パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
閉所恐怖症の人は、絶対見ないほうがいい。息ができない場所でヤバいことが起こった時にどうすればいいか。そう考えるだけで何も起こってないのに怖い。次々に襲いかかってくるトラブルにいちいちビックリする。ずっと水の中っていうシチュエーションを考え出しただけで、もう企画の勝利だと思う。冒頭の廃墟のシーンもちゃんと前振りになっていて、やっぱり生きている人間が一番怖いって思う。ラストは愕然とした。もう少し希望があっても良かったのに。意地悪だなあ。
小説を読んでる気分になった。先がどうなるかドキドキしながら読み進める感じ。友人の死から始まる導入もいい。主人公の男はキレものらしく常に沈着冷静。相棒の警官のへなちょこ具合が愛らしい。過去の事件と現在の事件がどう絡まっていくのか? だんだん興味がそこに向かっていく構成も見事だ。なかなか事件の真相が分からない。まだかまだかとイライラする。男はブレない。間違えても焦らない。もうちょい焦ろよ!とツッコミを入れてしまう。サスペンスが楽しめる良作。
何か考えていそうな羊たち。犬や猫も何かを感じているようだ。その不穏さにまず引き込まれる。淡々とした夫婦の描写が続く。アレが現れてもしばらくは何が起こっているのかよく分からない。全く先が読めない。ボンクラな弟が帰ってきてヤバいことが起こりそうだ。どうなる?どうなる?とワクワクする。夫婦に以前子どもがいたってことをベビーベッドひとつで描写しているところとか、説明セリフをほとんど排除した映像表現に唸る。だんだん成長する羊ちゃんがひたすら可愛い。
よくこれだけの映像を集めてきたと思う。生々しい暴力描写を延々と写し続ける。居丈高な警官たちが超ムカつく。怒りで体が震える。ホント最低! やられた人たちや擁護している人たちの話だけじゃなくて、警察関係者も発言しているのが良かった。でもやはりと思う。これでは警察が圧倒的に悪者だ。もちろん悪いんだけど。複雑な気持ちになる。映像を切り取るとどんなふうにでも解釈できる。途中で喋っていた風格のメチャクチャあるおばさんが良かった。頭がいいってこういうこと。
好奇心旺盛な若者が行ってはならない場所で悲惨な目にあう。パニックホラーの王道パターンにおいて、さらに水中ものというジャンルのなかで「水の中の屋敷」というネタっぽい設定に若干の不安を覚えつつも、屋敷のなかのディテールなどは興味深かった。主人公のカップルがyoutuberという設定なので、ふたりが所持しているカメラからの視点としても撮影される。粗い映像のシーンも多いが、パニック具合とうまくリンクする。選曲のセンスがよく、なんだか憎めない一作ではある。
かつて友人だった少女が川で溺れたこと、そして幸せなはずの友人家族が心中したとされる事件。二つの悪夢が交差しながら、刑事になった主人公によって謎は紐解かれてゆく。非常にスリリングで、見ていて先が気になり面白いものの、追い詰められた真犯人の最後の行動や、孤高な刑事の表情、事件の動機など、どこか2時間ドラマを見ているような気分が抜けないのは、綺麗にまとめられすぎているからか。雨の降らない街の乾いたざらつきをもっと感じたかった。少女の歌声が耳に残る。
「明るいことが恐ろしい」と謳われた「ミッドサマー」と同じ製作・配給会社A24が送る本作。アイスランドのだだっ広い山間部の息をのむほど美しい自然の中で作り出される不穏な空気感。羊から生まれてしまった「何か」にアダという名前をつけ、人間のように育てる羊飼いの夫婦。育ての母と生みの母の対立は、人間と動物=自然の対立を生み出す。また、夫の弟という異物をどう受け入れるか、あるいは排除するのか。その緊張感の重なりが作り出すどの瞬間の映像にも釘付けになった。
パリで起きた黄色いベストを身につけた市民によるデモと、市民に警察が向ける武器。銃を向けることはもとより暴力は簡単に人間から言葉を奪う。向けられた銃を前に対話は成立するのか。スマートフォン撮影をはじめとした数々の暴動の映像を前に、意味や考察、反論などの言葉が付け加えられていく。特に作家のアラン・ダマジオが「誰かを“暴力的だ”と指摘する正当性を誰が持っているのか」という言葉が残った。“暴力的なので”はなく“暴力そのもの”が映し出される意味を考える。
幽霊屋敷ものだが、湖底に沈んだ一軒家が舞台で、全篇が水中で展開する。水中であることの面白さもあるが(走れないかわりに上にも逃げられるとか、緩慢な動きに自然さをもたらすとか)、特殊効果やCGではなく、水深6メートルのプールにセットを組み立て、ダイバーをスタンドインにして撮影している点が素晴らしい。50年程前に水没しながら不思議といまだに原形が保たれているという、この廃墟。それはもちろん数々のB級ホラーの記憶を留める本作の姿への自己言及だろう。
昔の同級生といい感じになるが、電話が鳴って中断。なるほど、これは「寸止めもの」か。事件の解明とはつまり射精のメタファーというわけだ。20年前にキスして、その気になったところで消えたエリー。解決済みのエリー死亡事件の真相究明は、彼にとって「個人的なこと」だという。遺品を見つけて真相に迫る姿は、20年越しの射精に向けて、想像を膨らませて自慰行為に耽る男そのものだ。彼は謎が解けたと思い、家路につく。満たされた表情で「ふう」と吐息を漏らしながら。
子を失った夫婦が誘拐をする。我が子のように育て続けるため、本当の母親を殺す。そして、家族3人幸せに暮らし始めるが……という話なのだが、この「子」というのが、頭が羊で首から下は人間の変わった生き物である。右半身は腕も羊だが、左半身は肩から人間で、胸も人間だ。お風呂のシーンがあり、わざわざ左胸だけが見せられるので、たぶんハートは人間ということだと思う。さて、この子は羊と人間との間に生まれたのではない。そういう組み合わせの話ではないようなのだ。
ラストショットをどう捉えるべきか。批判を見越したものと思うが、私にはやはり許容しがたい。映されている内容がおぞましいからではない。この直視しがたい映像があたかも結論であるかのように最後に置かれているからだ(このラストへの伏線が作中に仕込まれているためそう見ざるをえない)。この映画は対話であると同時に映像の分析であり、そういう言葉の力に賭けられているように見えた。だが、最後に見せられるのは見る者をただ絶句させる、極めつけのスペクタクルではないか。