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“彼”がどうやってジョン・レノンになったか、という記録映画で必見。出自の社会的な背景が深い。ただし行方をくらました父親とか、少年時代を一緒に過ごせなかった母親とか、伝記的には重要だが話題はそれだけのことになってしまう。音楽的には、プレスリーは当然としてハンク・ウィリアムズの影響が濃厚というのに納得する。ギターじゃなくバンジョーから入ったというのも面白い。そしてそこは母親経由だというのがなるほど、と。やっぱり音楽の件をもっと掘り下げたかったな。
今年はワインの当たり年か。立て続けに関連映画が続くね。その中で今回のはブラインド・テイスティング選手権(銘柄や生産年を味と香りだけで当てる競技)にスポットを当てる。王道と言えば言える。ただし主人公は故国ジンバブエから南アフリカに逃れた難民で構成された四人組。ここが異色。オーストラリアと並び、近年南アフリカは優秀なワイン生産国としてのしてきたものの、ジンバブエにはワイン文化はないそうだ。四人それぞれの立ち位置が面白くチーム感覚の醸成具合も良し。
ホラーかと思ったらネタバレ厳禁サスペンスで紹介が難しい。しかし冒頭揺れる波間に人間の顔が浮かび上がったり、ダブル・ミーニング絵画として有名な「髑髏と鏡の女」を再現したり、画面の凝り方は評価できる。原作者は、あるいは綾辻行人の新本格推理から影響を受けているのかな。主要登場人物の本名とネット上のハンドルネームの食い違いが面白い効果。これ以上は書かない。小説(文字)がカギであり映像じゃないのだが画面ではネット動画の拡散みたいな印象。却って中途半端。
名曲〈リアリティ〉がディスコでかかり、監督は「ラ・ブーム」世代か、と嬉しくなる。もっとも、アンチ「ラ・ブーム」かも。主人公女性の生臭さはハンパじゃないし。ソフィーちゃんとは違うね。20年製作らしいが、物語フィナーレは22年設定のようだ。コロナ禍のひとまずの収束を祈願しての処理かな。誰もマスクしてないもん。その時代の風俗や事件に詳しかったらさらに楽しめたのだろうが。人生は肯定されるべきものだとしても転向を丸ごと良しとするのはどうなんだろうか。正直疑問。
ジョンがビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインに一張羅のスーツを着せられるまでの個人史を周辺人物へのインタビューや資料を通して描いたもの。そのなかでも特に彼の幼少期の人格形成に関わる事柄とポールとの出会いに焦点が当てられている。邦題には「真実」という言葉が使われているが、この映画は一般的に流布しているジョンの人物像を転覆するものではない。露悪的な暴露こそないとはいえ、悲劇的な出来事を彼の人格に結びつける物語にもそろそろ飽きてきた。
ワインのドキュメンタリー映画を私がこの枠で取り上げるのは3作目だが、これまでの2作品だけを見ても、やはり映し出される人の多くが中年男性かつ白人で、経済的にも豊かな階層であった。この映画には、はっきりとワインの世界は多様性が乏しいと批判する局面もあり、ワインをめぐる文化が孕むそうした特権的なイメージを打ちこわす。そして、決してワインのみに焦点を当てるのではなく、チームのひとりひとりの抱える現実的に存在するカネや生活の問題まで俎上に乗せる。
既視感しかえられず、面白みを見出せない。ネット小説と現実がリンクし合う恐ろしさも、現代では目新しさに欠けてしまう。「ネットに夢中になってはいけない」というメッセージにしても、プロパガンダ的なものを感じてしまった。中国資本による制約がかかった映画であっても、たとえば公開時期の近いところでは「シスター 夏のわかれ道」など、それを巧妙にかいくぐって高いクオリティで仕上げている作品や、むしろ逆手にとって面白くしている作品なども多数あるので余計に。
前回星取りで取り上げた「泣いたり笑ったり」と同じく、この映画もまた、どこまでも陽気で明るいイタリア映画だが、物語が進んでいくにつれ登場人物たちのあまりの利己的な言動や行動に気疲れしてしまうのも否めない。ヒロインはガブリエレ・ムッチーノの過去作「パパが遺した物語」のヒロイン像とおそらく同型。40年間に社会で起きた事件の報道映像が要所要所で映し出され、彼ら彼女たちが繰り広げる恋愛模様が政治的な事柄と絡み合うかのような手つきの恋愛映画なのが良かった。
ロンドン以外のイギリスの街について筆者はほとんど想像したことがなかった。リヴァプールといえばビートルズとアンフィールドの街だというくらいで、アイルランドやアメリカ、アフリカ、中国などのさまざまな文化が流入し、混淆する港町だということはつゆ知らなかった。ポールがビートルズのポップさを担っていたとするならば、ジョンが担っていたバンドの混淆性や外部への意志というのはこの街の歴史が育んだものなのかと思うとなんとも興味深く、近々訪れてみたくなった。
またもワイン製造のドキュメンタリーかと思いきや、未知の景色に満ち溢れた至上の映画体験であった。ワインという西洋の伝統文化を非西洋の国から来たソムリエたちがジャックするという、ともすると危ういオリエンタリズムはシステムを内側から突き破るための第一歩として必要で、何より、世界中の人々の数だけ人生があり、それらはいずれも等しく尊く絶対的に肯定されるべきだという当たり前のことを当たり前に描いている映画が今日日どれくらいあるだろう。本作はそんな一本である。
中国製作なので色々なしがらみがあったことは想像に難くない。しかしこれではいかんせん古い。既視感のある演出の雨あられである。そもそもJホラーは非西洋的な脈絡のなさ、わからなさに面白さがあったように思うのだが、近年筆者が散見するJホラー的なものはどうもそのわからなさや脈絡のなさをつきつめずに開き直っている節があるように思われる。伝統芸能に堕したとでもいうか。ちなみに、添付されていた監督による制作日誌は日中の映画制作の違いが見え、この上なく面白かった。
幼なじみ四人の人生とイタリアの現代史を照らし合わせる。三人の男性が唯一のマドンナを取り合うという前時代的でマッチョな成長譚の設定はあえてではなく制作者の美意識的なレベルにおいて選択されたように思われ、個々の関係性の背後にある複雑な人生が丹念に描写されるわけでもないので、しばしそれぞれの感情の高ぶりに置いていかれる。また、ほとんどのカットが語りを推進するためのものなので、映画とは撮影された演劇にすぎないのか、いやはや、そんなわけがないと懊悩した。