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世間状勢に無知な私はのんきに劇場試写に足を運び、ビックリ。主人公の風貌がどうしてこういうことになったのか。名曲満載、しかも魚群ミュージカル場面の秀逸さもあって見どころは多いものの、マーメイド女性は皆、脱色AI化されたサイボーグ軍団みたいで味気ない。七つの海を代表する白黒黄色の娘さんばかりだから一夫多(人種)妻制の産物ということになるが、これはどうなのか。いずれにせよ業界を席巻するPC(ポリティカル・コレクトネス)主義者には超傑作ではないでしょうか。
知らなかったがプレスによればモロッコでは同性愛はタブーらしい。そう分かって見るほうがスリリングだ。描写もかなり踏み込んでいる。仕立て屋夫婦と助手の話で、舞台設定とか冒頭は成瀬巳喜男とかの職人家庭劇路線なのだが、性愛が絡んできて様相が変わる。特に公衆浴場の場面。いわゆる発展場っていうやつですかね。また、ちゃんとした夫婦なのに奥さんが母親みたいな雰囲気を醸し出すのも面白い。職人気質の旦那さんとの対照の妙。奇妙な三角関係劇で爽やかなのに不気味さも。
監督が取材、見聞した企業内ハラスメントの数々が脚本に活かされている。エンディング・クレジットにそれが分かる。主人公が勇気をもってその事例を社内の然るべき部署に告発するもあっさりもみ消され、しかもオフィスに戻ると同僚、上司、問題の加害者である会長にまでその件が筒抜けになっている。電話で素早く連絡が回ったわけだ。これは怖いよ。実話ならではの細部。画面自体は劇的なドラマをあえて志向せず、コピー取りばかり描かれるも、これまた生々しい。地味な秀作でお薦め品。
原子レベルでの物質透過とか、人生の分岐点でキャラクターが増殖するという奇想はまさしく藤子・F・不二雄ワールド。多分、脚本家が読んでいるのだ。増殖世界コロシアムが圧巻で、失策ループにハマってしまうのが画面として効果的。冤罪で逮捕された父親のアリバイが証明されず、さてどうなるという展開がスリリングであり、オチがベラボーに可笑しい。多くの楽屋落ちの中でもエリック・ストルツの一件とお馴染みのバットマンが大スターで二人、別次元の宇宙に存在する趣向がグッド。
台風により吹替版での鑑賞。ちょうどディズニープリンセスについての論考執筆でほぼ全作品見返しており「リトル・マーメイド」がいかに画期的な意義をもたらした作品だったか身に沁みていたため、大波による幕開けはこの作品に相応しく正しい。アニメ版よりエリックとアリエルがなぜ惹かれあったのかに言葉が尽くされている。〈パート・オブ・ユア・ワールド〉の歌唱におけるハリー・ベイリーの表現力が白眉。「ここではないどこか」への希求をその身に携えた俳優の身体でなければ。
前作「モロッコ、彼女たちの朝」でも女同士がパン生地を捏ねる手の触れ合いが官能的に映し出されていたが、本作ではより触覚性が深化されている。布地のクロースアップからはじまり、薄皮が剝かれてゆく蜜柑、病に蝕まれ骨が浮き彫りになった妻の背中、蒸気が立ち籠める大衆浴場などはすべて触覚性に関する。クローゼットのゲイと妻のもとに現れた男なる三角形の構図はこれまでのクィア映画においても繰り返し変奏されてきたが、この難しいプロットを高次元で美しく描き切っている。
今年初めに公開された「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」でもハーヴェイ・ワインスタインははっきりとその姿を現していないが、ここでも彼をモデルにしたような男性上司は声のみ。「プロミシング・ヤング・ウーマン」「69歳」「ウーマン・トーキング 私たちの選択」など、女性作家による近年の性暴力を描く映画は直接的な描写を避けているが、いずれも「見せない」演出が奏功した。本作はヒロイックなカタルシスよりも、システムへの透徹したまなざしによって成り立つ。
劇場公開版とは異なる試写用で鑑賞のため完成版を観ればまた印象は変わるかもしれないが、DCを数作品しか観ていない初心者の筆者にもやさしい内容でありながら、しっかりとファンにも目配せされた作品になっているように思う。過去に戻って現在を変えようとするSF設定が含むメッセージ自体は既存の類似映画を大幅に超える何かがあるわけではないかもしれないが、序盤でフラッシュが赤ちゃんと女性を救出する一連のアクションからグッと引き込まれ、疾走感はその後も途絶えない。
前半の海中シーンはCGのクオリティも高く、縦の空間を存分に使った演出に海洋生物好きの筆者は大興奮。そしてヒロインの人魚を演じるハリー・ベイリーの歌がべらぼうにうまいので、ミュージカル・シーンだけでもしばらくは楽しく見ていられる。しかし中盤で物語が地上に移ってからはなかなか許容できないレベルのご都合主義的展開が散見され、演出も成立しておらず、さっさとお話を語り終えたいという意志以外には何も感じられないシーンがつづき、どうにも置いていかれた気分に。
布に触れる。果実に触れる。愛する人に触れる。本作には触れることの官能があちらこちらにちりばめられていて、闇の階調を精確にあぶり出す撮影技術の高さもあいまって、画面から目を離せない。一方で、「難病もの」ふうの筋書きにはなかなか乗れずにいたが、映画なかばで訪れる思いもよらぬ展開によってそれも打ち消された。何の名前も肩書きもつけられず、ただの人間として存在することがいかに難しいか。何よりイスラム教国でこの作品を成立させられたことは讃えられるべき。
性加害問題で話題となった映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのアシスタントをつとめていた女性の体験を着想源にしているという本作はそのスキャンダラス性をつかみとしながらも極めて静謐な作品である。シャンタル・アケルマン直系とも言えるような奇妙なフレーミングや移動撮影でとらえられたシングル・ショットの反復と引き算からなるサウンド・デザインによって主人公の孤独は次第に浮き彫りにされていき、いつの間にかわれわれを映画ならではの場所へと導く。
なかなか真剣に鑑賞することができない近年のジャスティス・リーグ・シリーズの中にあってジェームズ・ガンの盟友ヘンリー・ブラハムが撮影を担当しているということで、少なくない期待をもって鑑賞に臨んだが、学生サークルのコントを見ているような苦笑の連続で、やはり映画は監督なのだという説を無残にも証明する結果となっている。マイケル・キートン演ずるバットマンには即座に涙腺を刺激されるし、筆者の愛するエズラ・ミラーをひさびさにしっかりと見られて良かったが。