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見ているだけで陰気な気分になる終始のぺっと薄暗い画面に、耳障りな音をなんてことないというふうに上書きする音の数々と、凝縮された不穏な世界を楽しむ。目撃者と実行者、加害者と被害者、二人だけの蟻地獄的空間と転ずる、規則正しく障害物(机)が並べられた料理教室が恐ろしく魅力的。「走ってもダメ、叫んでもダメなら、もう踊るしかないんじゃない?」と思ったぐらい、何もかものあまりの動かなさにキツくなったが、最後まで濁った虚無のままに締めくくられた。
95年生まれの私にとってこの事件は物心がついてから一番初めに鮮烈に心に残ったニュース映像の一つだ。少し大人になり、様々な犯罪事件のニュースを見るたび、女は加害者であろうが被害者であろうが、こういう好奇の対象として晒されてしまうんだ、と思った。不謹慎ながら大変面白かった。ここまでの矛盾や疑問が事実としてあるにもかかわらず、訴えを無視し再検証しないままでいることは、いち事件を超え、我々日本国民みなにもっと身近な形で、恐ろしい形として噴出するのでは。
全篇にわたるナレーションとテロップをふくむ構成に、見ているのはNHKのドラマ……という印象は拭えないが、呑気に茶番を流しているらしい今のテレビを思うと、映画は(もう一つのレビュー作品である「マミー」でも同様のことを感じたが)まだ間に合う、という気がしてくる。主に焦点が当てられるのは和田信賢の葛藤で、他のアナウンサーたちは登場時間は決して長くはないものの、それぞれの「貌」は(親切な説明もあり)強く焼きつくし、実枝子さんの物語などもスピンオフで見てみたい。
原作からそのまま飛び出してきたような、最強婆ちゃんを演じる根岸季衣の弾けっぷり! 呆気にとられるほど最悪な、しかもそこから逃げられない!という事態に立ち向かうには、兎にも角にも元気を出すことだと文字通りパワー全開、エンジン全開で推し進める痛快さ。一人の少年の通過儀礼的物語でもあり、怨霊化した少女の理由も哀しいのだが、そんな余韻は残させないとばかりにたたみかけるサービス精神。まったく納涼にはならない真夏のエンタテイメント・ホラー。
いくら男の狂気を示すためとはいえ、殺人のシーンは後味のいいものではない。しかし、その後味の悪さを呑み込むように、料理教室が不気味な空間に変貌し、人物たちが異星人のように感じられてくるのだ。そうした不穏さを象徴するのが、料理教室のすぐ横を走る電車の音と光であり、いつのまにか耳に響きだすチャイムで、それは、映画そのものが現実とのずれのなかで奏でる不協和音ともいえよう。縄のれんが揺れ、ドアが開くだけで戦慄が走るのは、黒沢清作品ならではの映画的体験だ。
このドキュメンタリー映画の興味深いところは、あえて客観的な立場を棄てているところだ。もちろん、丹念な取材を重ねつつの撮影だということは観ればわかるが、客観性にこだわるのであれば、もっと別のアプローチや撮影の仕方がありえただろう。しかし、死刑判決にいったん疑義を抱いた二村真弘監督は、その疑義を原動力に突っ走る。そして、ついには取材のために法を破る挙にまで出て、そうした自分を被写体にしてもいる。そのあやうさによる揺らぎがこの映画を「作品」にしている。
NHKらしい題材であり、記録映像をふんだんに用いていることも含めて、NHKだからこその作品でもある。さらに、国が戦時体制を突き進み、報道すらも戦意高揚の道具とされていくなかで、決断を迫られたアナウンサーたちが味わうことになった苦悩を描いている点は、いまのように報道そのものの信頼性が問われる時代にあっては貴重であり、見ごたえもある。だが、「劇場版」と銘打ちながら、再編集後も、どうにもテレビ番組的としか見えない作りのままであるのは否定できないだろう。
「貞子vs伽椰子」も撮っている白石晃士監督だけに、Jホラーをしっかり踏まえているはずだが、家にまつわる物語でありながら、その映画的な表現は「呪怨」に遠く及ばない。もちろん、この「サユリ」の場合、Jホラーとは異なる試みをしているのだろうし、実際、突如としてアクション映画のごとき展開になるあたりには痛快さも感じられるのだが、それも、凄惨でひたすら内向きの復讐劇となっていき、それでいて都合よく事件性が発覚しないというのでは、作品としての緊迫度が保ちえない。
脳内でチャイムが聞こえるという料理学校生徒の自死以後、主人公の周り、主人公自身に異変が生じる。黒沢監督おなじみの半透明の幕が、ここでは扉の内と外を意識させるチャイムや、教室の外から内に差し込む光などに敷衍され、映画内で起こる様々な異常が主人公の脳内の話なのか、現実なのかを曖昧にする。尺が短いので、その事態の意味までは手が届いていないのが物足りないが、ほんの数ショットで自身の映画時空間を立ち上げ、タマの違いを見せつけてくれる技量は流石と言えよう。
主人公は死刑囚の長男と監督自身である。関係者ながら当時小学生で半ば傍観者であった長男が、外在的な監督の視点を共有して真相探求を主導する。その過程自体の粘り強さに頭が下がるし、説得もされるが、正しさの主張だけでは映画として食い足りない気がするのも確かで、被告一家、近隣住民の人物像を掘り下げる(これが難しいのは分かる)なり、真犯人に関する新たな視点を打ち出すなりしてほしかったが、これは犯罪映画を見過ぎている人間のないものねだりばかりとは言えまい。
ポイントは二点。総力戦である戦争における市民(アナウンサー)の戦争への加担の問題。その声が人々を鼓舞してしまうとしたら、その責任は如何。第二に、情報戦として敵に、あるいは戦況を隠すため市民に流される偽ニュース。フェイクニュースが問題になる現在に反省の材料を与える。何が「事実」かは難しい話だが、主人公は上から流されてきた情報を垂れ流すのでなく、調べて話す。それが彼の言葉に力を与える。昨今の記者クラブの在り方を含め、報道とは何かを考えさせる作品。
後半になって中心になる人物すら変わってくるあたりが新機軸ということになるだろうが、それまでの前半がホラーとしてはありきたりで若干タルく見える。悪霊vs.祖母=長男チームのバトルと、サユリがいかにして悪霊と化したのかの哀話の交代。前半後半に分かれ、さらに後半も二重化して、構造が若干煩雑。バトルのロックなノリが、サユリ周りの話でスピードダウンしている。さらにサユリの陰惨な過去も挿話的な処理で、深刻な話をネタ使いされているようであまりいい気はしない。