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現実の世界情勢をいかようにも重ねて読めるのがこのシリーズのよさで、トム・ブライスの端整な容姿のせいもあり、今回はそこにシェイクスピア劇かギリシア悲劇みたいな要素が加わった(ちなみにV・デイヴィスの役名は、シェイクスピア『コリオレイナス』の主人公の母と同じ)。さらにR・ゼグラーの参加で歌物ミュージカルの魅力がプラスされ、悲恋はどこか「ウエスト・サイド・ストーリー」っぽい雰囲気に。彼女の圧倒的な歌声は、それだけで民衆を蜂起させて専制政治を打倒しそう。
公式サイト等の紹介文を読んで「『料理長(シェフ)殿、ご用心』じゃん!」と思う人が出そうだが(わたしじゃ)あそこまで律儀にメニューをなぞりはしないものの、実際、ホラーというより猟奇風味強めの連続殺人ミステリの感。事件の背景が作りこまれていて、冒頭のパニック描写をしっかりやってるのが効果的で◎。この題材ならもっとユーモアがあったほうがとか、プロットの細部が意外に雑とか、ラストの思わせぶりはもうやめようよとか言いたいことはあるけれど、全体的に楽しい。
香港を離れようとする娘と、香港にとどまって夫の工房を守ろうとする母。工房もネオンも香港の換喩だ。そして一人ひとりの個人史が、香港の歩みと重ね合わされる。―という図式がいったん見えてしまうと、もうそれ以外の見方ができなくなってしまいそうになるのだが、実は事態は最初に思われたほど単純ではない。各人物が互いに負い目や秘密を抱えていたことが明らかになるにつれ、映画はみるみる血がかよいはじめる。光の映画にふさわしく、丹念に工夫された各場面の光の色が美しい。
愛された実感を持ったことのない9歳の少女が、遠い親戚にあたる夫妻の家でひと夏を過ごすうちに、生きる喜びを見出していく、となると類似作品はこれまでたくさんある気がするけれど、口数の少ない彼女を見守るうちに、彼女が何を感じているのか、内側で何が起きているのかがひしひしと伝わる丁寧な演出。夫妻のうち、温かい妻との交流もいいが、最初コットにどう接したらいいのかわからずにいた夫が、やがて打ち解けていく過程が心にしみる。コットの疾走は、感情の覚醒そのもの。
大ヒットシリーズ「ハンガー・ゲーム」第1話の64年前の前日譚。のちに全体主義国家パネムの独裁者となるスノーの若き日が描かれ、彼がゲームに参加する少女との許されぬ恋が話を盛り上げる。ダークSFはその荒唐無稽さにシラけることが多いのだが、本作は主演トム・ブライス、レイチェル・ゼグラーの熱演に心奪われる。ブライスの純粋さと狂気、歌姫を演じるゼグラーの破格の歌唱力。「ハンガー」前日譚はSFの衣を借りたエモーショナルな青春映画としての輝きがある。
タランティーノ一派のイーライ・ロスが「グラインドハウス」で手がけた存在しないホラー映画の予告篇「感謝祭(Thanksgiving)」を自らの手で長篇映画化。感謝祭発祥の地とされる米マサチューセッツの街を舞台に人々が次々と残酷な手口で殺される。ホラーの名作「スクリーム」「13日の金曜日」などへのオマージュ満載の構成ながらもオタク的でないヌケの良さ。ホラー映画の美学を更新せんという意思がある。これぞ教養としてのホラー映画最新版。
香港のネオン職人の夫を亡くした妻が、彼の弟子と共に夫がやり残した最後のネオンを完成させようとする。香港を象徴するネオンの9割が法改正でなくなった現在の香港にて「古き良き日」を回想し甦らせようという設定は、最近の昭和ブームに沸く日本も近いものがある。かつてのアクションやコメディで一世風靡した香港映画ではなく、落日を慈しむ香港映画。この映画のネオンに託されたものは、現在の香港人にとって、ノスタルジーだけでなく静かな抗議活動であることを感じさせる。
アイルランドの田舎町を舞台に、9歳の少女が夏休みを遠い親戚夫婦に預けられ、そこで自分の居場所を見つけていく。アイルランド語映画として歴代最高の興行収入を記録した本作は、現代の都市生活者にとって一服の清涼剤となるような大自然と少女のピュアな生活を丁寧に描く。しかし私のようなひねくれ者にはあまりにもひねりのない展開に逆にイライラ。誰もが好感を持つ「少女、動物、大自然」は映画作家としては禁じ手なのではと思う自分は都会とダークな作家映画に毒されすぎか?
原作を読んでいない上に「ハンガー・ゲーム」シリーズを一作も見ていないので比較のしようがないが、本作のサバイバルに物足りなさを感じるのは、ゲーム参加者たちのなんとしてでも生き抜きたいという思いがあまり伝わってこないからか。3幕構成の最終幕でピュアだったスノーが権力者に変貌する過程が描かれる。彼の一人相撲よりも、スノーとルーシー・グレイのすれ違いをもっと丁寧に描いてほしかった。レイチェル・ゼグラーの歌声が圧巻。肝心の物語よりも彼女の歌のほうが印象深い。
2007年に制作された映画「グラインドハウス」内のフェイク映画の予告篇から作られたという本作。典型的なスラッシャー映画。インスタの特性を巧みに使った手法には新しさを感じるものの、グロテスクな描写にこだわりすぎて、ストーリーテリングはそっちのけ感あり。肝心の犯人の動機が薄く、その狂気はクライマックスで突如失速し迫力に欠ける。その上、脚本が弱いせいかキャストは誰一人印象に残らず、イーライ・ロス監督が調理したい感謝祭ディナーのただの材料と化している。
消えゆくものへの哀悼というありがちなテーマゆえに凡作になりそうなところを、レトロ感と近未来感を併せ持つネオンの異様な輝きが作品に視覚的なオリジナリティを与えている。監督デビュー作とは思えない安定した手堅い演出に驚きつつも、感傷的すぎる箇所にはやや白けてしまった。娘の反抗的な態度や弟子の葛藤の要因が見えづらく、物語をドライブさせるための都合上の設定に思える。それでも香港の現状と重なる物語には心打たれるし、終盤のシルヴィア・チャンの顔に痺れる。
コットが草に覆われているファーストショットでまず胸を鷲掴みにされた。単調にもなりかねないシンプルでミニマルな物語だが、コットと親戚夫婦が心を通わしてゆくひとつひとつの描写が丁寧に紡がれており、繊細な刺繍のような趣き。草花の囁き、木漏れ日、波紋、日々の生活で何気なく目にする自然の美しさを掬い上げ、五感に訴えかけてくる。互いが真にかけがえのない存在であると示唆するラストシーンが格別に素晴らしい。「わたしの叔父さん」にも通じる北欧系オーガニックフィルム。