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これは雨と水の映画。つまり暗い場面が多く、そのなかでどんどん人が殺されていく。この映画連作の最初のほうで殺された人たちのゆかりの者たちが、仇討ちをするという、おおざっぱに言えばそれだけの話で、それにしてはやや長いと感じさせるけれど、このシリーズの監督も撮影カメラマンも、自分の描写スタイルを確立しているので、それで見せていく。最も派手な雨は、最後に室内に降る豪雨だと思えばいい。監督の劇画家時代のマンガより、思えば水量が増えたものと感心。
出だしは、台湾映画「共犯」と似ているので、これも新感覚の高校青春映画かと思ったが、まったく違う単なる悪女ものの変型だとわかったら、とたんにつまらなく感じたのは、女子高生という〈生きた凶器〉を相手にする教師にあまりにその覚悟がなく、愚かすぎるからだろう。また教室やコーヒーショップその他の事件をめぐる場所の描写があまりにありきたりで工夫に欠ける。〈場所〉の風景に雰囲気をもりこめば、もう少し内容にふくらみが出たかもしれない。主演女優は、なかなかいいのに。
「ヴェトナム戦争でドルをかせいでやったのは誰だ!」と、主人公であるもと韓国海兵隊員の老人は嘆く。あの時、日本は憲法第九条のおかげで、米国と共に参戦しないですんだのだったなーと見ながら思った。このテーマの映画は、アメリカの「アリスのままで」のような深味のある秀作を含め、世界的に増えているのは高齢化社会の必然だろうが、なるほど、こういうコメディーとしての作りかたがあってもいい。「全身で笑ってこそ笑顔なんですよ」という映画のセリフが、ちょっと印象に残る。
フランス人扮する日本人の画家が、ホテルの部屋にとびこんできたスズメを筆(日本画の技法)で描いてやる場面が楽しい。ポーズをとって得意そうなスズメは、ホテルのメイドの変身した姿で、彼女は(夜は見えないはずなのに)パリから夜間飛行したりする。着想のすてきなこの映画は、スズメ族の生態を(実在として)きちんと見せながら、同時に自分の状況に悩む人間の男女の姿を、二重写しのように見事に描いてくれるのだ。監督の前作「レディ・チャタレー」(06)に劣らない秀作。
95年製作の名作の続篇。未曾有の社会事件が起こった95年。いろいろな意味で、0地点のように思える年。約20年の歳月の重みを鉛のように引きずりながら、石井隆の怨念と情念の渦巻く映画美学が全篇に塗り込められていく。俗世間から追いやられ、虎視眈々と発酵し続けた地下の世界が果たす復讐。クライマックスでスクリーンを裂いてこちらにやって来る奴らは、世代を変えて血肉を更新した映画の亡霊か。根津甚八の不在と存在の雄弁さ。映画が映画を超えていくその凄みの核にあるのは愛だ。
転落死した娘の心理学者である父親と、その死に関わる美しい同級生がスリリングに対決する。男子っぽいまっすぐな野心に加え、言葉で人の弱点を突くねちっこさも備えるダークヒロインを、吉本実憂が物怖じせず好演。内野聖陽はお父さんというより女難に遭った男の色香を漂わせ、観客の目を釘づけにする。二人が中心の物語だが、脇を固めるベテラン、若手俳優陣も光る。監督の大塚祐吉が一人一人を守り丁寧に演出しているからこそ、キツい話のわりには正攻法な印象を受けるのかも。
口うるさい独り身のおじいさんと、隣りに越してきた花屋のおばあさん。恋にときめくおじいさんだが、素直に思いを伝えられない。再開発計画が進む移りゆく街のムードの中、二人を応援する周囲の人々のキャラクターが彩り豊かで、人情ものとしてたっぷり楽しめる。老人の恋物語かと思いきや、そうきたかという仕掛けにびっくり。私の好みではなかったが、それにノレるかどうかが別れ道だろう。紛れもなく王道の韓流映画であったのだ。主演のパク・クニョンとユン・ヨジョンはお見事。
仕事でパリにやって来た多忙なアメリカ人のビジネスマン。ホテルメイドとして働く学生のパリジェンヌ。自由のない退屈な日常にうんざりする人々の束の間の現実逃避。この解放感こそ、私が若い頃、映画に一番求めていたものだ。懐かしい蜜の味。映画の後半、女の子が突如スズメになって、夜のパリを明け方まで飛ぶ空撮、スズメをとらえる描写が素晴らしい。その間の音楽は、ボウイ、ゲンスブール。パスカル・フェランは女子の感性わかってらっしゃる。新世代の映画ファンにお薦めしたい。
日本映画にもこれほどまでに「いい顔」をしたやつらがいる、その事実にあらためて気づかされる思いである。野郎どももさることながら、土屋アンナがすばらしい。前作からおよそ二〇年を経た時間の厚みを、そのまま作品の厚みとすることは決してたやすいことではないはずだ。思えば、バブルが弾け、八〇年代的なゆたかさが完全に霧消してゆく時代を前作は強烈に予感していたのではなかったか、とそんな感懐をふといだく。そして何よりもサーガの証言者、根津甚八。この人を見よ。
「渇き。」から『ダイワハウスのCM』感を引いた感じの映画。結末まで終始いやな気もちがするのだけれど、それはたぶんお話とは関係のないところでもたらされる印象に違いなく、いっぱいいっぱい、テンパっている等々、吉本実憂の放つモンスターワードがどこまでも上滑りして、現実の女子高生像とはほど遠い(デビル感にもとぼしい)。「渇き。」は娯楽に徹しているぶんいさぎよかった。論破するかしないか、にともすれば矮小化されるいまの人間関係のまずしさは描かれていると思った。
そうか、「シュリ」(00)に涙した世代がもう後期高齢者になっているのね。ってさすがにそんなことはないか。いっときキム・ギヨンのミューズでもあったユン・ヨジョンがまさかの笑顔でほほえめば、堅物のパク・クニョンのハートにやっぱり命中。スンドゥブのように濃厚な演出と演技で王道のストーリーを過剰に駆け抜ける、韓国映画の根幹にあるものをこの監督はいまなお手放してはいない。ベテランと若手の演技の違いは、そのまま韓国の世代的断層を見る思いがする。ちょっと泣いた
退屈な毎日にチョットうんざり系映画。「バードマン」とあるいはまちがえて映画館に駆けつける向きがいないか勝手に心配しているのだけれど、ともかくバードにあこがれたピープルのお話。アナイス・ドゥムースティエの黒目がちな瞳とパリの夜が、「飛ぶこと」をめぐるこの映画に奇妙な説得力をあたえており、存外に心地よかった(ボウイの『スペース・オディティ』!)。ジョシュ・チャールズのパートがチョット長くて、全体でも二時間を超えてしまっているのがもったいない。スズメが◎。