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チンピラグループ同士の抗争を規格外の装備とチームで繰り広げるドリーム。改造車もフル出動。馬力の大きいボス車に果敢に追従し、案の定砂壁を滑り落ちていく取り巻きのバイクが痛快。男性集団の異常性と狂気、マチズモの愚かさに対して、女性一人で立ち向かう個人の闘いを体現したアニャの眼力が圧巻。白熱の走行シーンからマンパワーあふれる基地の描写まで圧倒的なカロリーの高さで、御年79歳のジョージ・ミラーが実際に現場の指揮を執り続けているとしたら、想像を絶するタフネスだ。
時代遅れのスタントマン精神にこだわる男が、愛馬チートウと自らの老いに直面しながら、ひたすら葛藤する。大規模な合戦シーン撮影の舞台裏が垣間見られるのは面白い。ところが彼の進退を左右する肝心の場面で、風を切って駆ける馬のたてがみは、チートウのそれと色も違えばそよりともなびかない。騎乗するジャッキーを正面からとらえたそのカットがこれでもかとリピートされる。ダミーを使った合成だと言わんばかりに。皮肉でないとしたら、なぜこんな杜撰な仕事をしたのか理解できない。
過激な環境テロで加害企業に一矢を報いようとする者たち。緊迫感を煽るように延々と流れ続ける音楽がかえって集中力を疲弊させる。メンバーの動機は全員の個人的な怒りや悲しみに基づき、社会活動と言うには甘く、組織的な犯行としての周到さにも欠け、未熟な寄せ集め集団の幼稚な犯罪劇になっているのが悲哀を誘う。犯人が何らかの被害者である場合、首謀者が英雄になってしまうと本質がロマンチシズムにすり替わってしまうため、リーダーのドヤ顔が散らつくラストは極めて後味がよくない。
差別や偏見が生まれる一因として「見慣れていない」ことは強く作用する。監督かつ被写体であるエラの下半身が短い容姿は多くの人にとって「きわめて稀」だと思われるが、約1時間半の上映中にエラの姿に触れ続けるだけでも認識は劇的に変わる。要は「慣れる」。四肢延長と再建手術の権威である医師との対面はハイライトで、誰かを否定したとて自分を肯定できるわけではない複雑さをエラの表情が物語る。エラの夫の視点がないことは、彼女たちの関係にとって障がいが絶対的ではない証だろうか。
見たかったものは見れたけど、見たかったもの以上のものは見れなかった(こっちのハードルが上がりすぎてしまってるのだ)。世界観がもう完成してて、次に何がおこるか最後はどうなるか、わかってるといえばわかってて、異様に魅力的な新キャラは現れない2時間半は長かった。フェミニズムも更新されていなかった。アニャ・テイラー=ジョイの目つきだけが異様で、すばらしかった。異様なものがあちこちで鈍く輝いてないとマッドマックスじゃない。9年前に仰天させられたくらい驚きたかった。
僕はジャッキー・チェン映画をまったく履修せずに来てしまった人間なので、試写で観させてもらって申し訳ないという気持ち。きっとジャッキーとともに青春があってジャッキーとともに歳をとったマニアの皆さんにはたまらん作品なのでしょう。なので僕には楽しみポイントがわからなかったのですが、これは重大なネタバレですけどラストちょっと前の老いたるジャッキーがした判断は、今後のアクション映画の作りかたの変質と重ねられており、その部分にはさすがに感慨をもたざるをえない。
スーパー戦隊み、と言って不謹慎なら「七人の侍」みがあった。脚本に凝りすぎずバババッと書いちゃって撮った感じも、低予算だから撮りかたをいろいろ工夫してるのも、終わりかたも、めちゃめちゃ良い。こんな話をこんな面白い映画にされては国家権力や大企業は困っちゃうねえ。こっちとしてはアジア人を一人入れといてくれると(金持ち坊ちゃんを中国か韓国か台湾か日本からの留学生にするとか?)さらにもっと楽しめたかもと思ったけど、そこまでやらんでもいいか。とにかく面白かった!
エラ監督は美人だ(とジャッジしてるんだからこの短評はルッキズムという差別である)が映画ではそこは言及されない。若い美女でありつつ障がい者でもあることはそれはそれで大変だろう。ところでメガネをかけなければ外出できない我々は障がい者だが、メガネやコンタクトという補助具が普及しまくったから生きることができてる。治療したほうが幸せだという医療モデルと、矯正するのではなく当人の自己受容の尊厳を大切にするべきとの考えの、人生を賭けた対立が凄い。いい映画でした。
端的に言うと、前作のフェミニズムに的を絞った構成と、シャーリーズ・セロンが完璧すぎて、それを超えられていない。前日譚はまだ幼女のフュリオサがただ籠に囚われ、男たちの決戦の枠外に置かれてしまう。アニャ・テイラー=ジョイは若手俳優では実力派だが、線が細くさすがにフュリオサの強靭さの再現には至っていない。ジョーの部隊の血沸き肉躍る太鼓隊なども、まだこの時期は派手さが足りない。しかしバイカー集団のディメンタス将軍を演じたクリス・ヘムズワースは儲け役。
薄情なようだが、あまりジャッキーに思い入れを持たずに来てしまったので、怪我が原因で一線を退いた、スタントマンの主人公という哀れな姿は冷静に観てしまった。本作のジャッキー本人を髣髴とさせる、高齢化の憐憫をベースに立ち上げたような企画も受け止めきれない。人間は老いを避け難く、ユーモアも時代とともに変遷を辿っていくので、馬の器用な動きで笑いを取ろうとされても困る。以前にドキュメンタリー映画があったが、怪我を負ったスタントマンの実話のほうが興味を覚える。
破片のような個々の人々が、ある時点で集合し力が結実して何かが起こる。それがテロリズムであることが、この計画に携わる者たちと、石油会社による環境汚染の関係性で明らかになっていく。計画はスマートで、若者たちは危険だが練りに練った計画が展開する。不毛に終わらず、過激すぎない目的を掲げた正義感に基づくテロリズム。こういったテロを描いた映画が少ないと気づかされ、個々の若者たちの役割分担が鮮やかな脚本に唸る。率先した自己犠牲など身を切る思いに揺さぶられた。
生まれつき、両足に障がいがあるエラ・グレンディニング監督。特徴的な障がいの中でも、片足だけの症状が多く、両足という例は他に会ったことがないという。障がいが世界でも自分だけというのはなんと不安なことか。その合間に映るエラの私生活は、恋人と生活をエンジョイする積極性が印象深い。手術による治療も進んでいるが、幼児期から何度も手術をし、部分的な切断なども余儀なくされる。自身で判断がつかぬ年齢からの治療や、健常者と同じが良いことなのかを問いかける映画だ。