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強烈なスタイルを持つ映画監督には、最も有名な作品が実はキャリアのごく初期に撮られていたということが結構あって、この映画でもわれわれは、「ワイルドバンチ」のあとペキンパーが(注目すべき作品を送り出しつづけつつ)いろいろな意味で堕ちていくのを目の当たりにする。彼の作品に登場する男たちの運命にも似て、傍からはそれをどうしてやることもできない。製作期間が長いため、亡くなって久しい俳優たちの証言が聞けるのもうれしい。ナレーターとしてモンテ・ヘルマンも参加。
タルコフスキーといいソクーロフといいこの映画といい、ロシアの大地にはこういう終末論的イメージを喚起せずにはおかない何かがあるのかしらと思う(あと、ロシアじゃないけどタル・ベーラの「ニーチェの馬」も思い出される)。それらと比べてこの映画に特徴的なのは、意外に色彩豊かであることと、視覚的ユーモアをねらった画面づくりがされている箇所があることか。台詞なしで撮るという挑戦をしているが、全篇それで貫く必要性があったかどうかは疑問が残る。主役の少女が美しい。
最初のうち、妙にスローなペースに思われるかもしれないが、これはこの映画の大河ドラマ的風格(というほどの年月にわたる物語ではないけれど、スケールとして)を出すのに必要なことであって、やがて「ああ、アメリカ(の)映画を観ている!」という感慨をしみじみ嚙みしめることに。あの時代のNYって確かに物騒だったなあという気持ちで見るせいもあってか、どの場面も不穏すぎて嫌な予感しかしない。特にトラックを追跡するシーンが白眉。そもそも開巻の雪からして素晴らしい。
主人公と妻とのシーンの演出などもう少しどうにかならなかったのかと思うし、基本的にこの監督は「アイディアの面白さ」や「着眼点のよさ」でここまで来た人ではないかと思うのだが、今回の着眼点については、やはりできるだけ多くの人たちに共有してほしいと思う。無音のまま爆撃が繰り返される、この上なく静謐な戦争。何より恐ろしいと感じるのは、日常生活をつぶさに観察し、ひとりひとりの顔や表情にまで親しんだ上で、その人たちの頭上に爆弾を落とさねばならないという状況だ。
ペキンパーの軌跡を追うのならば、河出書房新社から出ているガーナー・シモンズ(彼も本作に登場)の評伝を読めばいい。だが、いくら同書の中身が濃密で緻密であっても、ペキンパーを間近で見てきた家族、俳優、仕事仲間による〝声〟には敵わない。時に呆れ、時に笑いながら語る彼らの豊かな表情が、毀誉褒貶の激しかったことで知られる男の人物像に生々しさを与える。とことん人格破綻者でも、それが突き抜けていたり、天才であれば伝説にしてもらえると教えてくれる一本。
キートン、ロイド、チャップリンの作品ならイケるが、やっぱり台詞がないまま96分というのは結構しんどいもの。ハッと息を飲むほどに美麗な幻夢的シーンもあるが、あまりに静かでついつい寝落ちして本当に夢を見そうになる。それを救う存在が、ヒロインを演じる〝キリッとした能年玲奈〟ともいうべきエレーナ・アン。物憂げな表情を浮かべ、三つ編みを解いたり、荷造りしたり、草原をさまよったりする彼女の姿を捉えたイメージ・ビデオだと思えば、なんとか最後まで観られる。
ニューヨーク史上、最も治安の悪かったという1981年。この年を舞台に据えることで、主人公に振りかかる災難の数々が無関係な者による行き当たりばったりの犯行なのか、商売敵による謀略なのか、彼と観ている者をひどく惑わせていくのが、なんとも巧くて憎い。「アパッチ砦・ブロンクス」「ジャグラー/ニューヨーク25時」などで見たヤバかった頃のNYの街並みを再現したロケーション、若き名手ブラッドフォード・ヤングによるスモーキーな映像も物語をことさら盛り上げる。
ドローン台頭の影響によって戦闘機に乗せてもらえなくなったばかりか、気づけば男性機能まで失くしたパイロットの主人公の姿に気分はドヨーンとなる。ここ十数年ですっかり様変わりした現代の戦争を紹介するだけではなく、当事者たちの肉体や精神、尊厳を確実に殺していくという戦争のおぞましい普遍的摂理もガツンと伝える姿勢が◎。それでいて、モニター越しにイデオロギー抜きで憎むべき相手を用意して倒すか倒さないかハラハラを繰り出して飽きさせないあたりもお見事。
涙なしでは観られない敬愛のこもった追悼の映画だ。「ワイルドバンチ」の、ウィリアム・ホールデンもロバート・ライアンもウォーレン・オーツも、この映画であんなに元気に喋っているアーニー・ボーグナインも、みんなもういない。大西部もすでにない。亡びゆくものを描き続けた狂気の天才の最後の作品が二世歌手のビデオクリップだったとは!関係者のインタビューが主体で、映画のシーンはわずかだが、ファンなら眼を瞑れば直ちに名シーンの数々が眼に浮ぶだろう。
風の吹き渡る緑の草原の、小さな家に住む美しい少女と父親。少女に思いを寄せる二人の少年。セリフの一切ない映像詩である。そんな寓話的な世界を突如悲劇が襲う。余りにも、直裁的で暴力的な終末だが、作者の描きたかったテーマはまさにそこだろう。核実験による被曝である。その昔、文学者の反核署名運動に対して、ソ連の核に言及しない運動には意味がないと同意しなかった吉本隆明を思い出した。爾来数十年、ロシア国内でこんな映画が作られる時代がやって来るとは。
「市民ケーン」「陽のあたる場所」「華麗なるギャツビー」、野望に賭ける男たちの栄光と挫折はアメリカ映画の歴史だ。石油事業で成功を目前にした移民の主人公の、過酷な試練の一年をJ・C・チャンダーは溢れんばかりの才能で描き、アメリカンドリームの暗部をあぶりだす。背景となる、犯罪が最も多発した1981年のニューヨーク雪景色が心にしみる。主演のO・アイザック好演。ロバート・アルトマン、P・T・アンダーソンにつづくアメリカ映画を背負う大型監督の登場である。
帰還兵の自殺が多いという。戦争のPTSDとは、戦場で人を殺傷したり、生命の危機を味わったために起るものと理解していたが、この映画の主人公たちは、自国の絶対に安全な場所にいて、モニター画面を眺めながら、テレビゲームの端末操作さながらに、爆撃を行っている。次第次第に精神が荒廃し病んでいく彼らの日常が描かれる。今や戦場だけが戦争の現場ではない。たまたま塚本晋也「野火」と同日に観て一層の衝撃を受けた。どちらも戦争の実体を伝える画期的な映画といえよう