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原「ハムレット」+「コナン・ザ・グレート」=本作。ファンタジーというよりフェティッシュで呪術っぽい意匠を強調するのが独創的。そういう伝説(サガ)の伝統がずっと昔からあり、それを汲み上げて新たな物語にしつらえるわけだ。拉致される主人公の母親にはまた彼女なりの思惑もあって、妙に現代的な感覚なのが絶妙。もっともリチャード・フライシャーのファンから見るとアクションが弱い。主人公を殺せるときに殺さなかったのも、話としては分かるが演出が伴わず間が抜けている。
ヴェネチア国際映画祭脚本賞受賞の逸品である。読者の皆さまにはぜひ見ていただきたいが私はこういう映画は「痛くて」ダメ。という意味はご覧にならなきゃ分かるまい。それにしても指一本でも痛いのに、あれはやり過ぎでしょ。誰にとっても得はない。それが自分でなく相手を傷つけるための行為というのが本当に解せない。海の向こうで戦火が上がり、舞台は20世紀20年代のアイルランドの孤島。ということになると何らかの寓意がそこにはあるのだろう。寡黙にして孤高の映画。
本作の発想が「ホーム・アローン」と「ダイ・ハード」なのは言及があり容易に分かるが、そこにジェームズ・バリー原作「ピーター・パン」(監督ハーバート・ブレノン)が加味されているのがニクい。ダーク・ファンタジー風味で、世にいわゆるバッド・サンタ映画は数あるが、ここまで容赦ないのは珍しい。それが質の悪いジョークでなしに良心のスジの通っているところを評価したい。これを見て「サンタさんてホントにいるんだ」と悪者連中が思ってくれたらこんな嬉しいことはない。
原題「マス」がカトリックのミサのことだとこの作品で初めて知った。終わり方の意味がそれで分かる。壁にかかっている絵がシスティーナ礼拝堂天井画の〈デルフォイの巫女〉だというのも悪くない趣向。とはいえトリッキーな仕掛けはない。予備知識なしで見るほうがいい。後半佳境に入ると突然シネスコになるのは、本来なら画面が横に広がってこそなのだろうがメディアの限界で惜しい。ジョン・カサヴェテスが「アメリカの影」で試みた演技セッション映画の現在進行形と言える傑作。
ロバート・エガースは「ライトハウス」について、ふたりの男が巨大なファルスに閉じ込められて男性的な衝突が生じてゆく“マスキュリニティ”の物語だと語っている。本作は復讐の名のもとに過剰なまでの男性性が暴発してゆく作品ともいえるが、決して無邪気に扱われているわけではないだろう。しかしこのスペクタクル大作を経て、エガースには「ウィッチ」や「ライトハウス」といった過去作のように、アートハウス系映画でその作家性と美学を追求していってほしい気持ちも拭えない。
マーティン・マクドナーの過去作である「スリー・ビルボード」でも炎上が何度も起こるが、本作でもやはり炎上が重要な意味を担う。映像に意匠を凝らすというよりは、アイルランドの風景の美しさを実直に撮っている印象を受ける本作では、画面の面白さよりも画面で起きていることの可笑しさに懸けられている。劇中でも言明されていたように内戦が勃発していた1923年という時代設定にあって、友人関係に突如訪れる分断と諍いはその比喩なのだろうが、恋愛関係の比喩のようでもある。
クリスマスの雰囲気を醸す美術の作り込みの美しさを十分堪能させてから一変して、それらの装飾品が質の高いアクションとともに凶暴な武器と化すさまが視覚的に楽しい。「ゴーストバスターズ」(16)では、かつて女性俳優ばかりが担わされていた「セクシーなだけで無能」なポジションをクリス・ヘムズワースが務めていたが、本作のキャム・ギガンデット演じる男性キャラクターもそれと同枠であり、かつ守られる女性が一人も出てこないという点で、従来の性役割が反転されている。
教会の小さな部屋に集まった銃乱射事件の犯人の少年の両親と、彼に殺害された少年の両親。彼らが「対峙」すると、ほぼワンシチュエーションの会話劇が展開されてゆくが、意匠の凝らされた編集とカメラワークで緊張感は決して途切れない。切り返しの単独ショットが続いてゆく末に、同一フレームのなか妻同士が抱きしめ合う終盤に唸る。サスペンスフルな演出に着地をどう迎えるのが最後の最後までわからなかったが、難しいテーマでありながら正攻法で赦しと癒やしの物語に挑んでいる。
正月休みでゆるんだ身体に血潮をめぐらせてくれる、これぞ映画という体験であった。自分が一体何を見ているのか、とにかくわからない。ハムレットを想起させる復讐譚ということはわかるのだが、安易な理解をこばむ出来事たちが淡々と積み上げられ、それが世界そのものに近づいていく。ビョーク演ずる魔女の切り返しなんて何? そして恐ろしいことにこれらのカオスはロバート・エガースの高度な演出によって隅々までコントロールされている。こんな監督がアメリカから出てきた驚き。
今回もマーティン・マクドナーの照準は世界のどこかでいつのまにかはじまり、歴史の中で延々と繰り返されてきた由来不明で理不尽な暴力との対峙にある。情報処理愛好家たちの大好物である物語もリアリズムも関係性も置き去りにして主題だけがむき出しにされた本作は、ともするとカフカ的な何かだの不条理劇だのとまとめられかねないが、厳密に構築されたサウンド・デザインが本作を特異な映画として屹立させている。しかしコリン・ファレルは世界一アイルランドの岸壁が似合うね。
「バッドサンタ」や「ダイ・ハード」など本作がオマージュを捧げたであろう名作クリスマス映画の面白味をほんの少しでも咀嚼出来ていたならば本作も悪くはない映画になっていたであろう。だが結果として出来上がってきたのは、どうやって金を稼いだのかもよくわからない金持ち一家のために理由もなく暴力をふるうまったく魅力的でない怪力サンタクロースである。セットアップすらまともにない脚本と学芸会レベルの猿芝居にはサンタさんを信じている世代でもついていけないのではないか。
重大事件を起こした少年の家族と遺族が教会の一室で語らう。「ブレックファスト・クラブ」の暗黒面とでも言うべきか。ワンシチュエーションの設定ながらもシナリオは良く練られており、俳優の熱演も響く。とくに前半の探り合いの会話が核心の事件に至るまでの細やかな演出と展開は実に繊細でスリリングであった。となると、今さらやり直しがきかない過去の出来事に関して嘆くのは「無意味」であるという「論理」を覆す決定的な何かを期待しながら見てしまうわけだが、そこはあと一歩か。