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日本軍による占領下の台湾の村で起きる様々な出来事を、コミカルに描いた80年代の作品。戦時下で貧しい暮らしをする農民たちの日々の辛さを描きつつも、主人公たちのどこか抜けている性格もあり、全体にほのぼのした時間が流れていた。みんなが爆弾を恐れているのに、自分の服のことを気にかける日本兵や、主人公たちが爆発しないことを証明したくて、棒で爆弾を叩く描写などには、ハラハラしながらも思わず笑ってしまう。魚が食べられずに泣いている子どもたちの素朴さが心に残る。
少女の見ている世界がまるでドキュメンタリーのように繊細に描かれていた。音がとても印象的で、舞台となっている家の周りの空気や、家の中にたくさんの人が同時に動いている感覚が音によって表現されていた。女性たちのシャワーやトイレなどプライベートな場面がいくつかあり、そこに映っている親密さや人肌の温度みたいなものが、映画の全体に響いている。主人公の少女が、親戚の家で手持ち無沙汰になって落ち着かない様子を見ながら、私自身の子どもの頃にもあった感覚が蘇ってきた。
作曲家ラヴェルの代表曲〈ボレロ〉が生まれるまでにフォーカスした伝記映画。冒頭のたくさんの〈ボレロ〉のカバー曲のつなぎが楽しく、今に至るまで愛されてきた曲だと改めてわかる。演奏シーンが長めで贅沢な時間だったが、もう少しラヴェル独特の曲作りについて見てみたかった。クラシックの文脈だけではなく、様々な背景を基に作られたラヴェルの独自の作曲や、同時代の音楽家との交流についての言及は少なめで、生みの苦しみや私生活のウエートが高かったのが少し残念だった。
イタリアで実際に起きた誘拐事件を基にした、5時間40分もの超大作。議員、テロリスト、家族、教皇など様々な立場の視点をもって多層的に描いている。実際の多くの出来事が起こっているときにはわからないことが多いように、渦中にいる人間の感じる混乱がそのまま描かれているような臨場感があった。長い映画でありながらどのシーンもスマートに作られていて、疲労はあっても飽きることはない。一人ひとりの物語の片鱗がたくさんあって、もっと彼らを知りたかったと思うくらいだった。
ワン・トンが描く《台湾近代史三部作》の一本は日本統治時代の台湾の農村を舞台にした初期の今村昌平、渋谷実を思わせる辛辣な風刺精神がみなぎる重喜劇だ。太平洋戦争末期、疲弊した農村が、米軍が落とした一発の不発弾によって俄に活気づく。素朴で牧歌的な農村コメディが一挙に恐怖と隣り合わせのブラックな不条理劇へと変貌するさまがお見事。飛び交う片言の日本語が苦渋を誘い、村の巡査が口ずさむ軍歌〈日本陸軍〉の〽天に代わりて不義を討つ、の一節が耳にこびりついて離れない。
公衆トイレでの母娘のあけすけな会話という意表を突く導入部から、すでに不穏な気配が漂う。祖父の家で重篤な病を患う父親の誕生日を祝うために集まった大家族。その特別であるはずの一日が奇妙な居心地の悪さを抱えた7歳の少女の視点を介して、断片的な世界そのものとして提示される。ドアの向こうにたしかにいるはずの父親との再会が絶えず遅延された果てに、ささやかなクライマックスが訪れる。何かとてつもなく豊かな世界に触れたという記憶のみが揺曳する稀有な映画体験である。
〈亡き王女のためのパヴァーヌ〉をピアノトリオで聴いて興奮したことがある。劇中、ラヴェルがNYで黒人が演奏するガーシュインの〈私の彼氏〉に聴き惚れ「ジャズは単純ではない。複雑で力強く絡み合うものだ」と呟く。〈ボレロ〉の永劫に反復されるようなメロディの源泉にジャズがあったのではないかと夢想するのは愉しい。ラヴェルの生涯は母、ダンサー、愛人、家政婦と様々な女たちに囲繞されるも、そこには〈性〉が希薄で、倒錯にも似た依存関係が断片的な語り口で表出されるばかりだ。
20年前に「夜よ、こんにちは」で描いたアルド・モーロ元首相誘拐・殺害事件を340分という長尺で再話するマルコ・ベロッキオの意図は奈辺にありや。確かなことは単純な二項対立的なイデオロギーに依拠しない、真の《政治映画》の可能性が極限まで追求されていることだ。過去にフランチェスコ・ロージのような逸材を生んではいるが、ベロッキオは、もっと歴史、宗教が複雑に絡み合う人間性の深層に錘鉛をおろす壮大なフレスコ画のような映画を撮った。まさに前代未聞の試みである。
休載