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認知症、徘徊癖ありの母87歳と同居する大坂北浜の「アッコ姉ちゃん」。お母さんはもはや一緒に暮らすのが実の娘さんとは意識的には判別できなくなっていて、彼女をこう呼ぶ。母の歌うのが童謡『浦島太郎』と『かごめ』であることから、彼女にとって老いは監禁であり、そこからの解放を願っていると分かるものの、全体に流れるトーンは事態を見極めてきちんと対処するアッコさんの知性への称賛である。「笑える」ことをもって見どころとするのはあまり得策とは思えないが、推薦作品。
前号「3泊4日、5時の鐘」を物語が「小さい」のが残念、と書いたがこれは「小さい」のが逆にメリットになっている。物語もそうだが構成自体がとても同語反復的。と言っても微妙なさじ加減の違いはある。「アントニム」の語義が鍵。確か三回くらい劇中で語られ、聴いてるうちにそれがとても詩的に思われてきたら、あなたは監督のマジックにかかったことになる。性格もルックスも対照的な女の子二人の録音スタジオでの並立する位置関係での朗読とコインランドリーでの再会に心なごむ一篇
リメイク版「十三人の刺客」で最も驚かされたのがダルマ女のヴィジュアル。ここでは遠藤憲一が「ダルマやくざ」となり、「シモの世話せーっ!」と叫んで借金取り立てに勤しむ(玄関に放りこまれる)。北野武の騒がしいだけのやくざ映画よりこっちの方がずっと面白い。半島系のやくざに、金の不始末で四肢をちょん切られたのだとやがて分かってくるのだが、その裏にも秘密があった。借金のカタに売り飛ばされる武田梨奈と介護やくざ三浦正己も快演。遠憲さんアカデミー賞もんの怪演なり。
原作&作画の漫画家コンビは「るろうに剣心」じゃ斬り殺しあう仲だった二人。高校生には見えないが、タッグは緊密。シロート目に最も漫画家イメージに近いのは過労死したおじさん宮藤官九郎かな。友情、努力、勝利が売りの例の雑誌がモデルなので出てくるライバル漫画家連中が熱い。クールな天才も心の底は熱い。それが利いている。マドンナとの恋と別れが「にぎやかし」程度だったのは残念だが、彼女を漫画のキャラにするのは良い。続篇(希望)で彼女との仲を復活させて下さい。
人生いろいろ。認知症もいろいろ。ボケとツッコミ、母娘漫才さながらの2人のやりとりは、ママリンの豊富な語彙といい、思わず笑ってしまう。何度も何度も交番の世話になったという実際の徘徊にしても、ドキュメンタリーとして映し出されると、カメラの目が守っているわけだからあまり深刻にはならない。だから認知症のドキュとはいってもポジティブな気分で観ていられるのだが、でもどこか心に引っかかるものがあるのは否めない。こういう母娘に誰でもなれるワケでもなし……
プライドの高い自己チュー女と、鈍感で悪気のない女。ここまで性格が異なると勝負にならず、当然、自己チューが鈍感に白旗を掲げることに。いや、そうなる過程にそれなりの伏線を盛り込んではいるが、同じ女2人の話でも、坂本あゆみ監督「FORMA」のように心理的、生理的なパワーゲームにならず、いささか底の浅いコメディーに終わっている。自己チューがシナリオを学んでいるというのがミソになっているが、ガランとした画面構成やラストの場面などレディースコミックふう。
どうも、すこぶる濃い俳優の遠藤憲一がエグいキャラを演じると、逆にエグさが中和され、コメディー側に傾いていくようである。一方、榊監督の演出はあくまでも大マジメ、その辺の座りの悪さが作品を中途半端にして、いまいちインパクトがない。そもそもいくら闇社会だといっても、両手、両足を切断してケジメをつけるというのが眉ツバで、話の設定自体が奇をてらっているのがミエミエ。ま、かつてのVシネふうの雰囲気もしないではないが、人物の誰にも共感できないのはつらい。
1人くらい、俺は俺の漫画を貫く、というアンチ〝少年ジャンプ〟派がいても、と思わないでもないが、ジャンプなるステージこそが主人公たちの目標なのだから、とやかくいっても仕方がない。とは言え、友情、努力、勝利、プラス恋、というジャンプ誌のお題目を、そっくり主人公たちに盛り込んでの展開は、その達成感といい、スポコン映画と全く同じ。特に印象的なのは夢中で漫画を描いているときのGペンの音。その漫画を何枚も踊らせたような映像も技ありで、大根監督、さすが。
リアルなボケを見せる母に当意即妙なツッコミを入れる娘。感傷的な描写を排除して認知症をドライな笑いで見せたのが見事。娘の心情は、貧乏ゆすりや繰り返し上下するエレベーターで充分伝わってくる。遠方まで徘徊する母に対して、危険と他人への迷惑を理由に24時間介護や隔離を正論として押しつけてきそうな時代だが、他人に少し迷惑をかけながら〈ボケてるけど、生きてく!〉を肯定的に捉えていることに感動。必要以上に他人に介入してこない都会だから可能な生き方ではあるが。
対照的な性格の女子の片方が、もう一人を模倣し、勝手なふるまいで模倣された方を追いつめるドッペルゲンガー的な物語は、憧れや愛という感情ではない奇妙な関係性を見せていく。初見時は画面の中の記号がいかにもすぎるし、出来の悪い作品を敢えて選出するシナリオ学校の講師なんているわけがないと引っかかった。しかし、夜のコインランドリーの情景が突出して素晴らしい。模倣し、模倣されることで初めて自己と向き合うことが可能になった者たちが見せる表情が良いのである。
乙武洋匡で三池崇史的な暴力映画が作れないかと夢想したことがあったが、本作は四肢欠損を見世物にすることを反戦映画だけの免罪符にしてたまるかと言わんばかりの俗悪で凶暴な怪作だ。達磨になるエンケンの胸焼けするような怪演が見ものだが、公開まで2年のブランクは武田梨奈の役が豪華に見えるようになるという幸運をもたらした。脇役までしっかり表情で芝居を見せる演出は映像技巧にばかり精を出す映画と一線を画すが、表情以外の芝居と描写で見せて欲しいと思う場面もあり。
漫画家が主人公の映画はあれども、漫画を描く行為を正面から描いたものはなかっただけに、その行程を単調にならぬよう映画的な装飾を加えつつ、描く行為へのリスペクトを忘れないのが良い。主人公の親を含め、必要不可欠と思えるような要素も大胆に切り落としつつ普遍的な青春映画に仕立てた凄腕に、映画だけ何本か撮った程度の監督なら怖くて出来ないだろうと思ってしまう。ジャンプのテーゼ「友情・努力・勝利」を三幕形式に当てはめた作劇も圧巻。これぞ大根版『まんが道』だ。