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自らが育った街を舞台に、クセの強い毒親と娘が織りなすSNS時代の「グレイ・ガーデンズ」といった趣の物語を、自伝的要素を盛り込み、階級の主題を強調しつつ実母と自らで演じる。こうしたアートしては実に気の利いたコンセプトに加え、ゼブラ柄のセットアップなど自身が担当した衣裳にも目を奪われたが、その一方で八〇分強しかない時間が非常に退屈に感じられてしまったのは、そもそも集中して最初から最後まで作品を通して観るような鑑賞態度が想定されていないからだろうか。
若い女性を襲ったある不幸な事件をめぐって展開する、階級・人種・性差をめぐる差異の力学が幾重にも絡み合う重厚で骨太な物語は見応え十分。マルセイユの風光明媚な景観の中で浮き続けるキャップにネルシャツ姿のマット・デイモンが、アメリカの白人労働者階級の紋切り型を過剰なほど強調しつつ、優しさと粗暴さを併せ持つ男を好演している。彼がほぼ共通点のないインテリ女優とその娘と一歩ずつ交流を深めていく展開の遅さには好感が持てたが、そのせいで尺が長くなりすぎた感も。
人身売買や死体処理といった重い主題に、障害や韓国特有の年功序列文化、強固な家父長制などの要素をまぶしつつコミカルに仕上げた、単純な社会派映画にはとどまらない意欲作。全ての演技を表情や身振りのみで表現したユ・アイン、大人顔負けの知性と子供らしさを兼ね備えた少女を演じたムン・スンアの存在感は際立っており、拍手の反復など台詞に頼らない演出も効いている。ただ、誘拐と日常を同時に描こうとした結果サスペンス性が削がれてしまったことが、確信犯だとしても残念。
枝葉を徹底的に削ぎ落とすことで、最近のハリウッド映画であれば二時間を優に越えそうな、要素を盛り込みすぎの脚本を百分以内に収めている点は素晴らしい。だが同時に、ナレーションの乱用と意外にあっさりしたアクション場面も相まって、全体的に別の作品のダイジェストを観ているような感覚に陥ってしまったのも確か。金塊強盗とPCや多様性の視点を強引に両立させようとする脚本への興味のなさが随所に伝わってくる、ハーリンの仕事に徹した職人的演出を楽しめるかどうかが肝か。
お金も仕事もなくても微塵も気にせず、好きなものを着て、自由に遊びに繰り出す愉悦さを体現し続け、最後まで自らの行いを反省しない母娘が素晴らしい。そして極めて現代的な貧困母娘のセルフィー生活を過剰にキラキラさせすぎない(画面もモノクロである)演出もリアルさに一役買っている。ゴダールやグレタ・ガーウィグなどと比較する向きもあるようだが、ニュース映像の挿入の仕方、つまりは社会情勢との関わり合いを含めてアキ・カウリスマキの「マッチ工場の少女」を想起した。
父娘の再生、冤罪の証明、異国での恋、貧困層、同性愛等々、多様な題材を盛りに盛り込みつつ語り口は簡潔に、一本の映画にまとめあげる手腕が光る。二時間をゆうに越える上映時間も、この長さこそが配慮と誠実さを追い求める現代映画の一つの争点でもあるような気もしてくる。社会に対するフラストレーションを静かに溜め込むマット・デイモンの重いガタイ、そして、優等生から反抗期役というキャリアを経て、良心と不良を併せ持つようになったアビゲイル・ブレスリンが良い。
映画に描かれるのは、マフィア世界とそこの末端で働かざるを得ない貧困層や障害者、人身売買といった韓国社会の負の側面だが、描くタッチは軽やかでユーモラス。抑制の効いた演出も心地よい。そして、殺害現場の清掃、死体の穴埋めという凄惨なモチーフがユーモラスに描かれたかと思えば、そのモチーフは様々なところでアイロニカルに変奏され、ユーモアは悲哀さへと捻れていく構成も巧み。ただし、結末も含めて展開は予想通りのところに落ち着く。そちらも捻って欲しかった。
人にはその人自身の出自があり、個性があり、主義思想や指向も嗜好もある。ケイパームービーとは誰か一人でもかけてしまっては成り立たず、そして誰もが失敗もすれば、スポットライトも当てられる理想的な世界の別称だ。その世界が旧世界への軽やかなカウンターとなれば、それはカッコの良い犯罪映画となる。その意味でほぼピアース・ブロスナンだけ活躍する本作には不満が残る。もちろん視聴者を巻き込んでの騙し合いも醍醐味の一つだが、その方面からでも擁護は難しい。
「女と男のいる舗道」を思わせるカフェでのシーンに始まり、アマリア・ウルマンの突飛なファッションや表情、冷蔵庫で人を呪う(!)風変りな“ママ”との貧しくも楽し気な暮らしぶりなど、目を引く部分は多々あれど、一つもまともに捉え切ることなくすべてがふわっと流されてゆく。日常をつぎはぐ、お洒落なパッチワーク。それこそが狙いであり、今の時代らしい空気なのかもしれないが、いかんせん縫い目が緩すぎてインパクトのある一枚の作品としての完成には至らず。次作に期待。
無実を主張する娘のため、言葉の通じないマルセイユの街を奔走する父を描いたサスペンスだが、真実の行方以上に人間の描き込みの深さに心打たれた。出会いやダンスの場面など、異国で孤軍奮闘する主人公と現地に住む母娘との交流が繊細に綴られ、柔らかな光を生み出している。「人生は冷酷だ」と娘は呟く。それも一つの真だが、その裏にある逆説をも、映画は丁寧に掬い取る。禍も福も複雑に縒り合わされた、不器用な父と娘の、人生という名の縄。マット・デイモンの無骨さが、いい。
韓国映画は数多観てきたつもりだが、まったく未知の手触りだった。起きていることは衝撃的で残忍なのに、終始とぼけたおかしみがあり、現実から妙に浮いている。その間隙にこそ真のリアルが宿ると言わんばかりに。誰もが自分の居る場所で、それを守るべく必死に生きている。少女の諦観に似た達観と、ユ・アイン演じる口きけぬ男の抱くもどかしさ。「私の少女」や「アジョシ」など、訳ありの大人が少女を庇護する作品群とも大きく一線を画す、ホン・ウィジョン独自の視点に唸るのみ。
ガイ・リッチー風にテンポよく滑り出す、正義のために立ち上がる犯罪プロ集団の物語。とはいえ、冒頭から機関銃のごとく放たれまくる説明台詞が咀嚼しづらくいきなり苦戦。そんな観る者の困惑に構わず、こちらも滑りが良すぎるギャグの連打とぬるめのアクションを織り交ぜながら、ストーリーは快調にするすると進みゆく……。軽妙さが売りのアクション映画であっても、人物に奥行きがなくては没入しがたい。せめて主人公と敵キャラ(ティム・ロス!)だけでも掘り下げてほしかった。