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高層ビルの隙間に取り残されたドヤ街みたいな場所から話は始まる。乱闘、叫び声、押し寄せる人の群れ。夜になってもその暴動は収まらない。ドキュメンタリータッチの荒々しい映像は、本当にそこに暴動が起こっているかのようだ。薄暗い部屋、若い刑事と人妻の濃厚な絡み合い。ふたりの息遣いがエロい。旦那のDVも凄まじい。タバコの火を押し付けたりとか、痛々しくて見ていられない。描写がとにかく冴えわたっていて、迫力がある。最初から最後までワクワクしっぱなしだ。
スパイの女の子がかわいすぎる。手とか小さくて子供のようだ。こんなスパイいる? 彼女は暗号担当。チームの頭脳。ちゃんと設定があって納得する。列車の中で男の首を締めるとき、クルクル宙を回って相手をやっつける。重苦しい題材の中にちゃんとエンタメアクションがある。敵方のおっさんは冴えないオヤジなのにやたら機転が利く。ひたひたとスパイたちを追い込んでいく。騙し騙されの応酬。嘘がいつバレるかのドキドキがずっと続く。何発撃たれても死なないのはご愛嬌。
主人公の女の人が全然楽しそうじゃないのがいい。寝台列車の同室になったスキンヘッドの若い男。挙動不審で酔っ払って卑猥な言葉を投げかける。最悪だ。男は物陰から飛び出して女の人をびっくりさせたりと、全然空気が読めないやつ。女の人が少しずつ男に心を開いていくのが可愛い。騙されたりうまくいかなかったりで最低の旅が、男の不器用な努力によって徐々に変わっていく。女の人がこっそり男の寝顔をノートに描いていて、それを渡すくだりが本当に可愛くて好き。
周囲からバカにされている貧しい農民の男と小便を漏らしてばかりいる変な女が結婚する。とにかく不器用な二人。人間と向き合うと極度に緊張した顔になる。ロバといるときとかツバメの巣を見ているときはいい顔になる。夜。土砂降りの雨。粘土のレンガが濡れないように二人でビニールをかける。強い風。なかなかうまくいかない。びしょ濡れで転げまわる二人。ヤケっぱちの泣き笑い。初めて女は笑顔を見せる。二人で川の中に入り女の背中を掻いてやるシーンが妙にセクシーだった。
映画祭で以前見たときも心惹かれたが、改めて良作である。「完全版」という形で公開できたことがまずは嬉しい。怪しげな三角関係から始まる愛憎サスペンスはどこに行くのか。今はもう取り壊されてないであろう「村」の暴動からはじまり、駆け抜けるように時代を生きる男女。「物語」に綺麗に集約してしまえないほどの情報量と熱量が画面から押し寄せる。アクションシーンも多く、まさに一緒に駆けていくかのような体感をこの映画はもたらす。とても無傷ではいさせてくれない。
生々しい拷問シーンが多くついつい薄目がちになってしまう。革命には血が流れる。大勢の人が死ぬ。星取りでも繰り返し言ってきたことだが、それを新作として作られることに対して、手放しに賛美することはできない。中国映画第6世代の映画作家ロウ・イエと第5世代の本作監督チャン・イーモウの作品をほぼ同じタイミングで観ることで考えさせられることは多い。完成度の高い映画ではあるものの疑問も残る。中国という国が何を見せたいのかは「崖上のスパイ」からよく伝わってくる。
完全に心を摑まれた。気が付いたら目が熱くなり涙がボロボロ溢れ出ていた。ラウラが続ける、不快で不穏で孤独な旅が、まさかこんな結末を迎えるとは。この旅にはまるで終わりがないかのようで、始終死の匂いが漂っているように感じられた。ふたりが死に場所を探して彷徨っているようにさえ感じられた。感情のちょっとした動きが表情や会話の中から色濃く鮮やかに伝わってくる。二人の間に芽生えたかすかな感情はとても温かく、冷たい氷を溶かしてゆく。いい意味で裏切られた。
ささやかな生活のなかから他者を思いやる気持ちがじんわりと温かな熱をもって伝わってくる。突然決められた結婚、突如奪われた家、ある日いなくなってしまう妻――とても静かで穏やかな時間のなかで唐突に目まぐるしい変化がやってくる。それでも確実に変わらないものがあるということは、せっかく作った日干しレンガが嵐によって壊されても笑っていられるふたりのあのシーンに象徴されるだろう。新世代のリー・ルイジュンが本作を撮ったということに中国映画界の希望を感じる。
経済発展の矛盾を体現する冼村の景観に着想を得たとはいえ、監督がこの土地から立ち上げるのは痴情のもつれに収斂する陳腐な通俗劇でしかない。ジャンプカットの多用に加え、異なる時制を小刻みに入れ替えながら進むモザイク的なナラティヴはそうした通俗性に与えられた意匠だろう。トラックの荷台をガラス張りにして、走るショールームと化した車。本作の山場は、ヤンとジャンの対決によって、この虚飾と展示の象徴が破壊されるくだりに設定されている。衒いのなさこそ娯楽の条件。
緊張感に欠けるサスペンスの演出においては拙いスパイ映画であり、覇気のないアクションにおいては活劇のなり損ないであり、主題の政治性を骨抜きにしている点ではシリアスな映画としても通じない。おそらく多くの観客がこの映画を目にして落胆することだろう。しかし、これは「失敗作」ではないのだ。失敗は傑作を目指すという野心があってはじめて成り立つものだが、この映画にはそもそも野心が欠けているからである。野心のなさはときに美徳というけれど、それはまた別の話。
受け入れられることが前提になっているから、知識人層のひとりよがりなファンタジーの域を出ないように思う。フィンランドからモスクワに留学しているラウラは大学教授のイリーナと付き合っている。だが、インテリに対して憧れる彼女が長距離列車のコンパートメントで同室になったのは炭鉱夫リョーハ。ウォッカに煙草、そしてセクハラ。はじめは粗野な彼に嫌悪感を覚えるも……、という物語。あとは予想通りの展開である。映画はストーリーではないというけれど、それはまた別の話。
この映画の原理は前半で示される。「ショットはフレームによって作られる」と「ショットは単一で完結しない」の2点である。前者は確かなフレーミングに明らかであり、開口部や窓や鏡を使って画面分割を配した巧緻なコンポジションに極まる。後者はパンや切り返しが必ず「発見」を伴う点に顕著であり、編集に存在意義をもたらしている。そして、後半では、このフレームという概念に「家」という実体が与えられるわけである。夜半、夫を迎える妻が抱えるランプの揺れの美しさ。