産をどう受け止めたのか。食をめぐる映画でもあるはずだが、画面から味、匂い、みそ汁の熱さが伝わってきたとは思えず。