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生徒には「そのままでいい」と言いながら、そのままで生きていたくなくなった教師の数日が研ぎ澄まされた描写で。完全にハードボイルド。日常に潜む小さな棘。そこに隠された本質的な批判。やっていることは「TAR/ター」と同じ。その庶民版。ターは社会的にすべて失うが、教頭はどうか。題名の意味を考え続ける。後悔しない人生などないというラスト。監督36歳、老成し過ぎでは。でもこの2年弱観てきた中で一番の才能。作品規模が大きくなった時にどうなるか。無駄使いしないで。
役者がいい。ショットは的確、台詞もうまい。前田哲に仕事があるのが分かる。やっと褒めることが出来るかも。が、最後まで観て絶望する。広瀬すずが母の不倫出奔を赦す話だと思ってたら、なんと最後まで赦さない。え、不倫って、そんなに悪いこと? という疑義はどこにもなく、世間の不倫絶対悪に完全に阿っている。表現者がそれでいいのか。俗情との結託。母が可哀想。なぜ不倫やむなしの価値観で作れないのか。出来がいいだけに、この罪は深い。前田哲に仕事があるのがよく分かった。
福井県の民謡がタイトルのご当地映画と聞いただけで、またかと暗い気持ちになる。が、いい意味で裏切られる。シャッター商店街。父の介護で地元に縛られた男。元恋人への執着。捨てられない家族への想いとすべて捨てたいという願望。地方舞台にありがちなアイテムだがどれも一味違う。それを体現する俳優陣も素晴らしい。全員と仕事したい。ご当地映画で田舎の負の面だけを描く志の高さ。それでもその地で生きる人達の想いを昇華させたラスト。前作で才能に気づかず、ごめんなさい。
面白くない原作でもないよりはマシ。脚本を読めるスポンサーもプロデューサーもいない。ポスター映えするキャストが必須。と劇中語られる、原作と役者至上主義の邦画界でオリジナル脚本を映画化すべく奮闘する愛妻未満物語。ならば、名のある役者を口説いて作るのではなく、低予算でも名のない人達だけで作れば良かったのではないか。これじゃ結局、批判しながら、現状追認をしてるだけ。「渇水」と同じ人が撮ったかと思うと絶望が深い。本気で変えようよ、日本映画。もちろん社会も。
二ノ宮隆太郎の映画の真実は、空回りする会話にある。今回は光石研演じる教頭先生がひたすらしゃべり続けるが、肝心なことは伝えられない。聞いている側は、あきれたり、白けたり、困惑したり、いらついたり。その反応が実に生々しい。会話は成立せず、孤独はますます深まる。ただ一人、症状のことを打ち明けられた食堂に勤める教え子と光石が黒崎の街を歩くシーンがすばらしい。年をとること、時が過ぎること、一人であること。人生のはかなさがゴロンと提示される。
広瀬すずがりりしい。広瀬にしても、主人公の青年に思いを寄せる當真あみにしても、女の人が啖呵を切るシーンがとてもいい。前田哲の資質だろうか、師の相米慎二から受け継いだものなのか。最後に広瀬が「バッカじゃない」と言って、うれしそうに笑うところなど、拍手を送るしかない。頻出する雨と水の表現も効果を上げている。この一見カラリとして潔い女たちと優柔不断な男たちのドラマを、瑞々しくつややかなものにしている。冒頭に出てくるポトラッチ丼もうまそうだ。
商店街で小さな食堂をやっている主人公の心に刺さった棘を丁寧に描いている。父の介護と家業の継続のために上京を諦め、恋人も去った。その積もり積もった鬱憤を、友人のパンツ屋の陰口を言うことでしか晴らせない。よき人のように見えた主人公の心の闇が段々と見えてくる。地方都市の商店街のちょっとややこしい人間関係をきちんと描いていて、きれいごとにしていないのがいい。小さな町の閉塞感がよく出ていて、〈いっちょらい節〉がカタルシスになる。地に足がついた映画。
長年助監督でくすぶる男がパートナーの励ましと助けを得てもう一度、自分の夢に挑む。昨今の映画業界にありがちな生々しい話がてんこ盛りの加藤正人と安倍照雄のオリジナル脚本が面白い。加えて主演の磯山さやかと吉橋航也がとてもいい。下手すれば紋切り型の尽くす女になってしまいそうなヒロインを、磯山がおおらかさの中にちょっと人生に疲れた感じも滲ませて見事に演じている。吉橋の茫洋としていて世間知らずの映画オタクぶりも絶品。「渇水」に続いて髙橋正弥の演出が光る。
嘘が下手なくせに、ままならない現実からも目を背け続けたベテラン教諭が突きつけられる、自分なる身勝手な人間の浅はかさ。特に事件が起こるわけではないが、北九州のごく限られた圏内で、そこで生まれて死ぬであろう男の人物像が飄々かつスリリングに浮き彫りにされる対話に、これぞ映画と膝を打ちたくなる瞬間が目一杯に詰まっている。全篇出ずっぱりの光石研の、いかなる役柄にも変わらず緻密に取り組んできた俳優業の矜持のようなものも光る、集大成的味わいも感慨深い逸品。
ここ数年、ジャンル多彩に撮りまくる前田哲監督だが、デビュー作にも通じる青春群像こそ最も自然体で臨めるのではと、本作から推察した次第。高校時代で成長を止めたふうにも見える終始不機嫌な女性と、彼女と奇妙な因縁で結ばれた若き同居人という、年の差十歳も精神年齢は意外に釣り合っている男女の距離を、彼に片想いする陸上少女が、勇気を振り絞ったがゆえに却って縮めてしまう切なさが染みる。各々に波乱の半生が見え隠れする周囲の濃い面々の活躍も、もっと観たかった気も。
日本各地で切実な、かつての賑わいを失う地方都市の商店街の厳しい現実と、愛する街の盛衰とともに生きてきた名物お祭り男の悲痛な最期を重ね合わせることで、いわゆるご当地映画の枠を超えた普遍的な感銘が生まれる。都会への憧れも、地元名士の息子と結婚した元恋人への未練も捨てきれぬまま、引き裂かれる胸中で故郷に留まり続ける主人公の悔恨が、よくいえば全身全霊、その実、やけっぱちにも映る〈いっちょらい節〉の舞いを通し、ある種のカタルシスへと昇華される力篇。
“原作至上主義”など業界の現在を毒気たっぷりのユーモアを利かせて皮肉りつつ、映画に魅入られてしまった人びとの執念や怨念さえも入り交じる実感の込められた台詞の数々が、同類ゆえかズキズキ突き刺さる。怪しすぎるホヤ好き男や不法投棄のくだりは、劇中で指南される脚本講座と照らし合わせても必要性をあまり感じないが、悲壮感なく健康的な磯山さやかと、絶妙に華に欠ける吉橋航也の貧乏カップルの、苛立たせつつも応援心をくすぐる奇特な魅力が、作品を清々しく牽引する。