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女性が社会の壁に立ち向かうには、超自然的な力を借りなくては闘えないというストーリー自体が、実際の女性の立場の弱さを逆説的に証明しているが、死んでから幽霊になって復讐するよりはまだいい。ジャンルをまたいだ要素が詰め込まれているものの、編集のテンポの冴えなさに加え、演出にもメリハリがなく、せっかくのアクションものっぺりとして見える。男性同士のやり取りで見られるユーモラスな側面も、笑っていいのかどうかよくわからない微妙な空気になってしまっているのが残念。
本篇が始まって間もなく、監督は女性に違いないという予感があった。それは一人息子を人種差別の激しい土地へ送り出す母親の複雑な胸中を、鏡に向かってイヤリングをつける彼女の上半身で見せたカット。そして終盤、すべてを終えて家に帰った彼女の一人の時間を写したシークエンスで、予感は確信に変わる。演出や画面構成のきめ細やかさも別次元。本格的な商業劇映画としてはこれがほぼ初監督となるチノヤ・チュク監督、近い将来ハリウッドのメインストリームの一角を担う存在になるはずだ。
料理の工程をじっくりと丁寧に見せるだけで画が持つ、まさに映像を味わう一本。料理人の手元と食材の変化がどんな言葉よりも雄弁に物語る。絵画のような画づくりは、自然光をメインにしたとは思えない豊かな陰影が見事。本作はプロデュース・衣裳・アートディレクションにも名を連ねる監督の妻イェン・ケーに捧げられ、劇中のウージェニーとドダンの関係は、監督夫婦になぞらえられていると思われる。それは婚姻関係よりも共に作品を作るパートナーとして相手を尊重する、最大限のラブレターだ。
米インディーズ映画の至宝とも言われるライカートの最新作は、ミューズとも言うべきミシェル・ウィリアムズの仏頂面がトレードマークの、ミニマムでオフビートな世界。名もない人物のごく限られた日常にフォーカスすることで世相を映すジャンルは確かに存在するが、誰でも個人的な動画を発信できるようになった今、映画としてはいささか古典的な手法であるともいえる。そしてストイックでパーソナルな作風は退屈と表裏一体。胸躍るような映像体験とは対極にあることが存在意義となり得ている。
バットマンは〈悪も正義も気が狂ってる〉がテーマだし、スパイダーマンの宿命は〈童貞っぽさ〉だろうし「シン・仮面ライダー」のテーマは〈孤独なオタクは(女のオタクも)友人を作って善いオタクになるか、憎悪を抱いたまま悪のオタクになるかを選べる〉だった。スリ・アシィの宿命やテーマは何だろう。普通に〈強くてモテる女には弱者を救う義務がある〉? それはそれで達成されれば喜ばしいですが、もうちょっとややっこしい部分も見たかったな。最後の必殺技が〇〇の術なのはエロかったな。
あらすじや背景をまったく知らずに観て、あ、こりゃこれから最悪のことがおきるぞと確信させるフラグが冒頭から立ちまくり、べそをかきそうになりながら気を動転させながら観た。非黒人である僕にとってもまったく他人事ではなく、こういうこと書くと怒られるかもしれないが「空気が読めない人とは、どういう人なのか」「空気が読めない人が立場が弱いと、それを理由に本当に殺されることが現代でもある。こっちが空気が読めない人をヘイトしちゃう可能性もある」などと、いろいろ考えさせられた。
おだやかだが迫力に満ちた台所。うまそうなのに観客は食べられないのが料理映画だが、調理の過程をこれだけ異様に時間かけて見せられてると不思議なことに口中で味がしてくる。音楽は一切なく庭の鳥のさえずり、包丁や食器の響き、煮える鍋、はぜる脂、遠い鐘の音。仕事場なのに日常にパワハラはない。人生なので熟女のエロスはある。白人ばかりだからハリウッドでは撮れない。古すぎて、かえって新しい男女関係の型式。先の読めないあざやかな展開。「ナポレオン」観た人、これも絶対観て!
僕はアートのことを何も知らないが、有名な芸術家のインタビューや作品を撮影したドキュメントを観るよりもアートに近寄れた気がする。役者が皆いい。アートは不完全な人間が創造してること(それが脚本のテーマなんだろう)が肌でわかった。何がA24っぽさなのかもよく知らないが、アート作品も登場人物も事態もとにかく不気味で、ずっと怖くて不安だった。物語では絶対に感動させないぞという監督の強くて清洌な意志が輝いてて、でも、しっかりした物語があり、すばらしい映画だった。
原作はインドネシアのエンターテインメント会社である、ブンミラゲットのコミック。MCU同様に、自社の人気キャラを主役に映画化した作品。いわゆるヒーローもので、孤児院で育った少女アラナが正義のヒーロー〈スリ・アシィ〉として、様々な自然の化身である悪の存在と戦う。要所要所でアジアを打ち出したのも珍しい個性で、スリが赤い布で戦うのがかっこいい。スリ役のペフィタ・ピアースは、キメ顔をするとニヤッと奇妙な余裕で笑ったような表情になる人で、その少し邪に見える顔立ちが良い。
映画は演出で見せるので、14歳の黒人少年の無邪気な振る舞いに対し、白人の男どもが憤激して殺害するまで暴行を加えたことを、いかようにも描けたはずだ。しかしそんなおぞましい出来事が、本作では観客の想像に委ねられており、脆弱になってしまっている。この映画は母が棺の中の、息子の変わり果てた姿を人々に見せた実話に基づくはずなのに、役者が号泣し、人々を説得しようとする部分に焦点が置かれる。その演出が残念ながら力みすぎており、カメラワークも単調で間延びしてしまっている。
料理というのはつくづく際限のないハードワークだ。愛の成り行きを見守る映画としては、ビノシュを取り巻く薄っすらとした影と、彼女の後を継げるような、絶対音感ならぬ絶対味覚を持った少女の早い登場で、展開はおおよそ感じ取れる。期限のわからない愛や夢を抱えて、不安とともに我々は生きるしかない。マジメルとビノシュの書類上のパートナーにならない、緩やかゆえの緊張感がいい。既婚の料理人が食事を作るのは、妻の義務になりかねず、彼女はあくまでプロの料理人の立場を貫いたのだろう。
ライカートは厳しい目線で人間を見据えた作品も撮るが、本作は明るく健やかな雰囲気に満ちている。主人公のリジーは彫刻家で、オープニングのカラフルな素描を貼った壁を写していくシーンから楽しい。リジーは間近に迫った展覧会の準備が進まず、厄介な用事を頼まれてばかりで苛々するというシンプルな物語だ。舞台となる美術学校は自由で風通しが良く、端々に写る実際のアーティストの作品も魅力的である。ライカートは自身で編集もしており、ドアの下に現れる猫の手のカットに惚れてしまった。