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客のいない田舎のホテル、他人のような妹、かつて死んだ母と過ごした空室、不審すぎる唯一の従業員、行方不明の脱北者といった裏に何かありそうな設定そのものは悪くないのだが、物語を駆動する母娘の確執とそれらの要素がうまく絡まず、サスペンスを持続させる演出もほぼ見られないため、あまり機能していない。鏡の中だけに映る女の霊や画面外から伸びる手など、頻出する死角を強調した恐怖演出は、B級的な味があるわけでもなく、いずれも新味に欠ける安易なもので精彩を欠く。
潔癖症や窃盗症といった強迫性障害を恋愛と絡める設定は斬新で、扱い方次第で独創的な作品に結実する可能性は十分にあったはずだ。だが、病からの治癒がカップルの運命的な関係を変質させていく展開は、病を異常なものとして健康・普通と対立させる規範的な発想から結局は逃れられていない。治癒を契機としてSNS的な正方形の画面がドラン「マミー」を思わせる形で横に広がる陳腐な仕掛けも含め、単に見かけ上の物珍しさから病を生きることを主題とした可能性を疑わざるを得ない。
観ていて気恥ずかしくなるような古臭い文学観が開陳される冒頭部には不安を覚えるも、次第にダサさと表裏一体の物語や衣裳の瑞々しさに惹きこまれる。最初期の「サマードレス」を想起させつつもセルフパロディの要素とは無縁の仕上がりとなっているのは、原作への変わらぬ愛ゆえか。同時代性や現代性に一切目配せすることなく自らの偏愛する80年代の世界観をひたすら追求する純粋さには、ところどころ苦笑しつつも感服。はじめてロッド・スチュワートの楽曲を少しだけ好きになった。
2012年に政府がはじめて認めたノルウェー国民のホロコーストへの加害責任を実在した離散家族に焦点を当てて問おうとする試みは疑いなく貴重なものだし、五輪直後の日本で本作を通じて差別や全体主義の恐怖と改めて向き合うことにも固有の意義があるだろう。しかし、おそらくは作品の印象が陰惨になりすぎることを嫌って導入されたと思しき収容所でのボクシングをめぐる演出には、事実(ランズマン)と虚構(タランティーノ)のいずれにも振り切れない本作の中途半端さが露呈している。
逃げ隠れる場面において重要なのは、やり過ごせたかに見え、ほっと一息ついたまさにそのときに見つかってしまう呼吸と角度だが、その瞬間にとくに注意を払っているようには見えない冒頭からすでに作品に乗れず。また、いま何階なのかも曖昧な撮り方はホテルという舞台をうまく生かしているようにも思えない。さらにはガラス破片を素手で持つという選択やそのガラス破片が一切活躍することもなく気づいたらなくなっている終盤のシーンなど疑問点がいくつも浮かんでしまった。
前半の人工性と無垢さが共存する風変わりなカップルと画面構成は、これは作り物だと観客に絶えず語りかけているにもかかわらず感動させる「クウォーキー」というコメディ映画群を想起させ、いささか既視感はあるものの巧妙に風変わりな世界を作り上げている。さらにはその世界をカップルの片方が〝普通〟になることで瓦解させる展開は気が効いているが、瓦解の仕方それ自体がとても律儀な構成に感じられるため、結局はお行儀の良い世界にとどまってはいるように見えてしまう。
センセーショナルな表現も品よく抑えられ描かれる親友と恋人どちらともえいないあわいの関係性は、とても雰囲気良く北フランスの夏空と海のなかを心地よく吹き抜けて、爽やかに切ない。「墓の上で踊る」秘密、つまりは私とあなたの関係は、物語のように書くことによってしか言い表すことが出来ないと本作は語る。創作論そのものにも思えるし、安易なカテゴライズを拒む批評的な態度にはとても共感する。だが、肝心の「書く」ことそのものについては深掘りされているとは言い難い。
凄惨な歴史の映画化に関して、面白くしすぎてはいけないという問題がある。歴史改変や悲惨さの収奪になりかねないからだ。かといってホロコーストに加担したノルウェー秘密国家警察という「事実情報」を伝えるのでは映画である意味がない。目指すべきは情報に還元されることのない、占領下のノルウェーの人々の固有性をありありと捉えて見せること。しかし離散した家族が出会うハイライトを数分置いて二度続けて描いてしまう本作には、そういった瞬間は残念ながら多くない。
身寄りのない少女を主人公が引き取る始まりは「エスター」を、湖畔のホテルでの怪現象は「シャイニング」を、目隠し遊びや霊能力者との格闘は「死霊館」を……と、既視感ある場面が続く。舞台となるどこか不気味で瀟洒なホテルをはじめ、母親の自殺、周辺で起こる謎の事件、酒に溺れる従業員などお膳立ては完璧だが、核となる物語の芯が最後まで見えないため戦慄まで至らず。子役出身のイ・セヨンを筆頭に気になる女優が揃っただけに、より濃密なドラマを期待してしまった。残念。
強迫神経症の二人が出会って恋に落ちる、一風変わったラブコメディ……と思いきや、まさかの大衝撃作。全篇iPhoneで撮影されており、新鋭リャオ・ミンイーの斬新な試み溢れる意欲作であることは確かだが、中盤以降、そんな範疇を軽々超えてゆく。主人公の病気が治り、正方形だった画面が横長に拡がった瞬間、世界は少女漫画からドロドロした実録レディコミの世界へ。人間所詮自分が可愛い。愛という錯覚を巡る「エゴ」の正体に堂々切り込む重すぎる急展開に、鑑賞後、しばし茫然。
ひと夏の、わずか6週間に凝縮された少年の迸る思い――走り出す恋の昂揚、愛する人と心身が溶け合う恍惚、相手を独占しきれぬ不安と嫉妬、やがて訪れる底なしの絶望――。「ラ・ブーム」や「マイ・プライベート・アイダホ」へのオマージュとともに、フランソワ・オゾンが17歳から心酔していた原作を映画化。ロッド・スチュワートの〈Sailing〉に乗せて10代の鬱屈した思いを爆発させる墓の上の舞いの美しさよ! 監督と同じ67年生まれにはたまらない80年代の空気に★を1プラス。
ノルウェーにまで及んでいたホロコーストの悲劇を、そこに加担したノルウェー人の罪というより、とある一家の無惨に打ち砕かれる幸せに焦点を当てて描く。主人公が収容所の豚小屋で非道な暴行を受けるシーンのすぐ後に、束の間の家族の語らいを挟む緩急の効いた演出に心揺さぶられた。横暴な権力の下で、市井の者が自由や権利を奪われる。これは過去の遠いどこかの物語でなく、今のあなたの物語でもあるのだと、終盤、無音の悲鳴を湛えた灰色の画面が淡々と強く、訴えかけてくる。