パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
古来より存在する物語の定型を用いつつも、そこにフェミニズムを経由した新たな語りの方法を重ね書きしようとする、前監督作同様の意欲作。恋愛をめぐるおとぎ話の構造を残し、目眩く神話世界を美しい映像で表現しながら、同時に孤独を愛するアリシアの主体的な選択をも同時に肯定する離れ業を実現する奇抜な設定だけでも見事だが、それ以上に、あえて最小限しか説明せず余白を残すことで、単なる優等生的なアップデートとは一線を画した多義性を作品に付与する演出が何とも心憎い。
アバターの衣裳を着替えるようにマルチバースを自在に飛び回れるからこそ、かえってニヒリズムへと至ってしまう娘と母が対峙するなかで、俳優や登場人物たちの多様な出自や性志向、体型、年齢をただ配慮するだけでなく、交換不能なものとして真に肯定するための道筋が開かれていく。異様な情報量こそネット時代ならではだが、奇想に満ちたユーモアのセンスと哲学は、本質的にヴォネガットやダグラス・アダムスのSF小説に近い。あまりにもいびつな生命讃歌に、爆笑ののちボロ泣き。
唐突な暴力から一気に展開が加速する、メリハリの効いた序盤の簡潔な演出は素晴らしく、孫を愛でるニーソンの笑顔と、無慈悲に銃火器をぶっ放し市街地でトラックとカーチェイスをする仕事モードの落差も楽しい。だが、監督が今回は脚本を兼任しなかったことが響いたのか、「ファイナル・プラン」を引き継いだ引退の主題よりもリベラルな記者との関係が前景化する中盤から映画は失速。以前ほど動けないニーソンのアクションを際立たせるための工夫も、質・手数ともに同作には及ばず。
ほとんどが簡易トイレ内部という非常に限定された空間で展開される物語は単調で、集中力を保ちながら見続けるのは困難。爆発が間近に迫っている状況下でもほとんど焦ることなく可能な脱出策を淡々と探り続ける主人公の姿勢が、かえってサスペンス性を削ぐ結果を生んでいる。デジタルな機器や建築家という設定を生かしつつなんとか目先を変えようとする意図は端々に感じられるものの、必要以上にB級的な過剰さを強調するような人糞や血をめぐる演出も空回りしているとしか思えず。
かつて物語は混乱を鎮める唯一の方法だった。昔は未知の力に人は名称をつけて神話を語った。神話とは遠い昔知り得たことで、科学とは今知り得ることである。そして遠からず創造の物語は科学の語りに取って代わられるだろうと、この映画の物語論の専門家は言う。しかし愛は科学で語ることができるだろうか。いまだかつて解き明かされておらず、そして今後も解き明かすことができない愛という未知の力を知るためには、いつまでもラブストーリーが必要なのだと、本作は語っている。
根本的なところからわかり合えない映画だった。最強に“変”で馬鹿馬鹿しい行動がマルチバースをジャンプする燃料になるという設定だが、おかしなことをやると宣言してからおかしなことをすること以上に滑稽なことはなく、作り手は、これが最強に変で馬鹿馬鹿しい行動だと思っているのか……と、見るたびに気持ちが離れていってしまった。また、いろんな世界をごちゃまぜにしなくても、この一つの世界、人生のなかにとても豊かなカオスを見出す、そういう姿勢のほうが私は好きだ。
自分の妻や娘を誘拐されがちなリーアム・ニーソンは、誰かを救出するアクションスターと言えるかもしれない。そんな彼が本作では潜入捜査官を救うフィクサーを演じている。なるほど今度は自分と似たような者を救う役どころかと思っていると、やっぱり妻と娘が行方不明になってしまうのだから相変わらずだ。ただし、正直だいぶアクションのキレは衰えを感じさせる。また、それ以上に映画の構成自体にキレがなく、ハイライトがどこかもわからないまま気づいたら映画は終わっている。
気づいたら仮設トイレのなかで倒れており、しかも手のひらが鉄筋に貫かれて抜け出せない男という、ほとんど不条理なワンシチュエーションものの映画だが、それにしても状況を男にも観客にもわからしていく手筈の工夫のなさがとても気になる。フラッシュバックを多用し、都合よく過去の出来事を見せたり、空想で他の登場人物と絡ませてしまうのならば、あえて限定した空間を設定した意味はどこにあるのか。痛々しかったり下品な描写もあまりうまくいっていないようだ。
ジョージ・ミラー待望の新作。にしては思いの外地味で単調で退屈だ、と感じる向きもあるだろう。とはいえ、個人的にはこの物語、なぜか無性に心惹かれた。シェヘラザードの時代から、人はなぜフィクションを、物語を欲するのか。その原点に真正面から向き合わんとする、覚悟にも似た思いがひしひしと伝わるゆえか。これはある意味、暦が還るほど年を重ねた大人が縋るイマジナリー・フレンドの物語。マスクをして一人、ロンドンの地下鉄に揺られる主人公の孤独に、コロナ禍の寂寞を見た。
なんと絢爛たる、極彩色の、めくるめく多次元宇宙人生曼荼羅! ミシェル・ヨーはじめキャスト各人のきめ細かな全身芸も、日常からとんでもない宇宙へ吹っ飛ばされる浮遊感も、引用される「花様年華」も「2001年宇宙の旅」も、すべてが時の重みを伴って愛おしく、芯の芯へとブッ刺さった。極限まで削ぎ落とされた、石と石の禅問答。そこに浮かぶ哲学。何周も廻って今、目の前の現世だって悪くない、という慈しみ深いメッセージ……。一度では味わい尽くせぬ怪作にして、快作哉。
齢70を数えるリーアム・ニーソンが演じるは、愛娘が鍵を握った「96時間」シリーズへの返歌とも言える、愛する孫と余生を過ごしたいと願うリタイア目前の秘密捜査官救出人。全盛期のアクションは厳しいという前提のもと、強迫神経症に悩まされる、往年のキレを失った主人公という設定は十分ありだが、それならばそこをしっかり補うべく人物描写やアクションの見せ方、脇を固める面々の配置に捻りと工夫が欲しいところ。何よりラスト含め、要の場面を丸々端折る演出に大いなる疑問が。
いかにも新鋭監督らしい、ワンアイデアの力業光る野心作。実際、中盤あたりまでは、狭い簡易トイレ内で次々試みられるスマホや伸縮型定規、鏡、腐ったサンドイッチ、壁の穴から覗き見えるウサギ等々、あらゆるものを駆使した苦し紛れの脱出作戦のあれこれが面白く、惹きつけられる。が、問題はいよいよ終局という段になってから。あまりにくどい悪手の畳み掛けに、そこまで膨らんできた思いが一気に消沈。定石を裏切りたいという意欲はわかるものの、何事も中庸が肝心、か!?