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韓国映画のノワールでも湿っぽいほうの系統。負の連鎖がどんよりと重いタッチで描かれるが、脚本の展開とそれに沿った編集、音楽はいささか緩慢で、暴力描写がいたずらに長い。ソン・ジュンギの演じる悪漢はクールな姿勢を崩すことなく設定以上の奥行きに欠ける。主人公はとても賢いとは言えない選択を繰り返し自分で自分を追い詰めていくが、劣悪な家庭環境で育った少年を殊更に美化しない描き方には誠実さを感じる。彼の妹ハヤンを演じた“闇のIU”ことBIBIには演技を続けてほしい。
前作「アシスタント」と同様、キティ・グリーン監督は言語化や証明の難しい身近なハラスメントの実態を可視化させている。仮にこの映画でワーホリ女子に向けられた男たちのセリフを録音し、されたことの被害を訴えても、彼らを法的に裁くのは困難と思われる。だからこそフィクションで語ることに意義があり、脚本や演出は敢えて立証できない暴力のあり方を丁寧に探る。田舎町での住み込み労働という閉鎖的な環境と話の通じない輩に取り囲まれる絶望。その恐怖はほとんど「悪魔のいけにえ」だ。
観ることに大きな苦痛を伴う体験であったことは否定できない。だが今はこの痛みに耐えなければいけない時期なのかもしれない。小児性愛者による性加害は被害者の立場があるだけにタブー視を避けられない側面もあり、本作が実話ベースであることはさらにハードルを上げるが、フィクションの中でこそきちんと犯罪として描かれ人の目に触れることに意味がある。文壇の権威が犯罪を芸術にすり替えてきた光景のおぞましさ。それがいかに被害者の人生を破壊するか、表現が現実を救うことを切に願う。
ヒロインの自己承認欲求が物語の引き金になるというフリがあまり効いておらず、事件解決の鍵を握ると見られたライブ配信もほとんど生かされていない。オチはわりと早い段階で明かされるにもかかわらず、それが作劇の軸となっているわけでもなく、単に構成を入れ替えて流行りのツールをちりばめただけに思えてしまう。インフルエンサーとされている男子生徒の描写は薄く、なぜ彼がそれほどまでに人気を集めているのか語りが足りていない。学校の対応も記号的すぎて全体的に粗さが目立つ。
とても気合の入った映画なのはわかる。しかし、これは結局のところソン・ジュンギ演ずるチゴンのキャラクターを美しく描くための映画だったのではないか。いや、それはそれでもちろんいいのだが、本作では、彼を美しく描いた結果として、コーピングではない最悪の自傷である〈暴力〉を、最終的に肯定することになってしまっていないか。比べるものではないけれど、同じくろくでもない、やりきれない暴力の顚末を描いた邦画「ケンとカズ」は救いも希望もなかったぶん、僕には嬉しく感じられた。
どうしてこうなってしまうのかさっぱりわからない。そもそも酔って性欲の対象にからむ気持ちが僕にはまったくわからない。この映画を観ると、男たちが酔っ払いたくて酔っ払ってるわけじゃないらしいことはわかるが。旅先で怖い目にあうホラー映画を知ってるから怖くて僕は旅行にもいかない。だから文化人類学のフィールドワーカーを尊敬する。ただ、この映画のラストは想像してたのよりも面白かった。このまま主人公たちが世界中を放浪し、日本のスナックでもバイトする続篇はどうか。
人をコントロールすることで自我を補強したい人間がいる。支配されることで自我を失って「もの」になりたいと願う人もいる。その欲望は大人同士で、相手との信頼関係のもとセックスの場だけで満たすぶんには問題ないが、関係が日常を侵食してはならない。傷ついてる「子ども」は、尊敬している人に愛されて性的に支配されることで自分は何者かになれると夢みてしまう場合がある。この映画は中学生に授業で(もちろん個々のフラッシュバックへのケアは、なされつつ)観せるといいと思う。
ミステリとしては古典的だが、見せかたが新しく音楽もすばらしく、その古い筋立てで描かれてるのがポリコレ以後の、今の人間だった。その「今」とはどういう時代なのかを書くとネタバレしちゃうが、あえてちょっとだけ書くと、この青春映画はむちゃな恋愛の加害者がもつ権利意識の話だとも読める。関係ないが「ヘレディタリー 継承」主役のアレックス・ウルフが本作ではイケメンキャラなのに「ヒメアノ〜ル」や「神は見返りを求める」のムロツヨシと同じ、とぼけた顔をしていて笑った。
主人公のヨンギュはDVを受けて育ち機能不全となったアダルトチルドレン。彼が入った半グレ集団のリーダーを演じるソン・ジュンギは、カッコイイを通り越してカッコ良すぎるキャラになっている。俯瞰的に見ると彼は半グレを使役するヤクザとの折衝役だ。ヨンギュに幼い頃、父親から虐待を受けた自分を見出してひいきにすると同時に、恩義という概念を否定し、憐れみは懲罰の対象になると教える。ヤクザの命令でいかようにも動く立場と、このひいきが矛盾し、違和感や破綻を残す。
導入から無駄を省いたメインストーリーへの運びがスマートだ。女性が男性に対し薄っすら感じている恐怖が端的に描かれている。侮蔑的な言葉、目的のわからない付きまといといった悪意は、実際におおよその女性が経験したことのある気味の悪い出来事だ。それに同調する女性もいるし、抵抗を見せる女性がいるのも自然であり、どちらが良い悪いではない。同じくオーストラリアを舞台にした「荒野の千鳥足」を彷彿とさせたが、ラストの反撃は現在の女性映画によるマニフェストであろう。
まだ経験が浅く是非を判断するのが難しい未成年から、交際の同意を得たと盾に取る大人は卑劣としか言いようがない。邪悪で頭がよく回る男が、少女を相手に彼女が狭量で自分本位であるかのように言いくるめる脚本と演出は、非常にリアルゆえに気分が悪い。今でこそ小児との性交渉は厳しく処罰されるが、文化人の趣味嗜好となると特別視してしまうのは、改めて危険だと感じる。“自分は選ばれた”とのぼせてしまう少年少女への注意喚起で、本作を見せて水を差すのは有効かもしれない。
ミステリ映画として非常に珍しい形を取っている。ポッドキャストやYouTubeを使って、自己承認欲求を満たす若者たちの物語で、映像の加工なども現代的なクリシェが使われている。幼い頃から推理小説が大好きなスージー(カーシー・クレモンズ)が、行方不明のインフルエンサーを捜す序盤から、その後の謎を割っていく展開が、突然倒叙ミステリになるという風変わりな構成だ。そこからサスペンスの要素が加わり、観客にハラハラ感を与える。ラストの編集の切れ味も余韻がある。