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俳優の顔に焦点を当てた室内での会話劇という性質上、映画というよりは演劇に近い印象。そのせいで、各人物のやや紋切り型に寄せた性格造形が、余計にわざとらしく感じられてしまう面もあったか。とはいえ、名優たちの演技がどこにでもいるような人物像に一定のリアリティを与えることで、重厚で誰もが考えさせられる内容になっているとは言えるし、とりわけ10代の不安定さを見事に体現した息子ニコラス役のゼン・マクグラスが、彼らに引けを取らない存在感を発揮しており素晴らしい。
誰もがものの数秒で思いつきそうな、主体的で王子以上に「男らしい」シンデレラ像は、あまりにも安直で現代性に媚びたアップデートにとどまっており、じゃあルッキズムや王子様幻想は放置していいんですか?などと意地悪く突っ込みたくなってしまうし、わずかな改変を施すだけで、なぜほぼ誰もがすでに知っている物語を新鮮に語り直すことができると考えたのか、理解に苦しむ。低予算ゆえにビジュアル面の迫力が望めないのは仕方ないとしても、もう少しできることはあっただろう。
とにかく画面も物語もやたらと暗い。哀愁と陰影、仄暗い欲望に満ちた、カタルシスとは無縁のいかにも精神分析と相性の良さそうな探偵物語は、これぞフランスの文化と思わされる要素の多くを体現しているようで大変好ましい。全身に疲労や倦怠の雰囲気を滲ませながら捜査に臨むジェラール・ドパルデューも見事なハマり役。「コナン」のような展開を期待する日本の観客の一部は肩透かしを喰らわされるかもしれないが、酸いも甘いも嚙み分けた大人の世界の渋さにぜひ浸ってほしい。
そもそも尺が長すぎるが、それ以上に、中年男性監督が提示するいかにもネット時代の若者のリアルを掬い取りましたと言わんばかりの物語には閉口。親世代に訳知り顔で苦しみを代弁されることほど、当の若者たちにとって迷惑なことはないだろう。また、アート映画然とした演出と撮影にも乗れず。視点人物を入れ替える群像劇の構成を取ることであえて薄っぺらさを狙ったのかもしれないが、現代的な意匠をまぶしてそれっぽく撮れば時代の空気が捉えられるというものではないはずだ。
悩める息子を理解しえると勘違いしているヒュー・ジャックマン演じる父親の滑稽さと、その滑稽さを真面目に、そして深刻に見つめるカメラのアンバランスさに妙な味わいを覚えた。この不均衡さが、息子の不安定な精神にリンクしていると見えなくもない。そんな息子、父親の揺れる心情に対して、一場面の登場ながらヒュー・ジャックマンの父を演じたアンソニー・ホプキンスのまったくブレない父権性を振りかざすさまはさすが。必要以上にセクシーに描かれるヴァネッサ・カービーも印象的。
シンデレラといってもチェコの作家によるメルヘンを土台とした東ドイツとチェコスロバキア合作「シンデレラ/魔法の木の実」のリメイク。乗馬が得意なシンデレラというのはなかなか新鮮で、冒頭付近の雪原で馬を走らせるシーンなどは、とても気持ち良く、実に晴れやか。囚われているはずのシンデレラが、しかし自由でもあるという美しくまた、本作の根幹になる重要なシーンだ。反対にむしろ王子のほうが不自由で、シンデレラのほうが王子を救うという点が本作を今描く意義だろう。
ジェラール・ドパルデュー演じるメグレ警視のシルエットが愛らしくてすこぶる良い。しかし若い女性の不審の死を追うことで見えてくる、華やかなパリの裏側や上流階級の世界の闇といった真相に関しては、あまり深みを感じられなかった。破綻もなく、深みにハマりすぎることもなく淡々と進行していくさまは、探偵ものの映画としてはウェルメイドな作品とも言えるかもしれないが、それにしても物語的な起伏も控えめで、個人的にはあまり印象の残らない作品となってしまった。
見慣れない字面ではあるが、タイトルの「弑恋」という言葉がうまく表しているように、台北で暮らす若者たちのラブストーリーかつサスペンスでもある映画。登場人物それぞれの視点で、若者たちによる殺傷事件が起こるまでの経緯を語り直す本作の構成は、ヘタをすると、なぜ事件が起きたのかという問いが中心になりすぎて、単にパズルのピースを当てはめていくような答え合わせに堕してしまう。しかし、本作はそのピース一つひとつの形、その歪さこそ描くように努めているようだ。
逞しく完全無欠に見える父親の不貞により、母と共に打ち棄てられ、行き場を失くした少年の絶望と葛藤。父のまた父の代から続く根深い系譜を核に、ゼレール監督は今回も幾重にも積もった複雑な思いを、少年のみならず、取り巻くすべての人々の立場に目を配りつつ細密に、濃やかに描き出す。リビングでダンスに興じるシーンの明るさの裏に横たわる罪悪感や苦み、諦観の底知れぬ深さよ。観る者の価値観をまっすぐ問うラストにも、ただ息を呑んだ。鈍痛が尾を引く余韻を含め、圧巻。
誰もが知る既存の枠を土台に今、敢えて新たに練り直すならば、オリジナルからは思いもつかない斬新な展開や鮮烈な人物像、再生に意味を持たせる価値観の刷新を期待したくなるところ。だが本作の場合、原本の筋にぱっと思いついた当世っぽい要素を単純にまぶしてみました(例えば付けヒゲとか!)みたいな安直さばかりが印象に残った。コンプライアンス的目配せも、最後にまとめて片付けとけばいいといわんばかりの粗雑さが。せめて旧作の童話風趣きと爽快感さえ残されていたら!
全篇にたゆたう儚げでクラシカルなムード、ドパルデュー演じるメグレ警視が醸す哀愁、彼をとりまく、詳細は語られぬままの実の娘を含む3人の若い女たち――。犯人は誰か、という謎よりも、事件に至る過程を、浮上する人物と人物を丁寧に線で結びながら紐解いてゆく王道古典ミステリ。本来の持ち味を生かしつつ、官能的ともいえる映像と抑制の効いた語り口で原作を巧みに再構築したルコントの手腕に唸る。ベティを演じるジャド・ラベストの、ジャンヌ・モローを思わせる風貌もいい。
かのエドワード・ヤンの「恐怖分子」と同じ英題で、同じ台北が舞台の群像劇。確かに、どこか古めかしい空気や、一つの事件を巡って徐々に見えてくる若者たちを結ぶ糸、さらに直截的なところでは少女のかける間違い電話や複数人が出入りする空き部屋というモチーフなど、監督が捧げた“オマージュ”は随所に覗える。ただ、ホン・サンスの「豚が井戸に落ちた日」にも受け継がれた「恐怖分子」の持つ、都会に潜む孤独や不安、不穏なまでのざわめきがもう一つ伝わってこなかった。