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考古学者インディ・ジョーンズが再び世界を駆け巡る新作は、娯楽映画とはタイムマシーンでありアームチェア・トラベリングであることを改めて思い起こさせてくれる。しかし新作はハリウッドが抱える今日的問題―キャスト&スタッフの高齢化とVFX過剰―も濃密に露呈しており、初期インディのような身体を張ったアクションのスリルは減少したが、それでもこの大作感と完成度は桁違い。賛否割れるだろうが、「歳をとったインディ・ジョーンズ」を味にした脚本と演出を評価したい。
シネフィルの心をくすぐったホラー「X エックス」の前日譚。前作が「悪魔のいけにえ」へのオマージュであるなら、これは「オズの魔法使」へのホラーなオマージュ。ミュージカルの要素や往年のテクニカラー映画の極彩色を用いて、キュートなホラーに仕上げている。ウェス・アンダーソン的ホラーと言ってもいいか。そのひねったコンセプトは評価したいのだが、いかんせん全然怖くなくドキドキしない。シネフィル系映画監督が陥りがちな、頭デッカチで活劇的昂揚感のないジャンル映画。
仏セネガル移民女性が高齢の白人男性との間に生まれた生後15カ月の子供の殺人罪に問われた裁判の法廷劇という、これぞ今のポリティカル・コレクトネスを代表する映画。台詞も実際の法廷記録から取られているというリアリズム。予想どおり映画は終始淡々かつ重苦しく進む。ドキュメンタリーなら娯楽性の欠如は良しとするが、劇映画に映像と音のマジックを求める者としてこれは辛い。村上春樹の言葉を本作に送りたい。「深刻になることは必ずしも真実に近づくことではない」
「RRR」のラーム・チャラン主演。インドの封建的村社会での民衆一揆を題材としたインド版「レ・ミゼラブル」。典型的インド映画で、大衆演劇的喜怒哀楽が激しい演出に加え、主人公が難聴のため会話がよく聞こえない設定ゆえ、周囲がやたらと大声かつ身振り手振りで説明する、過剰なまでのわかりやすいヴィジュアル・ランゲージで満たされる。インド十八番の高速ダンスは随所に展開されるが、話のシリアスさとの乖離が甚だしい。大仰な演出、わめく出演者たちと唐突なダンスで、観客が文化的難聴になりそう。
出だしからノンストップアトラクションに乗った気分。息もつかせぬ展開で、インディファンを喜ばせようとするサービス精神が炸裂。スピルバーグの精神を引き継いだマンゴールドの気合を存分に感じるが、ストーリーが上滑りしていく印象も。とはいえ、ナチスの軍服を着てニヤつくフォラーは敵役なのに妙にキュートで笑えるし、惚けたインディにパンチを食らわすヘレナは清々しい。歴史は変えられなくても、映画で時を超えられるということをフォードの若返りCG込みで証明してくれる。
ハリウッド黄金期を彷彿させるオープニングに期待が高まる。映画スターを夢見るパールが、スクリーンではなく農場で暴れる殺人鬼としてスポットライトを浴びる構造はパールの夢を暗に叶えていて皮肉が効いている。主人公の異常さを肯定するかのようなメロドラマ調の音楽はそのミスマッチ加減が笑いを誘うが、全体的にあざとさが目に付く。話自体凡庸だしキャラクターも記号的。ミア・ゴスの凄まじいエネルギーが映画を牽引している。ラストの笑顔の狂気たるや。
子殺しの犯人であるロランスと、その事件をモチーフに本の執筆を企てているラマ。妊娠中であるラマはロランスと自分を重ね合わせながら、母子のつながり、矛盾に満ちた母性に向き合う。「恥辱を受けた女性が言葉の力でヒロインとなる」この冒頭の言葉がラストで見事に昇華される。それを女性の連帯という流行りの言葉で片付けたくない。監督は抑制の効いた冷静なまなざしで、普遍的な問題を導き出そうとしている。終始厳しい横顔を見せるロランスの一瞬の微笑みが胸に深く刻まれる。
村の搾取風景や一目惚れの曲、大仰なジェスチャーなど既視感満載で前半は若干食傷気味だったが、中盤から社会派の側面が強まり、目が離せなくなる。難聴という設定が主人公の滑稽さと陽気さを際立たせつつ、それによる誤解や聞き漏らしが鍵となり、物語をスリリングにしている。煮えたぎった情念を歌と踊りで昇華させていく様はインド映画ならではで爽快。音楽もアクションもロケーションもとにかくダイナミックだが、いかんせん尺が長すぎる。てんこ盛りすぎると味がぼやけてしまう。
シリーズのおそらく最終作になって、初めて日本語題名に「と(and)」が訳出されたのはなぜかと思うがそれはさておき、こってりのチェイス・シーンがせわしないほど連続。冒頭シークエンス、不気味の谷におちいることなくH・フォードを自然に若返らせたCG技術に感心。でもシラクサのシーンのCGはあれでいいのだろうか。重要そうなキャラクターが次々あっさり死んじゃうのにもびっくり。とはいえマンゴールドの「LOGAN/ローガン」に連なるテーマには、それなりしんみり胸を打たれる。
古典映画風のタイトルデザインに、過剰にゴージャスな音楽がかぶさるオープニングからしてもう、ねらいがはまりすぎて笑ってしまう。象徴的な構図もよく考えられていて、ミュージカル風シーンの撮り方も、すごく「わかってる人」が作った感じ。全部毒母のせいという話かと思っていたら、母がぶち切れるシーンに至って突然母にシンパシーがわき、かつ、娘は母の反復だったとわかるのだった。ミア・ゴスの長台詞も圧巻。これらを台詞以外で表現する工夫があってもよかったかもだけれど。
「Pearl パール」とは真逆で、いくら台詞が積み上げられても真相を知る助けにはまったくならない。だが何という重層的な物語。法廷シーンはもちろん視線劇だが、通常なら切り返しショットが来るはずの、あるいはショットが切り替えられるはずのタイミングが、ことごとく外されていく。常にわずかに遅れるカットつなぎが、先を急がずとどまって思考を続けるよう促しているかのようだ。そしてそれは同時に、われわれが無意識に依拠している定型の解体、既存の思考枠組みの問い直しでもある。
いまどきここまで明確な善悪の対立が見られるのはインド映画だけかもしれない。それにしても殺しすぎではないかと思う一方、主人公一家はカースト下位という設定であり、このあたりのニュアンスを肌でわかっていないと、プロットに表れる対立や葛藤をほんとうの意味で理解するのは難しいのかも。ときに大胆に動き回るカメラが映画を活気づける。そして「RRR」でその上手さが周知となったラーム・チャランのダンスには、やはり圧倒的な華があり、いつまでも見ていたい気持ちになる。