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意外な起源から熱狂の70〜80年代を経て現在にまで至る香港カンフー映画の歴史が、レジェンド俳優やベテランスタントマンたちの証言と、彼らが肉体を限界まで酷使した名場面の膨大なアーカイブとともに振り返られる様は圧巻。なかでも、黄金期にどこまで派手で危ないことができるかを競い合うかのようにエスカレートしていった命懸けのアクションを、ゲラゲラ笑いながら関係者たちが振り返る中盤は白眉。CGに頼らない迫力を追求した彼らの狂気すれすれの覚悟と矜持に痺れる一本だ。
スマホをフル活用しつつ意外性のある転調が続く終盤はなかなか楽しめたものの、複数ジャンルにまたがる要素を詰めこみすぎた結果、かなりの長尺となってしまっている点はいただけない。後半への伏線を考慮しても刈り込める部分はあったはずだ。また、エンタメとして成立していれば良いという考えもあろうが、登場人物たちの防疫に関する認識の粗雑さは、コロナ以降のバイオテロ映画としては致命的ではないか。「トップガン」の敵役のような自衛隊描写は色々な意味で興味深かったが。
資本の論理に従うのか、採算を度外視しても尊厳を守ろうとするのか。葬儀屋という仕事を軸に、階級問題をはじめとして障害やDVのテーマまで盛り込みつつ、困難な時代にあって人間らしい生き方を模索する姿勢は買いたいが、いかんせん演出が稚拙すぎる。特に設定上最も重要なのが明らかな野外の葬列場面での露骨に雨に頼った安直な撮り方は、もう少しなんとかならなかったのか。「太陽は光り輝く」のレベルとまでは言わずとも、もっと大事に撮るための工夫はあって然るべきでは。
言ってしまえばインド版「ニュー・シネマ・パラダイス」なわけだが、子供たちがフィルム上映の魔法に目覚めていく展開が胸を打つ一方、監督のボリウッド映画への愛着はさほど伝わってこない作りになっており困惑。線路を走る見慣れない小型の四輪車など様々な乗り物の運動を捉えたショット群は、リュミエール兄弟など初期映画への目配せなのだろうが、今ひとつ決まっておらず、タラにまで言及しておいてシャマランを無視するラストも不可解。ただ、料理描写はいずれも至高。
香港アクション界のレジェントたちのインタビューや抜粋映像によって、当時の香港映画のアクションを振り返る。美しく、また笑えるような肉体の躍動と日常的な空間をアクション映画の空間にするアイデアなどは見ていて、とても楽しい。そうして楽しく全篇見ていられればいいのだが、多くの人物が当時の危険なスタントを武勇伝のように自慢げに語る姿に戸惑いや違和感も覚えてしまう。しかし、そう思って純粋に楽しめない感覚になってしまうことが、現代的なような気もしてくる。
航空パニックものは大好きだが、140分超えはさすがに長すぎる。フライト中の機内でウイルスを撒き散らし、乗客を感染させるという展開は、コロナ禍以降の世の在り方を容易に想起させるだろう。ただウイルスは目に見えないので、せっかくの特殊な空間を生かしきれていないように感じる。案の定、空間や運動ではなく、感情のパニックを捉える方へと映画の軸はシフトしていく。感染を拡大させないため、感染者たちが見せた自己犠牲の精神を誇り高く描く様には頭を抱えてしまった。
生きる希望を失いかけている息子と父の家族が、わけありだが明るく前向きに生きる母と娘の家族と、貧困者たちで支え合いながら生きる疑似家族という2組の家族と接し、次第に希望を取り戻していく。絶望の淵にある男性へ生きる希望を与える女性のマニックな描き方に疑問も持ちつつも、3組の異なる家族を一挙に描き、そこに社会問題も入れ込んでいく様は意欲的にも見える。しかし最終盤は、さまざまな事柄をオフの説明セリフによって、性急に結び付け、片付けた印象を持った。
「ニュー・シネマ・パラダイス」に酷似してはいるが、本家にあった強烈な映画への郷愁は比較的抑えられており、そのかわりに本作ではインドの文化や風習などを存分に利かせる。映画の本筋とはあまり関係のなさそうな、インド家庭料理のチャパティとスパイス料理の執着はすごく、確かに美味しそう。また、子どもたち同士で映画館と映写機を作ってしまう、見る者の少年心をくすぐるはずの秘密基地づくりシーンは、映画館の完成度が高過ぎて、くすぐりきれていないところが惜しい。
ダンダンダンダン、と四つの長方形が「G」を築くゴールデンハーベストの開幕に心躍らせた身には、たまらない一本。ブルース・リーに始まる映画史を変えたスターの足跡と、その裏で人知れず血と汗と涙にくれた、スタントマンたちの日々の熱闘。80年代、チーム同士の熾烈な競争が、命知らずの挑戦を加速させてゆく過程には、ただ息を呑むばかり。今では考えられぬ野蛮で狂った所業だが、「ノー」と言わず時代を走り抜いた彼らの今の姿、笑顔、重ねた年輪に、心からの敬意と感謝を捧げたい。
ほぼ終始、観る者も乱気流に飲み込まれ、全身揺さぶられっぱなしの141分。機内で起こるバイオテロ。その得体の知れぬ怖さと、無条件に巻き込まれてゆく人々の無力感が、国を越えてリアルにわが身へと響く。さらに、情報ばかりが溢れ、異なる価値観が対立し合い分断を生むことの混沌と不毛までが意図的に描き出される。その点に、コロナ禍に公開される意義を強く感じた。陸のガンホと空のビョンホン、各人の死闘も遥か想像を超え、最後まで着地点が見えず。鑑賞後は、ヘロヘロに。
アン・ソンギが語る。顔で。肉体で。あるいは、気を含めた存在として。韓国の葬儀で古くから使われている花喪輿を飾る「紙の花」(原題)を手慣れた様子で作り出す、熟練を感じさせる手。黙したまま現実の理不尽を浴びる、眉間の皺。貧しく、弱き者同士の心の交流を描く本作は、ベタと言えばベタな映画だ。それでも、わけありでありつつ天真爛漫な母を演じるユジンや主人公の息子役のキム・ヘソンなど、演者の力で静かに魅せる。闘病を明かしたアン・ソンギの復帰を強く願いつつ。
自分以上の映画好きはいないと語るパン・ナリンが脚本を書き、監督した、映画愛に満ち満ちた自伝的作品。子どもと映写室の掛け合わせを見るまでもなく、イタリアの、あの映画を露骨に思い起こさせる。映画という“光”に魅了された少年は無垢で愛らしく、母の作る手料理は色鮮やかで美味しそう。こだわりの光の描写も繊細で、実に美しい。だが、最後まで少年が監督の大人の目線や思惑通り右に左に動かされるコマにしか見えず、鼻白んだ。自身の郷愁を引いて撮ることは難しい。