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エンドロールに重なる子供たちの声は、多様性に配慮しているようで望まれるべき未来と「子供」をイコールで結ぼうとする発想については一切疑わない、自らの経験や実感を重視する監督の姿勢を良くも悪くも象徴する演出で蛇足。だが、それぞれの形で容易に相手に心を開くことのできない頑なさと不器用さを持つ主人公二人の演技はいずれも印象的。とりわけ、自らの弱さや脆さをさらけ出すことでこそ相手に寄り添おうとする、終盤の森の場面でのホアキンは新境地開拓と言って良い名演。
意外にも初だというドキュメンタリー。それだけでもあまりにも多岐にわたる音楽キャリアに的を絞るのではなく、レアな映像作品から政治活動まで、膨大な未公開のアーカイブ資料を駆使しながら人間ザッパの本質にこそ迫ろうとするスタンスが見事に奏功している。有名なPMRCとの対立に加え、不意にタイムリーな意味を帯びてしまった冒頭と末尾で強調されるビロード革命後のチェコでの活動に至るまで、一見バラバラな彼の活動が全て自由をめぐるものであったことが感得できる傑作だ。
なんの前触れもなく政治家たちをブチ殺す実にごきげんな冒頭部から最高という他ないラストまで、異様なテンションが終始持続する怪作。伝染病の比喩と呼応するように同一ショット内で現実と幻想が目まぐるしく入れ替わる長廻し撮影の数々は、アレクセイ・ゲルマンと寺山修司が悪魔合体したような狂気の世界へと観客を引きずりこむ。不意に噴出する圧倒的な暴力とユーモア、あたかも疫病と戦争、フェイクニュースが蔓延するこの瞬間のロシアを予見したかのような内容は、今こそ必見。
主なアピール点の一つと思しき主人公カップルのもどかしい関係性にまつわるさまざまな細部のコミカルな演出は、一昔前の日本の学園ドラマを思わせるベタさを全面に押し出すような方向性で個人的には全く乗れず。また、実話を映画化する上で最も強調したかったはずの主人公たちが線路を長時間歩く場面にしても、いずれも撮り方にさしたる工夫が見られないため印象に残らず。鍵となる姉との関係性の落とし所は一応うまくまとまっているとは言えるが、途中で予想がついてしまった。
分かり合えないことがある。愛しているのに別れてしまうこともある。それは仕方のないことだが、それでも時としてやりきれない思いを抱く。そんな悩ましさまで含めた人生のあり方を大人も子供も聞き分けが良すぎるほどに理解しているのがマイク・ミルズの描く世界だ。上の世代の頭ごなしの視線でも下の世代の野放図な視線でもなく、両世代の理解者であるような、実に物分かりの良いマイク・ミルズの視線は、しかしその物分かりの良さゆえに逆に説教じみたものも感じてしまう。
猥雑で政治的で誠実で自由で生真面目で現代的でクラシカルで等々、矛盾する事柄を同時に体現し、対立するような概念も両方飲み込むフランク・ザッパの多様な嗜好や思想を追って、その生き様を真正面から堂々と語り尽くそうと試みた力作。なによりも本作を見た誰もがザッパを好きになるのではと思わされるほど、ザッパ本人の人間的魅力を彼の作り出す音楽と同等かそれ以上に描き出すことに成功しているように思う。特に晩年の白髪混じりで穏やかに佇むザッパの姿は実に感動的。
ロシア的なるものを表現するために作り込まれた細部に宿るリアリティと、リアルとは正反対の魔術的で大胆不敵な場面の数々が、技巧を凝らした驚異的な撮影によって見事に融合された野心作。冒頭の病的で野蛮なウイルスまみれのトロリーバスだけでも一見に値する。一方で本作に描かれる暴力であったり、セックスであったり、寒さであったりが、精緻に作られた上手な振り付けのようにも見えてしまうところが、この映画に心の底からは侵されることのなかった理由のような気がする。
冒頭に置かれた列車シーンの緊張感のなさに抱いた嫌な予感は、ゆるい学園ラブコメを思わせるパートに移行するにつれて、この緩慢さに身を委ねてみるのも映画の愉しみだという気持ちへと次第に変化していく。しかし、その後冒頭のシーンを契機として、遺族たちの映画へと変貌する構成には驚かされる。この映画の列車が、ここではないどこかへと連れていくものであり、この土地に縛りつけるものでもあるという二重の描写は、複数の顔を持つこの映画の構造に少し重なる。
ひっそりと、静かに降る霧雨を思わせる映画だ。自身の子育ての体験に端を発しているのだろうが、子育てと無縁であっても誰しも思い当たる「人」と「人」の心が交わることの迷いや困難や複雑さを、繊細にじっとマイク・ミルズは見つめる。大人であっても戸惑う、誰かに向かって一歩踏み込む瞬間の空気や湿度、温度、そして音が、モノクロの映像の内に閉じ込められ、映画全体が去りゆく時を惜しみながら、それを未来に繋ぐべく記録せんとする真摯な試みに思えた。そう、先へ先へ、と。
奇人か、才人か。捉えどころのない伝説の人の隠された顔に「ビルとテッド」のビルことアレックス・ウィンターが肉迫。自宅地下に眠る膨大な資料をじっくり紐解き、クラシックの作曲家、映画や絵画に通じる芸術家、晩年情熱を傾けた検閲と闘う運動家、など多彩な一面を深く掘り起こす。多作で知られたが、その脳内には絶えず洪水のように音楽や印象が湧き上がり、それを忠実に具現化することを最大の使命とし、素面のまま己を研ぎ澄まし挑み続けてきた生涯だったと知り、圧倒された。
熱にうかされて見る夢。それは、悪夢でもあり甘く郷愁を誘う幻でもある。映画史に残るだろう18分にも及ぶ長回しが象徴する淀みないカメラの動線に導かれるまま、川に浮かびゆらゆらと彷徨し続けるかのごとき不可思議な映像体験。現実と夢、現代と過去、高熱と冷却の見えない境界を一切の継ぎ目なくたゆたう感覚は、不快さを掻き立てられるようでいて妙に心地よい。ソ連からロシアへ。その来し方行く末を、一つの長い悪夢として俯瞰できるという意味でも、今こそ観るべき映画だろう。
一見意味不明な長い邦題とほっこり押しのパッケージから、はいはい、泣かせる系のありがちないい話ですね、と頷きつつ観始めるも、さにあらず。共に三十代で、高校生役には無理があろうパク・ジョンミンと少女時代のユナが、年齢の壁をぶち破り、余裕すら感ずる咀嚼度で物語を呑み込んで、80年代の田舎町の素朴な青春を好演。後半、それが一つの目くらましであることに気づくのだが、ベタまで行かぬギリギリの線を巧みに計算し尽くした脚本と演出に、結果まんまと泣かされてしまった。