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アンデス山脈と所縁の深い彫刻家たちの証言は、祖国を後にしたグスマンが現地に読みこもうとする象徴性とあまり嚙み合っていないようにも見えるものの、長年チリ政治の腐敗と民衆の闘争を現場でカメラに収め続けてきたパブロ・サラスと彼が保管する膨大な資料へと作品の焦点が移るにつれて、目が離せなくなる。自らと対照的にチリの地にとどまることを選んだ彼の仕事は、監督にとってありえたかもしれない未来であり、同時に「チリの闘い」を現在へと引き継ぐ試みでもあるだろう。
人種やジェンダーをめぐる差別を問い直す近年の流れを受け、とうとう人気シリーズの怪物表現にもアップデートの波が。人類学的な視点を盛りこみながらも同時に暴力描写は一切手加減せず、田舎ホラー特有のベタな設定や展開も部分的に残すことで、致命的な失点を防ぎつつ娯楽映画としてのバランスを巧みに保っている。過剰さや歪さに欠けるウェルメイドなB級ホラーが時代を超えて愛されるのかは疑問だが、そこまで求めるのは酷か。元作品を褒めていた帝王キングの感想が気になる。
当初の企画が次第に予想を超えた規模に発展していくにつれ、身の危険を顧みずさらに事態を過激化させていく撮影チームは、ある意味で告発対象よりも恐ろしい。なぜか報酬もなしに自ら進んでリスクを負う主人公、圧倒的なうさん臭さと存在感を放つミスター・ジェームズ、そして監督。彼ら三人の胆力と覚悟は、明らかに正義感以上に好奇心や悪意と結びついている。そんな彼らのタガの外れた悪ふざけぶりが生んだ、より危険でサスペンスフルな「ボラット」とでも呼ぶべき異形の一本。
事件解決に向けた手がかりがほぼ外部の女性情報屋からもたらされることは、権力をめぐる男たちの争いの虚しさを強調する狙いがあったのだろうが、それ以上に捜査の過程からジャンル映画としての魅力を削ぐ結果になってはいないか。ハンスと出世を争うミンテがかつては相棒であったという設定もほぼ生かされていないため、なぜ不仲で偏屈な二人のいがみ合いを長々と見続けなければいけないのかという気分に。二人の因縁に感情移入できないせいで、終盤にもいまいちのめりこめず。
激動のチリを見守ってきたアンデス山脈の岩の言葉を理解できれば、失われた答えがわかると映画作家はいう。それこそが芸術家の仕事なのだと。でもどうやって? アンデス山脈の岩で作られた道路をじっと見つめて、そこに響いた足音の記憶を語る思索的な語りを披露しつつ、他方でピノチェト時代の暴動を捉えた切迫的な映像や、アンデス山脈と関わりの深い芸術家による直接的な社会批判を織り交ぜるアプローチは、いささか強引にチリとアンデス山脈を繋ぎ合わせているように見える。
ホラーという枠組みは崩さず、その中で様々な映画の型を横断していく作りやカルト集団が焦点になるなど、現代的な流行は感じさせる。実際に「トマホーク ガンマンvs食人族」や「バクラウ 地図から消された村」、はたまた「グリーン・インフェルノ」や「ミッドサマー」、それに「マッドタウン」から果てはジョン・フォードの「捜索者」まで様々に想起させるが、それはあくまで表面的な類似にすぎず、本作に強烈なオリジナリティがあったかと言われるとかなり疑問が残る。
いくらなんでも北朝鮮へのスパイ活動の内容が凄すぎる。映画はスパイのウルリクを「目立たない人物」と評するが、無表情というのが適切で、彼の感情は一切わからない人。フィクションにおけるスパイならば表情と心理のズレをサスペンスに交換するところだが、主役ののっぺらさがこのドキュメンタリーの特徴だ。そして、石油王に扮してウルリクをサポートする「役者」のミスター・ジェームズや闇取引を行う北朝鮮関係者が揃いも揃って良い表情ばかりなのも嘘みたいによくできている。
ヤンキー映画と見紛うほどに身体が暴力を介して入り乱れる、裏社会のアジトへ突入するシーンを筆頭に、抽象的な心理描写を斥けて、腕っぷしと人数という即物的な力に信を置いている作りがとても良い。警察と裏社会との結びつきや組織内での権力争いなどといった特段目新しいわけではない題材を、しかしきっちりと撮り上げる総合力の高さも感じられる。ただし、着実に事態が進行していく反面、後戻り不可能な決定的瞬間が捉えられていないことを指摘するのは少し野暮か。
「光のノスタルジア」、「真珠のボタン」に続く三部作最終章。第一作では星と砂漠を、第二作では海と水を美しく映し出し、大自然の恵みと悠久の時を通じて、隠蔽されたチリの悲痛な歴史をあぶり出してきたグスマン監督。アンデスの雄姿に始まる今作は、独裁政権に虐げられた人々の叫びを、より直截的に描き出す。ラスト、廃墟となった監督の生家は、そのまま第一作冒頭の甘い記憶へと繋がる。時の重みを黙って受け止める山々を前に、“人間とは何か”という解けない謎を自問するばかり。
2003年版から約18年。中盤までは、その歳月の意味を感じた。森に入る若者全員が白人の旧作に対し、現代版は国籍も多様化し、一組は同性カップル。以前は下着と見紛う服装のパリピ揃いだった女性陣も、ここでは一転、強く、クレバーに。第一に森で闘う相手自体が食人族ではなくなり、偏見や差別に抗う姿勢がくっきり。が、後半突然「ザ・ビーチ」的展開に突入し、マシュー・モディーン演じる父が合流する終幕は、遂に「ウィッカーマン」に⁉ “リブート”の意味をしみじみ、考えた。
鑑賞中、“ざわざわ”が止まらない。今、何を見ているのか、こんなことをして大丈夫なのか、映画として公開しちゃって本当にOK? 何より、これは本物のドキュメンタリーなんだろうか⁉ 隠しカメラとは思えぬほどリアルで鮮明な「潜入映像」は一方で、見慣れた風景にも思える。武器売買契約終了後の宴席など、「工作」にこんなシーンが、と過去の映画の断片が頭に浮かんだ。そう、混乱しつつ確実に言えるのは、フィクションに劣らず滅法面白いということ。マッツ・ブリュガー恐るべし。
あのフレンチノワールの名作を韓国でリメイク! 第一報に心躍った。義理と人情に篤く、仲間や家族の絆を重んじ、出世欲さえストレートに露わにする韓流独自の〝熱さ〟が、オリジナルのテーマにしっくり溶け込みそうに思えたからだ。多くは語らず余白で伝える大人の映画だった仏版とは、また違う手触りのノワールをきっと見せてくれるはず、と。実際、演出も演技も悪くない(特に「白頭山大噴火」と正反対のチョン・ヘジン!)のに、脚本の大胆すぎる改変が仇になったか……。無念。