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自分が起こした事件を挑発的に切り取られ、誹謗中傷に晒された女。事実のねじ曲げなどのメディア批判を含みながら、世間の存在はあくまでも場外に、物語はキャメラがあちらこちらに配置された灰色の迷路のような囲われた場所で、個人の「生き直し」が展開される。二転三転したのちに空はひらけてゆき、高揚感ある青春映画の様相をみせるも、ギミック倒しで強引な印象が拭えず。映画監督の自己弁護にも聞こえる台詞も悪目立ち。
棄民亡国、の四文字がぴったりな国だ。三上監督もおっしゃる通り、喜怒哀楽の真ん中の二文字、怒と哀ばかりが胸を占める。「こうやって、私たちを疲れさせようとしている」……住民の方々の反対、抵抗運動のあと、淡々と画面に現れる数年後の数字。繰り返される叫びの圧殺。だが、よく簡単に「絶望」と言ってしまう私は自分を恥じた。映画に登場する方々の声、皆の祈りが、この2時間が過ぎたあとも、さらにつらなり、さらに大きな祈りにするために、広く上映されることを切望する。
人生という牢獄のなかでいかに生きるか?「恋はデジャ・ブ」はじめ数々の傑作があるループもの。本作は恋人を殺害した男に復讐する一日を何度も繰り返す、というものだが、復讐の方法もターゲットを殺害一択、パターンもほぼ同様、まず復讐とはいえ「殺人」をおこなう主人公の精神面はいかなるものかと注目するも、それへの掘り下げも浅薄、加害者との関係のうつろいもふやけ気味。生や死がどうにも軽く、ただの仮想世界での「ゲーム」的な空虚さが残ってしまう。
「幸せな家族」というが、最初っから夫のモラハラ臭全開で全く幸せそうに見えないのはさておき。人間か、人ならざるものか? 警察の半端な介入描写などがあり、謎めいた少女ちーちゃんの設定と、大人たちの対応があやふやな気もするが、とことん凶暴な彼女が母と妻の座についた従順な女性と、過去の事件で傷を負った娘を「いいカンジの家庭」イメージから引き剝がし、文字通り家という籠から蹴りだすさまは荒療治がすぎるが楽しんだ。はらわたをぶった斬る一大流血描写も容赦ない。
事件を起こした少女と映画監督志望の少年、少女を取材するルポライターの女と映像関係の仕事をしているその夫、この二組の男女の関係が、現在と過去、現実と映像のあいだを往還しつつ徐々に明らかになっていく過程はスリリングだ。しかし、パズルのピースをうまく散りばめ、現代的な意匠をほどこすことに注意が向き過ぎていて、人物も作品世界もただ画面の表層を流れていく。少女が見た朝焼けや少年が森の中で撮影した少女の姿の前で、もっと立ちどまってみるべきだったのではないか。
沖縄の厳しい状況は、それなりに理解しているつもりでいたが、「戦雲」を観ると愕然としてしまう。南西諸島に次々と自衛隊の基地が作られ、ミサイル配備が着々と進んでいるのだ。沖縄の植民地化にほかならず、同時に、日本そのものがいつのまにか臨戦態勢に置かれている……。三上智恵監督の執念を感じさせる取材の結晶だが、基地問題ばかりでなく、与那国島でのカジキ漁など、南西諸島に住む人びとの日々を描くことで、このドキュメンタリー映画に作品としての厚みももたらしている。
ループものかとやや腰が引けたが、ちょっと様子が違うと気づいたころには作品世界に引き込まれていた。とはいえ、並のループものとは違うというだけなら底の浅い映画になっただろう。主人公の岩森が黄色いコンパクトカーで走る道、夜の深い闇と暗い水面の反映、工場の庭にそびえる木といったなにげない要素がこの作品に艶をもたらしている。ループが終わったあとに聞こえてくる鳥の声と雑踏の音も魅力的だ。いろいろと仕掛けがありながら隙間が残っているのもこの作品の美点。
ホラーというジャンルは、きわめて映画的と言えるかもしれない。普段なら気にもとめないシーツや壁、窓や扉が画面のなかでにわかに意味を担ってくるからだ。しかし、ホラーという枠組みは諸刃の剣ともなる。恐怖を抱かせるための表現がどうしても紋切り型となり、既視感を呼び覚ますからだ。内藤瑛亮監督が描きたかったのは、むしろ、後妻として家庭に入った萩乃と義理の娘となった萌花が、ともに抑圧から解放され、自律していく過程であったはずだが、それが背景に後退してしまう。
動物園の猿を女子高生が逃がした事件を報じた記事がフェイクなのか真実なのかを巡る話なのかと思って見ていると、互いに矛盾というか整合性の取れない映像が重なってきて、見る者が疑心暗鬼に捉われる。事件の真相の不確定性が、映像そのものの不確定性にすり替わってくる。合わせ鏡のシーンがあるが、これがこの作品の中心紋ということになる。ただ、入れ子構造を繰り返しているため、どれも本気で受け取れなくなり、ラストの高校生たちの瑞々しい場面も眉唾で見てしまうのが残念だ。
台湾有事を口実に着々と軍事基地化されていく沖縄、南西諸島の現状報告。既成事実で住民を疲弊させる自衛隊=政府、住民投票さえなかったことにして追従する地方議会。実際の有事に備え隊員用シェルターは用意するが、住民避難は保証しない。この島々の住民を守れない/守る気がないとは、つまり日本国民を守れない/守る気はないということだろう。「もしトラ」になれば米は棄日、梯子を外されて矢面に立たされた日本国の棄民は現実化する。思想なき国防が招く末路を考えさせる一作。
何度も死(私)刑を繰り返すVRという発想、主人公と犯人が意に反して仲良くなる展開は興味深いが、ただし犯人の動機、贖罪や死刑制度といった問題には踏み込まず、それはそれで選択、映画に「問題」など必要ないのかもしれない。ただ結局何も変わらなかったかのように見える結末はどうか。主人公に内的変化はあったはずで、それを体感するには彼と犯人の時間が、それだけで映画的時間でありうるほど充実すべきで(犯人の絵がそこで生きるのでは)、それ次第で結末も変わってきたはず。
毒娘が暴れまわるホラーかと思いきや(まあそうなのだが)、「家族」なるものの偽善を破壊するパンクロックみたいな映画だった。「家族ゲーム」や「逆噴射家族」を思い出した。無論アップデートはされており、「家族」の中でも強者である親にして父が、「同意」による誘導で家族の弱い成員をソフトに抑圧する様は、「家庭」が温かい居場所であるどころか監獄、また強者が弱者を搾取する構造が変えられない今の日本社会の現状を反映している。もう少し人物たちに陰影があっても良かった。