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「まったく価値観の違う大切な人たちと仲良くやっていくにはどうしたらよいのか、そのような考察をしたかった」と監督が語っていた。まさに今の世の中の問題の多くがそこに帰結するような気がするが、この映画は、それでも対話をやめない、というような積極的な関わりでなくとも、相手を拒絶したり否定しなければ共有できる瞬間がいつか訪れるかも、というような希望を描いている。多くは語らない脚本だけれども、芝居の素晴らしさで多くがわかる。みんな悪い人でもいい人でもないのもいい。
ノスタルジックかつSF感のある不思議な島に、俳優である主人公の男が訪れる。そこで起こる現実なのか非現実なのかわからない出来事と、彼の過去が交錯していく。細部へのこだわりを感じる映像表現、街に流れている時間に美しさも感じつつ、映画のために切り取られた世界に少し息苦しさと、どこか既視感を覚えてしまう。女性と男性の間にある不和や、街にいる異邦人としての彼の心境が次々重なっていき、夢を見ているような感覚に陥り、気がつくと現実の世界とは切り離されていた。
実際にあった株取引に関する事件を基にした作品。個人の物語としてだけではなく、社会そのものを描こうとしている姿勢に胸が熱くなる。コロナ禍での事件ということもあり、当時の雰囲気を色濃く捉えていて、自分自身の感じていた感覚も思い出してしまった。たくさんの名もなき個人投資家たちを、映像で実際に見せていく手法も印象的だったし、何人かの投資家たちのそれぞれのエピソードにも、短いながら引き込まれる。もちろん、数々の名演をしてきたポール・ダノ演じる主人公も最高。
31年ぶりのビクトル・エリセの新作は、映画をとりまく状況の変化と、映画というメディアについて描く映画だった。はじめは、どこに向かっていくのか全くわからない、長い旅に出ているような感覚だったのが、最後で急に腑に落ち、深く感動した。「ミツバチのささやき」の小さなアナ・トレントが、大人の女性になっている。それでも、すぐに彼女だとわかった。人物たちの顔がすべてを物語っている。この映画をフィルムではなくデジタルで撮影したことに、監督がもつ未来への希望を感じた。
DV被害者のシェルターを運営する活動家で対抗文化世代の残滓を引きずる母親とSNSのインフルエンサーとして肥大した幼稚な自己愛を持て余す息子という構図が面白い。当初、対極的に見えた歪な母子関係が夫々〈他者〉の出現によって意外な相似性が浮かび上がるカリカチュア抜きの語り口は上質な短篇小説を読むようである。かつてのアルトマン映画のヒロインを思わせる裡に無意識の権力性と静かに沸騰する狂気を抱えたジュリアン・ムーアの佇まいはまさに圧巻というほかない。
失踪した妻を探し求めて、彼女の故郷である辺境の離島を訪れた男の彷徨譚。キザすれすれのネオ・ハードボイルド小説のような趣向、近過去と現在を行きつ戻りつしながら時制はいつしか攪乱されてしまう。極端に人工性が強調された、けばけばしいダンスホールの空間とセット。そこに深海魚のように生息する女たちと水槽で浮遊するクラゲを等価にとらえる強烈なメタフォアへの意志が垣間見える。時折、瞑想に誘う審美的なショットにハッとするが、すべては〈一炊の夢〉のようでもある。
コロナの最中に起きた実話の映画化。一人の会社員のドン・キホーテ的な旗振りでSNSに集結した数多の小投資家が倒産寸前のゲーム会社の株を買いまくり、ウォール街を牛耳る悪辣な大手ヘッジファンドに一泡吹かせる痛快篇だ。テーマはイマ風だが、マス・ヒステリアの恐怖もたっぷりと盛り込まれ、往年のフランク・キャプラが撮っても全くおかしくない。絶えざる幻滅と貧困に喘ぐ大衆にとっての敗者復活戦はSNS上の狂騒的なマネー・ゲームにしかない。そんな諦念も感じられる。
かつてビクトル・エリセは「ミツバチのささやき」のドキュメントの中で6歳のアナ・トレントが怪奇映画を見ながら思わず声を上げたときの表情、まなざしをとらえ「私が映画を発見した最高の瞬間だった」と語った。「瞳をとじて」に半世紀ぶりにアナに出演を乞うたのは、エリセがそんな奇蹟にも似たエピファニーの瞬間を再び見出したかったからにほかなるまい。50代後半のアナは目尻の小皺さえ美しい。父と再会した際「ソイ・アナ(私はアナよ)」と呟くアナ・トレントを観ていて私は崩壊した。
DVシェルターで働く社会貢献意識の高い母親はよく出来た他人の息子に、人の成功をフォロワー数と投げ銭の金額ではかる息子は政治意識の高い同級の女子に引かれている。親子関係の不満を他者で埋めようと不毛な努力をするふたり。監督・原作・脚本のジェシー・アイゼンバーグ。彼は、理屈で動く現代人の混乱を理知で相対化できる役者でもあるが、この監督デビュー作ではそれが上っ面で終わっている。人への洞察、風刺の質が表層的で、本物にするための誠実さが希薄と思えた。
上海から船で1時間ほどの島の物語。かつて開発で繁栄したらしきこの島の景観は、しかし終末的なまでに閑散としている。袋小路的であり、島民は気だるく無気力。誰もが過去の思い出を彷徨っている。新鋭チャン・チーの監督デビュー作は、60年代の個人的、観念的な芸術映画風情だ。アントニオーニの如く“事件”を蒸発させ、70年代のニコラス・ローグ、80年代のニール・ジョーダンも連想させたが、“意味”を敷き詰めたスタイルのキザが堅苦しい。が、際どく吸引力を維持し続ける意欲作。
2020~21年。ヘッジファンドの空売り勢に一泡吹かせた小口個人投資家たちの反撃騒動の映画化。2009年の金融危機に大学を卒業した主人公の呼びかけに賭けたその他大勢の労働者のマスク姿。彼らとは対照的にマスクしない既得権益層たちへの階級闘争が閉塞感を打破する。映画らしい視覚的な感慨もあった。ステイホーム下の心細げな光景の数々が、将来に不安を抱える人々の心象風景になっていたからだ。好感触の役者陣と理性的な演出に貫かれたエンタテインメント。
エリセの老境を偲ばせる私的な瞑想。映画表現は常に時間と場所に帰属するが、今ここにある我々の現在もまた個々の記憶=過去の集合体にほかならないからこそ、人はスクリーンの幻に現実の似姿を見出すことができるのだろう。その意味でこの映画が比喩するのは人生の旅、それも終点にほど近い者が見た夢としての映画であり、一種ミステリ的な興味とともに上映時間は過ぎていく。その様は美しく悲しい。しかし“My Rifle, My Pony and Me”の歌詞がこんなに沁みるとは思わなかった。