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かつての差別と今の寛容。世間からの認識が進むなかで、ゲイ文化が成熟と同時に失ったものにも目を凝らしつつ、個人的な愛惜の念をたっぷり込めた音楽とともに、故郷とそのゲイコミュニティの過去と現在を描いた本作は、独身ゲイの老いと孤独の問題を正面から扱っている点でも極めて今日的な一本だ。そしてとにかく、最高にチャーミングでありながら、同時に時折表情からえも言われぬ悲哀を感じさせるウド・キアーが、キャリアハイを更新したのではないかというほどに素晴らしい。
フランス的エスプリの感覚というのか、老いをめぐる不安を掘り下げすぎず、あくまでも深刻さを感じさせない洒脱なコメディとして仕上げようとするセンスがはまれば大いに楽しめるだろう。しかし、クソ真面目に老いの問題を引き受けたゆえに突き抜けたユーモアに達した「チタン」あたりと比べると、悩みを受け流そうとするような本作の笑いは、切実に恐怖と向き合うことを避ける姿勢にも見えてしまった。終盤突如物語がハイライト化する演出も、ギャグだとしたら完全に失敗だろう。
倒立する少年少女を捉えた最初のカットで高まった期待は最後まで裏切られず。国家に翻弄される若者たちの青春を体操の団体競技に託して描くことで、スケールの壮大さと尺のタイトさを見事に両立させている。同僚やライバルとの争いや交流を描いたスポ根ものとしての良質さが基盤にあるからこそ、爽やかな結末を阻害する、独立をめぐるもう一つの戦いの重みがより痛切に伝わってくる。独立広場のスマホ映像と拮抗させるため、実際のアスリートたちの身体を召喚した選択にも膝打ち。
ファン・ジョンミンになんらかの個人的な思い入れがあれば見え方が多少変わった可能性はあるが、終始あまりのめりこめず。自身を演じるベテラン俳優の演技力が脱出の鍵となるという、相当に負荷の高い設定を新人監督が採用したせいもあるのか、やや主役の演出において監督側に遠慮があったようにも感じた。それなりに意外性のある転調が続く物語はサスペンスとしてはある程度は上手くいっているし、キム・ジェボム演じるサイコパスめいたリーダーの存在感も悪くはなかったのだが。
いくらでも大きく華々しい話に出来そうなところ、あくまで一つの町で完結する程度の、この規模の小ささがとても好ましい。誰もが知っているわけではないけれど、誰も知らないわけではないという絶妙な距離感が、主人公を街の古株のようにも、異邦人のようにも映し出し、独特な親密さを映画にもたらしている。歴史として語られるほど、社会や町を変えたわけではない。しかし確かに私の人生はあなたによって変わったのだと、そんな小さな無数の声が本作を形作っているかのよう。
中を通るだけで、12時間経過はするが3日若返るというヘンな穴と、電子化された男性器という二つの仕掛けを使って、性的魅力や若さ、男性性や女性性といったものへの執着と、そのこっけいさが描かれる。突拍子もないアイデアと大胆なアプローチだが、そこに映されている人々の反応や物語の展開は、いたってありふれたものであるのが面白い。一切のセリフもなく、各々がなるようになっていく姿を淡々と観察していくクライマックスの十分間には、乾いた笑いがこぼれそうになる。
激化していくウクライナ・キーウのユーロマイダン革命と体操のオリンピック。一方は激情と喧騒の世界であり、もう一方は、心身をコントロールしなければならない、静寂の世界として演出されている。そんな正反対の世界のちょうど真ん中に投げ込まれた15歳の少女の身体は、鉄棒という具体的なアイテムを通して、文字通り常に揺れ続ける。どんなに綺麗な着地を決めても、消えることのない痛みを抱える彼女を通して、国や市民や政治といった複雑な関係性を体感することになる。
手足を縛られて監禁されている状態からどのように抜け出すか、という誘拐ものの映画にとってとても重要な場面に、演技という要素を入れてはいるが、はたして韓国トップ俳優が人質に取られるというアイデアが、映画全体に効いていたかというと、ちょっと疑わしい。また、わざわざ手作りをしてる描写もあるくらい武器に気を使っておきながら、せっかく手に入れた銃器をなんの考えもなく手放して、形勢が逆転してしまうなど、展開の転がし方にも気になる点が多々あったのが残念。
単なる「終活」や「郷愁」や「老境の悲哀」の映画ではない。死を前に過去を思うとき、誰しも一足飛びにそこに立ち返るわけではなく、その間も流れ続けた刹那刹那を必死に生きてきたのだから。ウド・キアー演じる主人公は、過ぎた細やかな時の砂を一粒一粒掬い、撫で、慈しむ。彼が求めたヘアクリームのように古臭いと一蹴され葬り去られるものでも、意味のないものはない。過去の一瞬は今に息づき、その先へと確かに繋がってゆく。淡い光の内に力強くそう伝える、忘れ難き名作。
マルコヴィッチから過去の芥川賞受賞作まで、古今東西“穴”とは人を異界へいざなう奇妙な入口。とはいえ「12時間進んで3日若返る」穴なんて前代未聞、突飛すぎる発想に違いない。決して若くはない二組のカップルによる物語、「老いへの抗い」という単純なテーマを描いているようで、穿って見るなら重ねた歳月=年齢に実体を伴い切れない中高年の焦燥を掘り下げた哲学的な逸品、なのかも。「ピアニスト」のブノワ・マジメルがこの役を!との驚き含め、人間の穴の深さに身も竦む!?
孤独の淵で15歳のオルガが感じる故郷の行く末への不安、渦中で闘う母や親しい友人との広がる距離に、募りゆく疎外感――。言葉も通じぬ異国で少女が抱える究極のよるべなさが、観る者の胸にもしんしんと降り積もる。演技は初めてだというアナスタシア・ブジャシキナの基本むすっとしつつ、時に笑い転げ、時に涙を抑えきれない生きた顔に、ただただ見入った。映画が終わっても戦争は続き、同じ痛みは国境を越えて存在する。対岸の火事で済まされぬオルガの憂い、今なお拭えず。
ファン・ジョンミンでなくては成立しえない映画だ。実績や人気はもちろん、善良で清廉潔白な人物だという揺るぎないイメージ、さらにほぼ全篇手足を拘束されながらも表情一つで弛むことなき緊張を持続させうる演技力の持ち主といえば、もう一択。何より、彼だけが持つ親しみ易さが最大の肝に。これが例えばチェ・ミンシクでは、犯人の方がビビりそうだし。そうした匙加減の妙やアクション愛が随所に光る快作だが、実在人物ならではの綾やひねりが終盤、さらに一山欲しかった気も。