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前作は未見。だから贋作陶芸家としての佐々木蔵之介の腕が分からないのだが、贋作で必ず騙せるというお約束に乗れなかった。そんな簡単でいいのかと。それは劇中、霊感商法に騙される人も同じ。いや、本物も偽物もない、所詮人間の価値観が生み出すものでしかないというテーマは分かるのだ。ただ旧統一教会問題の前に作られたとしても、やはり霊感商法を扱う最低限の礼儀みたいなものは見たかった。テレビのスペシャルドラマなら拾い物。だが前二作を観たいとはついぞ思わなかった。
前々号で本作を面白いと書いたが、批評前提で観返して、評価を改めたい。元カノと今カノが共闘して彼氏をやっつける話なのだが、なぜ共闘するかが描かれていない。しかも元が今に近づいたのは、あなたみたいになりたかったからだとキスをするに至っては意味不明。もちろん人間は多面的だし、理に適った行動だけをするワケではないが、それに甘えてドラマを作ってはいけないと思う。城定の演出力と役者の魅力に一度は騙されたが、基本は脚本だと改めて。映画は作るのも観るのも難しい。
浅い。ブラジル人を守るため、役所広司は自ら半グレに刺される。「グラン・トリノ」と同じじゃないか。半グレのボスは街の有力者の息子。「野性の証明」か。息子を失い、他人の子と擬似家族になるラスト。「グエムル」じゃん。いつかどこかで見た設定。しかも10年以上前にやられている。在日ブラジル人、海外テロ、社会問題も人間もすべて深掘りされることはない。この時代に敢えてファミリアと家族を謳うなら、新しい価値観を見せないと。浅いだけじゃなく、安い。どうした、成島出?
脚本家の監督作品なのであえて強く書くが、脚本がダメ。会話劇なのだが、会話の面白さを狙っているだけで、そのシーンで物語も人物の感情も次へ動いていかない。一例を挙げるなら、前野朋哉の失恋話。話を埋めるためだけにあって、プチ対立、あっという間の邂逅と何も機能していない。短篇アイデアなんだよね、基本が。だいたい死んだママがドラァグクィーンなのを隠そうとする一人相撲からして、もうバカらし過ぎて。どれだけ役者が頑張っても、一スジ二ヌケ三ドウサは変わらない。
うさんくさい霊感商法で繁盛する財団と、バブリーな博覧会実行委。それぞれから持ち上げられて調子に乗っていた古美術商・中井貴一と陶芸家・佐々木蔵之介が、ポイ捨てされるや一転して大嘘で逆転を図る。うだつのあがらない中年コンビが「夢なんて儚いものよ」とうそぶきながらコンゲームに挑む姿に、武・今井・足立のシリーズ3作目のゆとりを感じる。財団の姉弟の成り上がり話に秀吉と大阪の夢を重ねるのはやりすぎという気がするが、そんなおめでたさも正月映画らしい。
前カノと今カノがひそかに協力して、女性関係にだらしない彼氏をやっつける。物語の面白さはオリジナルのパン・ホーチョン監督「ビヨンド・アワ・ケン」の面白さにほぼ尽きる。ただ松本穂香と玉城ティナという対照的なキャラクターが際立っていて、飽きずに楽しめる。松本のストーカーぶりは恐怖さえ感じさせるし、玉城はドキッとするほど妖艶。城定秀夫の演出が冴えている。シスターフッドに目覚めた二人の女性の来し方行く末が「恋のいばら」というのも塩が効いている。
いわば日本版「グラン・トリノ」。いながききよたかの野心的な脚本と映画化を実現したスタッフ・キャストに拍手を送りたい。赴任先のアルジェリアで国際結婚した息子をもつ陶工と、排他的な半グレの暴力に苦しめられる在日ブラジル人たちの出会いと共感。そんな大胆な設定の物語を豊田市の団地を舞台にリアルに描き出す。役所広司が主人公の心の軌跡を繊細かつダイナミックに表現している。成島出監督も団地と土地の匂いを逃さずとらえ、硬質なドラマに血を通わせている。
孤独に死んだLGBTQ+の先輩を見送るために東京から岐阜・郡上八幡の実家へと向かう3人のドラァグクイーンたちのロードムービー。滝藤賢一、前野朋哉、渡部秀という芸達者な俳優がそれぞれに個性的なドラァグクイーンを演じている。感情の起伏を極端に誇張したコメディタッチのドラマがなんとか前に進んでいくのは3人の俳優の手柄だろう。女装するという行為を「隠す」ことと「明かす」ことを巡る人情噺というのはわかるが、いささかくどく、テンポが悪いのが残念。
シリーズも3作目を迎えて試行錯誤の末なのかもしれないが、ある幻の名品をめぐり別々にオファーを受けた迷コンビが、それぞれ欲望や思惑に駆られてニアミスを繰り返す前半は、さすがに軽すぎる霊感商法のドタバタ描写も災いし、幾分もたつく。需要と供給のバランス次第で価値が変動する美術界へのシニカルな鋭い視点と、そんな業界の盲点を逆手に夢を掴もうと奮闘する男女にまつわる甘めの人情話が乖離した印象を与えるためか、幾重にも仕掛けを施す結末の切れ味まで鈍った感も。
SNSの浸透などで、何でも曖昧なまま既成事実化されてしまう昨今の世情の異様さを、ひねったラブコメディのかたちで、ブラックユーモア満載に炙り出す意欲作とは思う。いびつな共闘関係を育むシスターフッドものとしての妙味は光るものの、ふたりを結ぶ彼氏にまつわる描写が、狙いとは思いつつあまりに表面的であるがゆえに、カタルシスが期待値を下回る。相変わらず絶妙に薄っぺらい中島歩と、衰え知らずの乙女心を軽妙かつリアルに体現する白川和子が、チャーミングに場をさらう。
何の罪もない人間が呆気なく生命を落としてしまう、不穏な現代社会への憤怒が全篇に漲ってはいるが、その象徴のごとき半グレ集団のリーダーにも、単なる逆恨みに留まらない行動原理を与えないと、大切な存在を亡くした者同士の齟齬から生まれる暴力の悲劇性が、いまひとつ際立たたないように思われる。「グラン・トリノ」を彷彿とさせる終盤の展開も、まだ枯れるには早すぎる現役バリバリの役所広司ゆえ、本作ならではの着地点を、とことん追究してみてもよかったのではないか。
旅する3人にとって、故人が恩人であることが前提のはずだが、アッコちゃんさながらのコンパクトにまつわるエピソード以外は人となりを想像させることもなく、その存在感や影響力がいまひとつ伝わってこないため、ロードムービーの情感に欠ける。踊れなくなったドラァグクイーンの再生話としても、なぜ行きづまり、失われかけていた誇りを取り戻すに到るのかの経緯が不明瞭で、母の愛を茶目っ気たっぷりに体現する松原智恵子の名演をもってしても、腑に落ちないものが残る。