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独特のユーモアや音楽への敏感さなど、のちの作品(「アンダーグラウンド」等)に通じる要素はあるけれど、むしろそれらとのトーンの違いに驚かされる。チェコ・ヌーヴェルヴァーグっぽく感じるのを不思議に思いつつ観たのだが、クストリッツァはFAMU(チェコ・ヌーヴェルヴァーグの拠点となった映画学校)の出身だから、めちゃくちゃ意外なことというわけでもないだろう。話は典型的な成長物語。ドリー・ベルとの恋以上に、父親との関係の描写、および父親の人物像に心を動かされる。
ただでさえ面白いナショジオチャンネルの『メーデー!』をさらに濃縮したかのような迫真の機内シーン。乗客全員特技を活かして危機を突破、みたいな展開になったら痛快娯楽作だが、その真逆を行く凄いリアリティで、ある意味シミュレーションドラマ的面白さ。航空会社の危機管理担当者が傭兵を雇うのだけファンタジーかと思ったらこれも現実にありうる話だとか。終わり方が示唆するとおりどうも続篇の予定があるらしく、個人的にはこれだけでいいんじゃないかと思うがさてどうだろう。
村中のごみを無言で回収してまわる父のなかには、もちろん彼なりの道理があるのだが、それが何なのかは決してわからない。代わりにはっきりと見えてくるのは、彼の帰還によって揺さぶられる周囲の人々の変化。失われた愛は、長い眠りから目覚めたかのように色づきはじめる。基本的に人物の動きに合わせて柔軟に動くキャメラが、まるで適度な距離を保ってその人物を見守りつづけているかのようであり、その結果わたしたちも、その人物に対して親密な感情を抱かずにはいられなくなる。
オリジナル版と他言語版は残念ながら観ていないのだが、基本設定が確かに魅力的。残り3分の1になってから突然ツッコミどころが増えたり、動機づけを含めて急に展開が雑になる気がするけれど、短い上映時間でシンプルに語るべき題材である以上、欠点と断言するほどではないかもしれない。家庭人として完全に失格かと思いきや、危機に瀕した途端、この上なく頼もしい父親へと変貌するリーアム・ニーソン無双。役柄よりも歳上すぎるという難点を、身のこなしの若々しさで華麗にカバー。
日本未公開のクストリッツァ監督の長篇デビュー作。旧ユーゴスラヴィアのサラエヴォの少年が、謎の女性ドリー・ベルとの共同生活を始める、クストリッツァ版「青い体験」。思春期の少年の夢や戸惑いが丁寧に描かれ、クストリッツァ流のユーモアや弾け具合も織り交ぜた、地球の辺境の少年の話ながらも誰もが共感できる普遍的青春映画。辺境の地で悶々としつつ大人の世界/大きな世界とつながりたいという少年の思いが、後の爆発的にイマジナブルな「アンダーグラウンド」につながるのがよくわかる。
ジェラルド・バトラーが製作・主演。被雷した旅客機がフィリピンの反政府ゲリラが支配する島に不時着するというサバイバル・サスペンス。被雷→不時着→ゲリラとの闘いと話は単線的に進み、シナリオに気の利いた工夫はない。また旅客機の描写の多くが安っぽいVFXで、ロケ撮影も画質の低いデジタル撮影のため、映像のテクスチャーを重視する者としてはかなり興醒め。メジャー・スタジオ製の作品ではなく、アクション俳優が製作・主演すると大抵低予算低画質ご都合主義の仕上がりになるという典型。
キルギスのアクタン・アリム・クバト監督が監督・主演。23年ぶりにキルギスの村に戻ってきた老人が巻き起こす静かな騒動を描く。携帯電話が画面に出なかったら、とても21世紀の話とは思えないほど時間が止まったかのような村で、日本人とよく似た風貌ながらも、皆が敬虔なイスラム教徒であり、ロシアの強い影響下の中で生きている人たちの生活を丁寧に観るという文化人類学的な面白さ。私たちに似ているとても異なる人々の普遍的家族愛。いっそドキュメンタリーの方が向いている題材なのではないか。
今年主演作が3本公開されるリーアム・ニーソン。本作は2015年のスペイン映画「暴走車 ランナウェイ・カー」のリメイク。金融マンが車に爆弾を仕掛けられ、犯人の指示でさまざまな困難に直面する。いつものニーソン映画同様、スピーディーでサスペンスフルかつ不死身。またニーソン映画同様に低予算短期間撮影ものでニーソン以外のキャストに華がない。同じような役柄で低予算アクション映画を連発するニーソンは低予算アクション映画の船越英一郎だ。大ヒットも芸術も狙ってないところが苛立たしい。
クストリッツァのユーゴスラヴィアへの愛と悲しみ、混沌とした世界観は27歳時の初監督作品でも遺憾なく発揮されていた。催眠術に凝る息子と、催眠術なしで共産主義の到達を願う父親の政治談議が微笑ましい。終盤、自己暗示を肯定する父親の意外な言葉に、そこはかとない優しさを感じてホロリとしてしまった。男性陣が囲い、征服し、共有するマドンナ、ドリー・ベルの身の置き場のなさが私には痛いほど胸に突き刺さった。死や性と向き合い成長する少年のほろ苦い青春、唯一無二感。
大嵐と落雷によって制御不能となった飛行機が不時着した場所は、イスラム過激派がのさばる無法地帯だった。次から次へと降りかかる災難を、屈強な肉体と血走った瞳で生き抜くジェラルド・バトラーはやはり極限状態が似合う男。バトラー演じる機長のバディは移送中の殺人犯という設定が、緊張感を途切れさせない。フィリピンのホロ島が舞台ならば、もう少し踏み込んだドラマを見たかったが、本作はあくまでポップコーン片手に無心で楽しめるエンタメに徹していて、それはそれで良い。
行方知らずだった男の23年間は一切語られない。記憶と言葉を失った理由も明確にわからない。家族や友人たちは記憶を取り戻そうと必死だが、男は動じず、ただ黙々とキルギスの村のゴミを拾い続ける。力強く根を張る木々、木立のざわめき、素朴で美しい歌声……感覚に訴えかけてくる演出ひとつひとつがゆったりどっしりとしていて、果てしない奥行きを感じる。生命の根源的な力が本作には宿っている。人間はただ生きているだけで尊い。そんなピュアな気持ちを呼び覚まされる稀有な作品。
リーアム・ニーソンが車という閉鎖的な空間で着座のまま闘い、犯人と対峙するまでの90分。彼の鬼気迫った渋い顔をアップで見続けるだけでも眼福だが、「スピード」や「フォーン・ブース」といった作品がチラついて既視感を拭えない。クライマックスはあらかじめ決めた結末からの逆算でアクションを組み立てているのが明白でやや物足りない。一番大切なものを強調したいがゆえのラストの回想三連発が作品をチープにしている。資本主義の弊害を量産型アクション映画で描くという皮肉。