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認知症ホラー。老婆が即身成仏みたいになっちゃう画面は面白いが理屈に合ってない気がする。結局ただの人間でしょう。秀逸なのは孫娘が勝手知ったる家の中に何故か閉じ込められる趣向で、ホラーハウス物の常道。ではあるが、邦画「わたしたちの家」の多次元空間とか「ポルターガイスト」の延びる廊下を思わせてスリリング。老婆の心象風景の実体化みたいでここは怖い。ただ基本、人物間に怒りや憎悪がないので無間地獄という感じにならない。いい話にしない方が良かったのでは。
良く出来た習作で楽しめるものの、脚本が作品世界をまだ客観視するに至っていない印象。主演者は昔だとソフィ・マルソーとかシャルロット・ゲンスブールとか、もっとさかのぼればジャクリーヌ・ササールの線なのだが、優等生なので肩入れできない。難しいものだ。だらしない女だったらもっと嫌な感じだったはずだから。アクションの同調という趣向が面白く、もっとそういう演出で攻めても良かったか。彼女が惚れる舞台俳優も物分かりが良すぎる気が。演出家のパワハラも問題だな。
リアルタイムで知っている69年夏の出来事と言えばアポロの月面着陸に尽きる。米国でもそうだが、ただしNYハーレム公園だけは違う。この音楽イヴェントの凄さは観客も出演者もほぼ黒人というところでフィフス・ディメンションやステイプル一家のライヴ映像はまことに貴重、もっと見たい。ハービー・マンのグループは例外的に白人中心だがソニー・シャーロックの無手勝流ギターをフィーチャーしてバランスを取ってある。ただし現在視点のコメントがかえって問題を鈍らせてしまった。
日本が絶対に韓国にたちうち出来ないのが、こういう「有事」映画である。白頭山は北の山だから地理上は結構南から遠いのだが、噴火の影響地震が頻発するのでチームが立ち上がる。北のエリート(高官スパイ)と南の雑草(爆弾処理班)、それぞれ思惑が違い、そのせいで道路から外れてバディ(ロード)ムーヴィみたいになる展開がいい。「PMC」ほどゲーム的じゃなく「南山の部長たち」ほど実録じゃない。だから先が読めそうで読めない。北がどう動いたか一切分からないのが可笑しいね。
冒頭の薄暗い室内でクリスマスライトに照らし出される老婆のショットから「呪いの家」の見事な全景を経て犬用の出入り口から産み出されるように娘が出てくるショットまでの映像イメージの連鎖は監督のたしかな才気を感じさせるし、堂に入った視線の誘導も劇中のサスペンスを絶やすことはない。ただ、本作の肝であろう「壁を使ったサスペンス」が傑作「壁の中に誰かがいる」や「ドント・ブリーズ」のようには機能しておらず、やや抽象的な表現に陥っているのがもったいない。
監督本人演ずるボリス・ヴィアンを愛読する自意識強い系少女が当然のように同級生たちとはなじめず、年上の舞台俳優と恋に落ちるという筋書きだが、ふたりの出会いや心通わせる瞬間が演出の淡白さやカメラポジションのつたなさゆえにとらえきれておらず、なかなか映画に入っていけない。それでも、不安な時にはなんとなく家族のかたわらに佇んでしまうという、認めがたい幼さを顕在化させる一連のシーンには、この監督でしかとらえられない生のリアリズムがしっかりと映っていた。
21世紀に入ってからというもの、わたしのような平凡な日本人には今まで想像すら出来なかったアメリカにおけるアフリカン・アメリカンの闘争や歴史に触れる機会が増えたように思えるが、本作はまさに1969年のニューヨークで起きたテレビには映らない音楽による革命の記録であり、その先進性を目の当たりにすると50年前のハーレムですでに人類の未来は明示されていたような気すらするのだ。鑑賞後わたしのアップル・ミュージックのリストが激増したのは言うまでもない。
北朝鮮の核弾頭を強奪し、それを阻止しようとするアメリカ軍をけちらし、最終的には中国との国境付近にある絶賛噴火中の火山地下にある炭鉱でその核弾頭を爆発させなければならないという、「アルマゲドン」の任務が朝飯前に思えるほど困難な任務をおおせつかった韓国の特殊部隊が北朝鮮の工作員と手を組んでピンチを切り抜けていく様子が説得力を持って迫ってくるのは、朝鮮半島の歴史・地政学的な背景はもちろんながら、韓国映画界のハリウッド・レベルの技術力があってこそ。
アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」は、認知症の人物の視点によるサスペンスが斬新だったが、こちらも認知症の人物の内的な心象風景が舞台設定において再編成されたような作りのホラー。結末にある「裂け目」が訪れるまで、前情報がなければ迷宮に迷い込んだような気分に陥るものの、その「裂け目」から作り手の思潮が一気になだれこみ、謎が一挙に溶解していく鑑賞感がもたらされる。女性の映画作家にあって、ケアの現場に女性しかいないこと自体が風刺化されているのでは。
20歳の監督自身によって演じられる16歳のスザンヌから決して視線を逸らさないカメラは、この映画を少女のある一時期の成長を追った実験的で虚実皮膜な記録映画たらしめている。16歳の少女と35歳の男性という年の差恋愛における危うさは、性行為がダンスに置換され、決定権を少女側に握らせることで聡明に回避されているだろう。ただ「17歳の肖像」(09)など同一のテーマを扱う映画は数知れず、そのなかで何か飛び抜けて秀でた新奇性があるかと問われると断言するのが難しい。
これまで見過ごされてきてしまった文化が当事者たちの証言と共に描かれていく手法は、映画におけるトランスジェンダー表象を当事者たちの証言と辿った「トランスジェンダーとハリウッド」を想起させる。ブラック・ミュージックに詳しくない観客にとっても、画面から放たれる熱量と迫力に圧倒され、高い満足度を得られるのでは。とくに終盤あたり、一人ひとりの語りに無数の声が被せられる音響演出が、そこで語られていない人々にまで物語を敷衍させているようで、とりわけ秀逸。
韓国を代表する名優たちによる共演と、豪勢な予算規模でのスペクタクルは及第点以上のカタルシスを与えてくれる。しかし冒頭の「安全すぎる」仕事からの導入と転調も含め、ハリウッド映画からの影響も色濃い正攻法な作劇により、既視感に苛まれ続ける。特に任務を命懸けで遂行する男主人公のエピソードと並行する形で出産間近の妻を配置する辺り、手垢が付きすぎでは。その意味で意欲を感じさせた直近の「新感染半島 ファイナル・ステージ」(20)等と比べると、どうしても見劣る。