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今泉力哉は役者を魅力的に撮るのが本当に上手い。だから誤魔化されてしまうが、脚本の弱さは毎回いかんともし難い。継母をお母さんと呼ぶまで1時間。その後55分の男友達は蛇足。二部構成にしないで交互にやらないと。皆、相手のことを思いやれる優しいお利口さんばかり。これじゃ生まれるドラマも生まれない。原作にはもっと悪意が隠されている。この薄っぺらな感じがウケているのか。人間が隠している本質を描かないと映画史には残れない。撮り過ぎて雑になってないかと老婆心ながら。
佐々部清愛に満ち、物申し難い雰囲気にもまた満ちている。しかし毎回同じことを言わねばならない。これは果たして映画だろうか。そもそも佐々部さんを知らない人は観るだろうか。そして3・11。佐々部さんだけでは弱いから漂流ポストを入れたとしか思えない中途半端さ。やるなら佐々部さんが被災地で何を撮りたかったか探る構成にしないと。タイトルに偽りあり。この便利使いは佐々部さんも怒るのでは。でも僕が死んでも誰もこんな映画を作ってくれない。佐々部さん、幸せだと思う。
なぜ24年も前の映画をリメイクしようと思ったのか。密室で性善説と性悪説が混沌とし、良きリーダーに見えた黒人警官が白人たちの支配者と化すパワーバランスの変化がオリジナルのキモなはず。それを凌駕するテーマも新しい切り口があるワケでもない。オリジナルより17分長く、緊張感も不気味さもドラマも17分の1。錚々たる役者、何の勝算があって出たのか。本作に関わった人たち、これを面白いと思ったの? 誰も何も言わなかったの? 映画愛を疑う。全員戦犯、CUBEに閉じ込めたい。
また居場所のない孤独な女の子の話かと観ていたら、教師の父親と不倫して自殺した女子高生の幽霊が出てきて、襟を正す。不倫を主人公に告げた男子生徒も女教師と禁断愛中。そう来るか。性描写のないロマンポルノ。好き優しいの多用がウザいと思っていたら、最後の嫌いで大逆転。役者も皆いい。凡百の孤独ぶりっこ映画とは一線を画す。ベテランスタッフに恵まれることも才能のひとつ。願わくはバカな大人に潰されず、半径1メートルの外の世界にも目を向け、才能を伸ばしていってください。
窪美澄と今泉力哉。欠落感を抱えた人々の繊細な心理劇という意味では相通じるのだろうが、この作品を見る限りはむしろ相性の悪さを感じた。新しい母と実の母の間で揺れる少女という繰り返し作られてきた物語に対する、窪なりのアプローチが確固としていて、今泉の持ち味であるどこに転ぶかわからない対話劇のスリルが削がれてしまっている。結果として、人物の陰の部分を打ち消し合い、予定調和的な少女の成長物語に収斂していく。個々の俳優は生き生きしているだけに残念。
急死した佐々部清監督の親友だったという俳優・升毅が、監督ゆかりの人々を訪ねる。プロデューサーや俳優、地元の後援者やスナックのママ、肉親や家族。それぞれにあの世にいる監督への手紙を書いてもらい、岩手へ。そこには東日本大震災を機に設置されたポストがある……。残された人々のグリーフケアを追いながら、野村展代監督自身のグリーフケアでもあるドキュメンタリー。死者への手紙は書き手自身の喪失感を埋めるものであり、そういう意味でこれはプライベートフィルム。
ある日突然、謎の空間に閉じ込められた人々の不条理劇。殺伐とした生き残りゲームであった一昔前の「GANTZ」に比べれば、脱出を目指す集団行動を通して、隠れていた個々の人物像が次第に顕わになっていくという、古典的な脱出劇のような妙味はある。そこに経済格差や世代間対立のような社会的なテーマが隠し味としてふりかけてもある。ただ、そんな古典性、社会性がこの映画を凡庸なものにしている。結果としてどの人物もステレオタイプで、深みを感じられないのだ。
「落ちつくんだ」と諭す男たちに復讐していく女子高校生の物語。一見普通の少女は、ある幻影に追われてはいるけれど、狂っているのか、冷静なのか、最後までわからない。少女を中心に、脅迫の対象である幼馴染の同級生、そして父との関係を軸とした、いくつもの三角関係が構築され、その関係性のきしみがドラマの推進力となっている。すべてを画面で語り切ろうとする中川奈月監督の意志はすがすがしく、おそらく低予算であろう学生映画の画面に、異様な緊迫感をもたらしている。
陽と陸。互いに対照的で不可欠でもある存在の名をもつ“好き”同士の幼なじみが、恋と友情の間で揺れる姿を見つめる。うまく表現できなくても懸命に伝えようともがく男女の、もやっとした心情の機微を丹念に掬いあげる手腕は、オファーの途切れぬ今泉力哉監督の真骨頂。それぞれに複雑な家庭で、近しいゆえに壊れやすくもある関係性の中、言葉を大切に選びながら、ちびっ子も高校生も彼らの親も、少しずつ成長し合っていく。さりげなくも深い感慨に、今泉監督の円熟味が増した感も。
映画も、ひとなり。そんな名作を遺した佐々部清監督急逝の波紋に、東日本大震災の被災者の方々の胸中を重ね、喪失と向き合うさまをカメラは捉える。佐々部映画を愛する面々の生き生きとした語りは、いないはずの監督を束の間、甦らせる。奥様いわく“同志”の升毅が、陸前高田市から監督想い出の店まで訪ねる旅の終わり、自ら記す端的なメッセージに、心震える。宛先無限の手紙を通し、故人を偲び続けることは、決して後ろ向きではない。佐々部作品にも通じる、温かな趣の好篇。
なぜ今、「CUBE」の日本版リメイクなのか。オリジナル版独特のトーンとともに形成された、普遍性を内包する観念的な世界観を、経済格差や世代間ギャップなど、日本の現代社会が直面する課題も照らし合わせ、より具体的に探究しようと試みる製作陣の熱意は伝わる。とはいえ、様々なトラウマと闘いつつ、閉じ込められた“CUBE”の謎に挑む老若男女の人物像に未消化さが残る分、その内面や背景に深く踏み込もうとするほど、話がリアルさから逸脱していく歯がゆさも感じられた。
いわゆる復讐劇は、する側、される側双方に救いのない展開が常だが、両者を隔てる境界ごとぶっ壊すことで、ある種の救済へと導く、異様な熱気みなぎる怪作。「本気のしるし」でも異彩を放った福永朱梨が、死の淵から期せず生還し、愛されたい願望を益々こじらせるモンスター予備軍にも見えかねぬ女子高生を、自身だけは彼女をすべて受け止めんとする覚悟で力演。期待の新鋭らと協同で、ぼっち娘の孤独という名の闇や狂気に肉迫し、しまいには共感さえ獲得してしまう離れ業をやってのけた。