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収容所へ運ばれる途中、全員トラックから降ろされ並べられる。パンパンと乾いた銃声。バタバタ人が死んでいく。無残極まりない。男は殺される寸前わざと前に倒れる。咄嗟に嘘をつく。ペルシャ語など喋れないのにペルシャ人だと言い張る。その嘘がいつバレるか、そこがサスペンスになっていく。いくつもの偶然に助けられながら男は、窮地をなんとか逃れる。言っちゃえばそれだけの話。男のキャラクターがよくわからない。どこかでわかるのかと思ったら最後まで謎だった。
長い金属の棒をアソコに突っ込む。ひたすら痛い描写に目を背けたくなる。妊娠した女の子があの手この手で中絶しようとする。誰に相談しても拒絶される。彼女がだんだん追い詰められて突飛な行動に出る。そのアクションに息を飲む。次に何をやらかすか。いっときも目が離せない。法律で中絶が禁止されるだけで、女性がこれほどまでに苦しめられるのか。驚いた。周りの男たちは最低なやつらばっか。相談に乗るふりして「やらせろよ、妊娠するリスクはないだろ」とかホント最低。
人の形をした生き物?がペチャンペチャン潰されていくのが気持ちいい。地獄みたいな地下の世界。男が何かを探している。あちこちで気色悪いやつらと出会う。追いかけられたり襲われたりはしない。何も起きない。男がただ見ているっていうのが妙に面白かった。ゲロ、うんこ、血まみれ。臭ってきそうな汚い場所をどんどん歩いていく。お化け屋敷を歩いているみたいだ。迷路に入ったような不安な気持ちになる。血まみれヌルヌルで暖かい世界。なぜか懐かしい気持ちになった。
手持ちのビデオ画面。砲撃の音。煙。叫び声。何よりそこに集まる人々の顔、顔、顔。名もなき市民の顔がしっかり映されている。撃たれても踏み潰されても抵抗することなくただそこに居座り続ける彼らの顔がずっと頭に残っている。刻々と変わる状況にドキドキハラハラが止まらない。図らずもめっちゃエンタメしている。ランズベルギスが超かっこいい。カメラ目線の彼に惚れる。政治家ってこんな格好良かったんだと気付かされる。4時間ぐらいあるけどまだまだもっと見たかった。
世代でなくとも、懐かしい、知っているメロディが始終包み込むように流れてきて、心地よい。私のように全然ビー・ジーズについて詳しくない人間からしても、入門としても楽しめる。個人的には「サタデー・ナイト・フィーバー」(77)とアンチディスコの騒動のくだりが興味深かった。ギブ兄弟3人と末弟のアンディ。兄弟バンドだからこその愛情や複雑な思いが見えてくるのもぐっとくるものがあった。音楽がいい。それだけで映画として悪くなりようがない。ファンだったらたまらないだろう。
見ているのがとてもつらい。いや、見られているのが、とてもつらい。まるでモンスターに向けるまなざしのような、仲間の、医者の、人々の視線が彼女を襲う。苦しいし、吐きたくなるし、泣き叫びそうになる。それでもこの映画が大切だと感じる。大切? いや違うな。この映画が他人事だと思えない。すべての責任が彼女にのしかかり、私も身動きが取れなくなる。セックスを描くとはこういうことだ。原作小説もぜひ読みたい。オードレイ・ディヴァンは追い続けたい監督のひとりとなった。
メロウな音楽とともに主人公がたどり着く先には、奇妙な生き物たちがうごめくアンダーグラウンドの世界が広がる。CGがこれだけ発達した時代で、このようなストップモーションアニメを堪能できるとは! 子どもの頃に観たら人生変わっていたに違いない。本作に登場するモノたちは、本当にそこに生きているのだ。“リアルさ”では語りきれない喜びを感じる。アルケミストの造形美にもすっかり虜に。執念はときに美しい別のものへと姿を変えるのだ。恐るべしフィル・ティペットの世界。
ランズベルギスの頭の中には、ずっと鮮明に残っているのだろう。圧倒的に聡明さを感じさせる優雅な語りと、歴史を裏付ける膨大な映像の数々によって、リトアニア独立における信念が浮き彫りになってくる。とにかく驚きの連続だ。非暴力を求め、国民の代弁者としてのランズベルギスと対照的なゴルバチョフの像。まさに現在への批評とも受け取れる必見の一作。政治家とは国民の代表に過ぎない、が、それを体現することは難しい。国が国として存在するとは何か、考えさせられる。
この映画を見ていて、どこか変な感じがすると思っていたが、その理由はたぶん構成の不在である。起承転結とか序破急とか、そういうパターン化されたもののことを言っているのではないのだが、ともかく全体的に抑揚がないという印象を受ける。もちろん多少はスタイルに変化をつけたり、芸能人生にお決まりの山あり谷ありが語られはするが、時間軸に沿って良いことと悪いことが順に高速で交替していくばかりなので、全体としてはむしろ平坦に均されている。これはこれでいい。
原作と比べると、映画版では時代性を希薄化している。これはすでに過ぎ去った時代の物語ではない。監督は「いま・ここ」で生じている出来事として中絶の物語を提示したかったのだ。同一化は形式の問題と自覚して主観ショットを退け(同一化には対象が必要だから)、胎児をマクガフィンとして映画的作劇を組み立てる(連絡先入手の場面はスパイ映画のよう)。原作が試みた時間の滞留はカウントダウンに変換される。「思考」ではなく「アクション」、その選択を是とするか非とするか。
どう形容したものか。下手に言葉を費やすより、監督やスタッフが挙げている固有名を並べてみる。フィル・ティペットは「キングコング」(33)のウィリス・オブライエン、「シンドバッド七回目の航海」(58)のレイ・ハリーハウゼンに憧れ、特殊効果の道に進んだが、若い頃に影響を受けたのはカレル・ゼマンやヤン・シュヴァンクマイエルなどの東欧アニメーションだった。この映画の着想源は、ブレヒトやヒエロニムス・ボスからバスター・キートンまで多岐にわたるという。
前作「バビ・ヤール」(21)ではアーカイヴ映像のスペクタクル化が図られた。今作ではアーカイヴに「記録」という地位が与えられ、30年前を語るランズベルギスの「記憶」と対をなす。記録と記憶の平行モンタージュというわけだ。しかし、単に過去に迫るのではない。製作開始は20年3月。ソ連の暴力に屈せず独立を勝ち取るリトアニアの歴史を前に、多くの観客がロシアによる侵略に抵抗し続けるウクライナの現在を想起することだろう。この接続を是とするか非とするか。