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トリッキーな設定やアニメならではのスケートを用いたアクションの強調、現在パートでの象徴的な乗り物の使い方など、観光資源としてのアンネ像に抗い、苦境にあって彼女が発揮し続けた想像力を新鮮に再提示しようとする狙いはおおむね成功している。しかし、当時の彼女たちが直面した苦難と現代の難民問題を繋ごうとするあまり、作品が最終的にアンネ劇場の場面で批判したはずの説教臭さへと接近してしまったのは残念。恋愛プロットを含め、綺麗に物語をまとめようとしすぎたか。
ユダヤ系移民のブルーノート創設者たちとアフリカ系のアーティストたちが、痛ましい迫害や差別の経験を共有していたからこそ、互いの質の異なる苦しみに共感し、単なる仕事を超えた関係性を育み、名盤の数々を世に送り出すことができたという事実は、今こそ改めて強調されるべきだろう。登場する曲の素晴らしさはもちろん、前半を中心に回想場面で用いられる質が高いとは言い難いCGは別として、フランシスの写真やジャケットデザインの秘話が登場する後半は視覚的にも見どころ十分。
忠義と愛の板挟みにあったランスロが、やがて否応なく巻き込まれていく運命の歯車。その容赦のなさは、劇伴を廃した本作全体を貫く、あまりに異様で機械的なリズムに常に/すでに暗示されている。馬の蹄や騎士たちの甲冑・槍が発する物音、そして彼らの声。それらが形作るリズムに導かれた「耳によるモンタージュ」が、騎士や馬の身体の一部、鞍の色彩といった細部に焦点を当てる画面設計とも呼応する形で現出させた、他に類を見ない音響空間の真価は、劇場でこそ体感できるだろう。
日常の一コマを美しく切り取った映像の集積が、「新しい自分」を構成していく。一見SNS時代の情報環境を風刺しているようで本作は、明滅する映像と主人公が壁に頭を打ちつけるリズムが同期する冒頭部から一貫して、むしろ長期記憶と結びつきにくいそうした流れから立ち上がる自己像こそを、オフビートな笑いとともに肯定しようとしているように見える。ただ、そうした試みに上辺のスタイリッシュさを超えた優れた現代性や悲哀がどこまで見出せるかは、意見が分かれるところか。
アンネのイマジナリー・フレンドであるキティーとして日記を擬人化することで、文字通り現代に甦らせるアイデアが実に巧い。アンネ・フランクのわがままな面を含めての人となり描写や、ナチスに捕まるというような劇的な瞬間よりも日々の抑圧を丁寧に描いているところも好感が持てる。そしてなにより、『アンネの日記』というモノやアンネの痕跡よりも、書かれた言葉、つまり行いや身振りこそ守るべきものだという主張は、歴史を考える点でとても示唆的であると思う。
インタビュイーの幾人かが言うように、ナチスのユダヤ人迫害と当時の音楽界の黒人ミュージシャンたちへの差別が果たして同様のものだったかはわからないが、ドイツからアメリカへ逃れてきたユダヤ人の二人がブルーノートというレーベルを新しいホームとして作り上げたのだということがよくわかる。文字通り住居を録音スタジオにする挿話や食事に関する小話が実に魅力的に語られるのもそのためだろう。そう考えるとヴェンダースのプロデュース作というのもなるほど腑に落ちる。
ロベール・ブレッソンを知っている人も知らない人も、冒頭の戦いの場面から呆気にとられること請け合いの異形の映画。心理と実際に映し出されているものの乖離が凄まじく、登場人物の強硬な物質感と内面の不透明さは、まさにさまよう鎧のよう。悲しいときは静かな音楽とともに泣き顔を、嬉しい時には明るい画面と一緒に笑顔を映し出すといった、感情と画面が答え合わせのように紡がれる映画とは無縁の、自由で謎に満ちた本作は今もっとも必要とされている映画の一本だろう。
突然記憶喪失に陥る奇病が蔓延する不思議な世界だが、完全に崩壊しているわけでなく、日常的には少し交通網が乱れるくらいの緩やかな終末を感じさせる映画の導入が傑作の予感を漂わせる。映画はそんな世界を背景に個の記憶や人生にフォーカスしていく。しかし、その絶妙に崩れた世界のなかでどう生きるのかという、世界との関わりあいが見たかったと思わされるのは、患っているのは人ではなく今と未来のことばかり駆り立て、記憶を忘却させるような現実世界の方だからかもしれない。
傍観姿勢で眺めつつ、中盤から一気に心摑まれ、揺さぶられてしまった。母に反抗し、クラーク・ゲーブルとの結婚を夢想し、恋に胸弾ませ、時に未来を悲観する。苦境にありつつ夢を捨てない少女の普遍の姿が、日記でありアンネの心の友であった“キティー”の目から、現代の難民問題をも絡め捉えられてゆく。どれだけ月日を経ても人間は変わらないという皮肉、その果てに覗くあえかな希望とキティーがもたらす密室からの解放が、凍った川に走るスケートの軌跡のように深い余韻を刻む。
青い夜と、酒と、紫の煙と。旧き時代の熱や空気を、味わい深いCGアニメとジャズの名曲、当時を知る人々の証言によってまざまざと蘇らせる。ナチの脅威から逃れ、アメリカに渡ったユダヤ系ドイツ人の“ライオンとウルフ”が、公民権運動前のNYにおける人種差別に自身の境遇を重ねるさま、天職とも呼ぶべきジャズに注いだただならぬ思い、数々の運命的な出会いが実現した瞬発的かつ即興的な“シュイング”の力――。全篇を貫く愛ある視点が五感を刺激し、あの頃へと誘う名品。
後世に名を遺す名匠の50年近く前の作品に自分なんぞが星を付けても詮無いが、冒頭いきなり三隅研次「子連れ狼」シリーズを思わせる流血シーンで幕を開けるこの異色作、やはり日本未公開だった環境汚染と若者の苦悩を描く「たぶん悪魔が」と共に、今劇場で観る価値は大いにあり(ゆえに本来の意味で★三つに)。ノンプロ演者(ブレッソン曰く“モデル”)の感情を排した棒読み演技が象徴する「シネマトグラフ」に、現在の濱口竜介作品へと受け継がれてゆく潮流を汲み取れる点も興味深い。
点と点が重なって線となり、人生の軌道が生まれるのなら、一度それを無に帰して、新たに「経験」という名の点を次々打ち込めば違う自分の違う生がそこから形成されるのだろうか? 記憶やアイデンティティについて個人的に日頃抱いていた疑問が遠き地で映画に。消し去った過去を取り戻し、少しずつ空洞の体に心血蘇る過程を象徴するダンスのシーン、群衆の中での個、あるいは孤を感じさせて心に残った。師であるランティモスより狭く深く穴を覗き込む作風のニク監督。要注目。