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アメリカの歴史を裏から動かしてきた伝説的マフィアの一代記という物語そのものは、当然ながら抜群に面白い。また、自身もユダヤ系であるハーヴェイ・カイテルの存在感は特筆もので、特にイスラエル絡みの場面での演技は役柄を超えたかのような凄みに達している。ただ、ことごとく冴えない回想場面での俳優陣からは、百戦錬磨のギャングの風格がまるで感じられず。モデルも含めればすでに何度も映画化されている題材を、今あえて再び取り上げる意義を示せたとは言い難いか。
Eスポーツ、強い女性、有害な男性性といった今日的なテーマを多数盛り込むことで、ありがちなジャンル映画になんとか新風を吹きこもうとしている。なかでも、全盛期を過ぎたと揶揄されるかつての英雄イーフェイが、自らの頑なな態度を徐々に改め、プライドを捨ててチームの勝利に向けて奮闘する様は、過ちを認めて変化を受け入れる新たな中年男性像の提示として興味深い。ただ、人物像と強さ、いずれの面でも敵役の印象があまりにもパッとしない点が、レースものとしては致命的か。
〈ストレンジ・フルーツ〉を軸にした構成や、忌まわしい記憶の回想場面をドラッグ服用時の幻覚と結びつける発想が印象的なスーザン=ロリ・パークスの脚本をはじめ、アンドラ・デイの抜擢やプラダの起用に至るまで、伝記の要素を含みつつも、あくまでもBLM以降の視点からビリー・ホリデイを現在進行形で再評価しようとする意欲に満ちている。未発表の伝記を元にした近年の「ビリー」と比較しても、とりわけ彼女を知らない若い世代の観客の多くにとって、より琴線に触れる一本だろう。
「アルマゲドン」×「すみっコぐらし」といった趣の一癖も二癖もあるダイバーチームの面々はそれぞれに魅力的だし、救出劇そのもののインパクトも申し分ない。しかし、そもそも映画化できた時点で最悪の事態は回避されているに違いないと観客に伝わってしまうのは明らかなのだから、不特定多数の人間に届ける意思があるのなら、「15時17分、パリ行き」とまでは言わずとも、中途半端にサスペンス感覚を盛り上げようとするのではない、なにか別の語り口の工夫が必要だったのでは。
密輸、賭博、兵器の売買など、現在のアメリカを構成する重要な事柄にすべて関わっている実在のマフィア、マイヤー・ランスキーという人物にまず驚き、そしてアメリカの裏・現代史がビジネス的な価値観で語り直される点が興味深い。一人のマフィアの半生では収まらないスケールを持ちながら、良くも悪くもコンパクトにまとまっているのは、ランスキー幼少時代のサイコロ賭博によって語られる「ゲームの支配者」になることというテーマが最初から最後まで一貫しているからだろう。
さすがにレーサーを侮りすぎだろう。レースゲームのチャンピオンがド素人にもかかわらず本物のサーキットに挑むという筋書きはまだいい。業界外の人間だからこそ、従来の業界のルールを変え、世界を新しく作り直すことができたりもするだろう。そんな観点からプロスポーツを描く映画もある。ただ本作は好きな女性レーサーに見捨てられないために、愛の力で一流のレーサーになってしまう。そこには、映画ならではの表現もカーレースのプロフェッショナルな世界も技も感じられなかった。
公民権運動を扇動するとして国が歌うことを禁じた〈奇妙な果実〉。この曲がいつどのように歌われるのかが本作最大のポイントだろう。〈奇妙な果実〉を歌ったことで、社会がどう動いたのかを映さなければ、この歌を取り締まる理由、そしてビリー・ホリデイはなぜ歌わなければならないのかが描けないのではないか。しかしこの映画は、社会的な側面や観衆の反応よりもビリー・ホリデイと連邦捜査官側との対決を描くことを選ぶ。確かに対決模様は面白いがその選択は良いのかどうか。
世界中が見守ったタイの洞窟に閉じ込められた子供たちの救出ドキュメンタリーだが、単に奇跡の救出劇を描くわけではない。特に前半部分は洞窟の空間が神秘的に描かれ、スポーツとしての洞窟潜水の魅力も語られるところがこの映画の特異なところだ。そして子供たちを救うために各国の有能なダイバーたちが集結する場面はリアルアベンジャーズのよう。事件の真相や安否のサスペンスではなく、正面から救出にあたる人々を格好良く捉える作りはこの映画のなによりの強みだろう。
老境を迎えた伝説のマフィア、マイヤー・ランスキーが取材を受ける80年代と、彼が語る若き日の回想を交互に描き出す。消えた大金の謎や取材する作家自身の現状をも織り交ぜ、内容は単純ではないものの、緩急が淡く単調な印象が残った。観るべきは老ランスキーを演じるハーヴェイ・カイテル……なのだが、動きや人物造形に乏しく、持ち味を堪能し切れぬもどかしさが。作家のモデルが監督の実父とのことで、現在パートへの思いの強さが、ギャング映画としてのキレを薄めた感も少々。
製作総指揮はジェイ・チョウ。自ら特別出演し、懐かしの主演作「頭文字D THE MOVIE」のセルフパロディ的シーンも盛り込んだ、渾身のレース映画だ。本物を追求し、巨額の製作費を注ぎ込んだというカーレース場面は、冒頭からかなりの迫力。そのまま華麗な完走を期待したが、ストーリーの軸が定まらず、本筋自体は迷走状態に。漫画のような設定は味わいの一つとして、次々に移り変わる視点や、その都度ブレる各人のキャラなどシナリオの粗さはどうにも見過ごし難く、残念。
本人が憑依したかのような、初演技とは思えぬアンドラ・デイの凄味と、彼女の歌う〈奇妙な果実〉は確かに圧巻。タイトル通り、72年のダイアナ・ロス版では描かれなかった、公民権運動初期のアイコンとしてのビリーに焦点を絞った、現代的視点に基づく映画だ。テーマありきな分、酒や薬に溺れ、男たちに搾取され、連邦麻薬局が執拗に仕掛ける罠とも闘い続ける痛々しさが際立ち、自身から迸る思いや歌への情熱=人間らしい魅力が霞んだ面も。ドラマから歌に流れる動線は、旧作に軍配。
絶望的に立ち塞がる分厚い壁を、小さな偶然や世界中から集まった人々の本気の積み重ねによって少しずつ、着実に打ち砕いてゆくその過程。いくら結末を知っているとはいえ、手に汗握り、固唾を呑んで見つめずにはおれない。救出を完遂した世界屈指の洞窟ダイバーたちを苛むプレッシャーや葛藤、さらには狭く暗い場所に彼らが安らぎを求めた理由にまで潜行してゆく、ドキュメンタリーとしての深度に何より感じ入った。今、この時代ゆえになお、改めてずっしり響くものがある。