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撮影・編集を兼務する監督のこだわりが隅々まで行き届いた、ワンシーンワンカットで距離を置いた対象をしばしば正面から捉える画面構成は、美的な意図と共に、直視し難い光景を観客の目に焼きつけるために選ばれた方法だろう。加えて、二度現れるサーモグラフィーを用いた場面では、赤外線が示す色の視覚的変化を通して、悲惨な状況をドキュメンタリー風に切り取る科学的で即物的な視線と、それでもこの場所で生き続けようとする主人公の微かな希望とが、見事に交差させられている。
題材から受ける印象とは異なり、政治的な主題はあくまでもアクションや展開を盛り上げることに奉仕する二次的な要素に過ぎず、とりわけソマリア側の人物がいずれも平板な形でしか描かれていないことには賛否が分かれるだろう。だが、いがみあう南北朝鮮チームが極限状況に追い込まれることで次第に手を取らざるをえなくなる展開は、こう言ってよければ良質の娯楽性に満ちており、とりわけ食卓で両大使館のメンバーが共に食事をとる緊張感溢れる場面以降はぐっと物語に引き込まれた。
「ブギーナイツ」や「パンチドランク・ラブ」の系譜に属しつつも、それらを見事に更新した快作。ウォーターベッド、ピンボール、そしてレコードのように、役者もカメラも名曲群のグルーヴと同調しつつ常に動き続ける。70年代前半LAの空気感を再現したがゆえのある種の緩さが、しかし懐古や自己模倣にはまるで陥っていないのは、主演二人の清新な存在感ゆえだろう。なかでも、青春期の高揚感をそのまま閉じ込めたような二人それぞれの疾走を捉えた移動撮影は、いずれも涙を誘う。
映画は、ドキュメンタリー畑のニコラス・プロフェレスによる構図・質感双方の無骨さが素晴らしい撮影とともに、家族を捨て仕事と金も失ったワンダが、場当たり的に目の前に現れる男たちに頼ろうとして失敗を続ける様を、突き放したユーモアとともに追い続ける。彼女の受動性を無批判に肯定するのでも声高に否定するのでもなく、ただその姿に厳しくも優しく寄り添い続けようとするローデンの視線は、当時の女性が強いられた抑圧を想起させるだけではない、普遍的な強度を備えている。
固定カメラかつワンシーンワンカットで基本構成される画面作りと同じく、語られることも極めてシンプルで力強い。登場人物は皆、延々と作業する者、あるいは作業まで待機する者である。画面には彼らにはどうしようもないほど巨大なスケールのものが常に映り込んでいる。彼らの作業とは、戦後の土地や亡くなった兵士たちの処理だ。その作業と待機の時間をカットを割って省略、効率的に描くことを厳しく禁じる本作は、私たちに戦争のあとに残る途方もなさをただただ伝えている。
ソマリア内戦という極めて政治的な題材をここまで面白く描いていいのかと不安になるほど面白い。本作の制作国である韓国側の登場人物が特に良心的に描かれるところに多少のひっかかりは覚えるものの、各国の戯画的に描かれる人物たちのユーモラスなやり取りと、一挙にただならぬ事態に巻き込まれていくシリアスな面のバランスがお見事。韓国と北朝鮮の共闘も、あくまでモガディシュからの脱出劇というアクションを通じて描かれており、必要以上に良い話にならないドライさも良い。
オープニングの男女の出会いのシーンから映画が終わってしまうまで、どのシーンも実におおらかで、感動的なまでに自由だ。この映画の登場人物のように、赴くままに人を好きになって、大いに調子にのって、思いっきり見栄を張って、安っぽい欲望におぼれ惑わされ、恥ずかしいくらい嫉妬して、挑戦と失敗を懲りずに何度も繰り返して、それでも目一杯浮かれて、おどけて、踊りはしゃいで、全力で人生を駆け回れたらどれほど素晴らしいことだろうと思わずにはいられない。胸がいっぱい。
だらりと身体を横たわらせ、見るからにダラけた姿が印象的に演出されるワンダは、社会的規範から外れ、社会から置いていかれている人物だ。当然、そんな社会が要請する“良い妻”にも“良い母親”にもなれない彼女は、同じく社会的規範から逸脱する犯罪者と行動をともにするのだが、彼女の目的は、犯罪者と違って金銭でもない。良き人にも、犯罪者にもなれないワンダのどん詰まりの絶望は、しかし多くの新しい女性像を創造し、50年経ってもいまなお鮮明に見るものを突き刺す。
定点から一定の距離を保って静かに対象を見つめる長回しのカメラ。その目が見つめるのは、あちこちに地雷が埋められ、そこここに死体が転がり、かつてその場に豊かな暮らしがあったことが信じられないほど灰にまみれた誰もいない家々が点在するウクライナの姿だ。現実の「今」と、ロシアとの戦争終結一年後とされる2025年という時代設定の重なりが加速させる悲痛よ。遺体を回収する女性が語った言葉や、生と死が如実に交錯する終局のシーンに、未来へ繋ぐ思いが仄かに見える。
実話ゆえの重みとか、モロッコ・ロケを敢行し実現した臨場感満載のアクションとか、南北間の刹那的な友情や絆だとか、通常一点に著しく偏るか、すべてが中途半端に終わってしまいそうなところを逐一、フルスイングで娯楽性と共に面白く描き切った稀有な一本。緊張の合間合間に笑いを散らす巧みな緩急、南北の女たちがエゴマの葉に箸を伸ばす場面で見せた繊細な視点、もちろん秀抜な配役の妙などリュ・スンワンの成熟とこだわりと映画への熱や叡知が充ち満ちる、劇場推奨必見作!
確たる起承転結も大きな盛り上がりも伏線回収も特にないまま、それでも観る者をぐっと惹きつけ続ける異様な力。気怠く不遜な面構えで“どん詰まり感”を絶妙に訴えるアラナ・ハイムと、純なのか不純なのかわからない、食えない奴を堂々演じるクーパー・ホフマン。二人がもたらす磁力が圧巻。作中アラナとゲイリーはすれ違い続けるも相手がピンチと見れば、ひとまず走る。淀んだ空気が一気に霧散する、掛け値なしの疾走がたまらない。人間を愛くるしいと思わせるPTA節、健在なり。
バーバラ・ローデンが自ら書き、撮り、演じるのは、煙のような人物の不安定で行き場のない彷徨だ。ゆらゆらと心許なく、か細いかと思えば案外太く、目的も野望も気力もないまま漂うだけの人生を淡々と映し出す。ラジコンの耳障りな音に抜ける空。モーテルのゴミ箱へ指で摘んで棄てられるハンバーガーの玉ねぎ。そしてラスト、バーの喧騒の中、煙草をくゆらせ俯くワンダの瞳の奥に潜む底なしの虚……忘れえぬ場面も多数。己を肯定し切れぬ現代的な人物像は、今こそ深く引っかかる。