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冒頭と末尾に置かれた三つの家族すべてが同時に目撃する二つの出来事は鮮烈な印象を残すものの、それ以外の時間は基本的にそれぞれの家族をめぐる物語がバラバラに進んでいく。このほぼオムニバスに近い構成には、それがたとえ都市生活の孤独を象徴した演出としては成功しているとしても、どうしても散漫さを感じずにはいられなかった。マルゲリータ・ブイをはじめとする役者陣には惹かれるところが多かっただけに、原作から自由にもう少し別の語り方を模索してみても良かったのでは。
いわゆる実録告発ものだが、「ダーク・ウォーターズ」などでは随所に見られた、ドキュメンタリーではない以上必須となるはずの語り口や撮影の工夫が十分に凝らされているようには思えず。最大の仕掛けは終盤のある種のどんでん返しだろうが、リアリティそっちのけでサプライズの効果を狙ったような演出が、実際の事件を扱った作品に対するものとして的確だったのかどうか。悪役のベタな人物像を含め、どこをどうエンタメとして肉付けするのかをめぐる判断にことごとく疑問が残った。
瑣末なシーンの集積から徐々に若手俳優の思わぬ魅力的な表情を引き出していく得意の演出が冴え渡っており、映画初出演だというサンス姉妹の存在感は特筆に値する。一方で、さりげない瞬間を重視するせいか、作品の長さを問わず冗長すぎると思わされる局面も多かった過去作と比べても、限定された空間を舞台として、中心となる設定の不思議さを除いてきわめてシンプルな構成を採用したことが奏功し、主題と尺のバランスが改善されたことで、全体を通してぐっと引き締まった印象に。
単純なビートルズ映画ではなく、自分探しでインドに行ったらたまたま彼らと会ったという爺さんの当時を振り返る語りが続く相当な珍品。半世紀前に交わした何気ない会話をこの正確さで覚えていられるものなのか、といった疑問も湧くが、少なくとも彼の記憶の再現からは、感じのいい兄ちゃんたちとしか言いようがない自然体のビートルズの姿が垣間見える。現存メンバーの証言はないものの、バンガロウ・ビルのモデルとなった人物の回想には笑った。マニアにとっては貴重な一本だろう。
隠された真実などどこにもなく、起きたことはただ起きたのであり、起きなかったことは、やはり起きなかったという本作の潔さと、しかし人はそれを認められずにありもしない真実を探し、やり直そうともがいてしまうことの残酷さに驚嘆する。本作ではどんなに時間が経過しても、真実という名の救いに辿り着くことはない。ただ子供は成長し、大人はシワが増え、年寄りは死んでいくだけだ。どこまでも救いを描かず、つまりは終わりを拒否するそのあり方は、とても人生に近づく。
謎の肺疾患の原因を探る、サスペンス風の立ち上がりを見せるも、その原因はいとも簡単に判明する。そのことに呆気に取られているとすぐに、本作は企業の商品を使用して健康被害を被った被害者たちが大企業を訴える裁判映画だったと気づかされる。しかし、論証の積み重ね、巧みな話術、法の隙間を突く奇抜なアイデアといった裁判映画の醍醐味は薄く、実は相手側の人物に隠された秘密があったという、単なる人物設定でしかない要素が最大の仕掛けとなっているところが少々残念。
見事に構成された人物関係や物語、厳格な画面といった美点が、ややもすると堅苦しい形式主義に転じる恐れがあるように思えるセリーヌ・シアマだが、本作は驚くべきシンプルさが全体を貫いており、実に気持ちがいい。現在と過去を行き来する実にファンタジックな設定は、ほとんど風が吹いて揺れる木の葉と同じような自然さで扱われている。もはや物語の妙は必要とせず、極力無駄を削ぎ落とし最小限の形式に、女たちのささやかな会話さえあれば良い、という凄みすら感じさせる。
ビートルズの楽曲があまり流れないところからも察することができる、一風変わったビートルズのドキュメンタリーだ。しかもビートルズのインド訪問について、資料や証言をもとにその足跡を辿るのではなく、実際に同じ場所で同じ時を過ごした本作の監督であるポール・サルツマンの、言ってみれば思い出話であるところもとてもユニーク。ビートルズの音楽的な才能の豊かさも、当時の人気の熱狂も、音楽史に刻まれた影響もほとんど顧みない、奇妙な静けさが漂う不思議な作品。
一台の車が人をはねた上で、高級アパートに突っ込む。導入からして、不穏。モレッティ初の原作モノだが、「息子の部屋」に象徴されるように、“家族”は彼にとって長年のテーマ。映画はそこから、同じアパートに住む三つの家族の鍵穴の奥の奥をひっそりと深く覗き込んでゆく。アンドレアという同名の息子の父を監督自ら演じ、街中で踊りに興じる人の姿で締める本作は、踊りで始まる「息子の部屋」と繋がる糸も随所に見え隠れ。20年の歳月を経た本人による返歌とも言える、もう一つの名作。
前作「君に泳げ!」は邦題含め首を傾げたが、今回は実在する、記憶に新しい事件が下敷きに。チョ・ヨンソン監督は実話の重みを受け止めた上で、単なる事実の羅列でなく入り組んだ映画的構成を盛り込みエンタメとして昇華させようと尽力したのだろう。その熱意や強者VS弱者という他人事でない構図に、キム・サンギョン&ユン・ギョンホ、脂が乗った二人の渾身の演技など見るべきところは大いに感じた。ただ、ラストの蛇足感含め、意外性を狙うが余り無理をしすぎた面も少々。
「燃ゆる女の肖像」と同じく、本来の居場所ではない空間での女と女の物語。とはいえ今回セリーヌ・シアマが描くのは、瓜二つの8歳の少女二人の、森の奥での時空を超えた密かな邂逅だ。「誰からも愛されない子供なんていない」と訴えた、シアマ脚本の「ぼくの名前はズッキーニ」により近い子供目線で綴られる、不思議でいて妙に身近な絵本のごとき大人の寓話。いくら年齢を重ねても、少女の頃の瞳は変わらない。そのことを、監督特有の美と怪奇、薄皮一枚の幽かな境に描く珠玉の一本。
題名のとおり、“インドへ瞑想の旅に出たビートルズとの(監督の)出会い”の映画。副題をつけるなら、“20代で自分探しにインドに行ったら、ビートルズがいて驚いた!”といったところか。いわゆる「ホワイト・アルバム」収録の名曲たちの誕生秘話が最大の目玉だが、ポールやリンゴの現在の肉声はもちろん、楽曲も基本流れないことから、分厚いガラス越しに眺める伝説のバンドの遠き白日、といった感が否めず。リンチの語る瞑想と創作についてのくだりは、非常に興味深かった。