パスワードを忘れた方はこちら
※各情報を公開しているユーザーの方のみ検索可能です。
メールアドレスをご入力ください。 入力されたメールアドレス宛にパスワードの再設定のお知らせメールが送信されます。
パスワードを再設定いただくためのお知らせメールをお送りしております。
メールをご覧いただきましてパスワードの再設定を行ってください。 本設定は72時間以内にお願い致します。
戻る
公開年:
現在の文字数:0文字
氏名(任意)
フィクションにおける犯罪者は反省も更生もしないから粋なのであって、本作の主人公のようにたかが「本物の愛」を知ったくらいで改心されても興醒めするばかりだ。「さらば愛しきアウトロー」のロバート・レッドフォードを見習ってほしい。まったく尻尾をつかまれてもいないのにわざわざ自首をするこの愚かな主人公のせいで、死ななくてもいい善人たちが次々に死傷していく。アクション路線に全振りして久しいリーアム・ニーソンだが、近作の水準低下は気のせいじゃない。
フランスとドイツの共同資本によるカルチャー専門テレビ局、アルテが制作したドキュメンタリーということで、これまで散々語られてきた「ココ・シャネルの物語」が避けてきた不都合な真実(特にシャネルとナチスの関係)に踏み込んでいくところが面白い。原題(直訳すると「ココ・シャネルの戦争」)の通り、この女傑が第一次世界大戦と第二次世界大戦をどう切り抜けてきたかに焦点を当てた作品なので、モード寄りの関心で臨むと肩透かしを食らうだろう。
人生はビデオゲームのように一つのミッションをクリアすれば次のミッションがやってくるというものではなく、同時多発的に次々と問題が起こって、それぞれの問題が複雑に絡み合い、その一つに対処すればさらにそこから派生して問題が起こるものだ。一人の青年の冤罪の物語のように始まり、やがてそれが贖罪の物語であると明らかになっていく本作には、そういう意味において極めてリアルな人生が描かれている。台湾北部の港町(基隆市)の風景の捉え方も見事。
終戦直後のドイツでの、ユダヤ人組織ナカム(ヘブライ語で「復讐」の意)による市民大量虐殺計画という際どいテーマを扱った作品。ナカムに関しては近年になって公にされた情報も多く、監督がイスラエル人のパズ兄弟ということも含め、作中の出来事がどれだけ裏付けのある事実に即しているのかと邪推せずにはいられない。特に冒頭と最後のモノローグにおける扇情は、本篇からも浮いていて、何十年もイスラエルがパレスチナ人に対して行ってきたことを考えると、とても居心地が悪い。
愛する女性との将来のために、過去の罪を償う決心をした主人公トム・カーターを、リーアム・ニーソンが好演。強すぎて痛快なアクションシーンも健在だ。リーアム扮する凄腕爆破強盗犯を改心させた、運命の人・アニーとのピュアな熟年愛(現在ニーソン69歳!)を、衣裳がさりげなく、チャーミングに見せている。トムのブルーのシャツ&アニーの黄色のパーカのさわやかな組み合わせに照れっ! マイヤーズ(ジェフリー・ドノヴァン)と愛犬タジーのサイド・エピソードもラブリー。
数多の評伝などでも語られてきた、ココ・シャネルの伝説が、駆け足で紹介されていく中に、正直目新しさはない。「No.5」誕生100年にあたって、元祖シャネルのファッション美学を、若い人たちにイージーに周知させるべく、作られたのだろうか。ナチスへのスパイ協力から「No.5」製造販売権をめぐる香水戦争まで取り上げた心意気は買うが、ならばもっと踏み込むべき。次々と新しいスタイルを打ち出していった彼女の闘いの原動力=嫌悪の精神に言及されないのも残念だ。
観終わって、さらに観返したくなる、奥行きのある構成だ。チェン・ヨウジエ監督の練り上げた脚本力が冴えわたっている。ラストシーンの、ヨウユー少年(バイ・ルンイン)の澄んだ歌声を聴き、主人公ジエンイー(モー・ズーイー)との別れの場面での、印象的なカメラワークを想起した(それは二人が山へ向かう、電車の中から始まっていたのかもしれない)。二人のデリケートな関係性を、独特のカメラワークが柔らかく捉えている。ヨウユーの祖母を演じたチェン・シューファンが圧巻!
敗戦後のドイツで水道施設が復興し、うまそうに水を飲むドイツ人の傍らには、ナチスに殺された家族を思い、目に涙を浮かべて「目には目を」と復讐を誓うユダヤ人たちが居た。生き延びた彼らの抱えた、深い哀しみは、彼らを新たな人生に向かわせず、過激な復讐計画へと駆り立てる。絶望の中「歴史を変えよう」という大義に、希望を見いだす彼らの、実話に基づいた心情を、様々な水の描写や死神のエピソードなどで、切実な物語へと昇華されている。複雑な構成にも、監督の思いを感じた。
映像制作の仕事で疲れているけど何か映画は観たい。だが、頭は使いたくない。そんな時、アクションを選ぶが、無駄な時間だったと後悔もしたくない。ということで基本リーアム・ニーソン映画を観る。まず間違いない。「沈黙の〜」系のような展開の映画をリーアムが主演するだけで、作品全体に品格が生まれ、意味を持ち、様々な角度で語れる一級品になることに毎回感動する。本作もツッコミどころ満載だが、彼の魅力、思慮深い表情で強引に納得させるザ・リーアム映画だった。
55分に凝縮されたココ・シャネルことガブリエル・シャネルの生涯。ということでだいぶ駆け足で描かれる彼女が生きた87年間のダイジェスト。ナレーションベースの作品なのだが、原稿はほとんどWikipediaの説明文のようで、その内容にココや関係者の当時のインタビュー、世界大戦などその時代時代の資料映像を合わせていく無駄のない、流れるような構成。時代に翻弄された彼女の壮絶な生き様を「情報」として得るので、感慨はなく物足りないが、入門篇としては十分な完成度。
謎の間借り人ジエンイーが、家主の老婆殺しの容疑で逮捕される。さらにその数年前、老婆の息子の死にも彼が関わっていることがわかってくる。現在、過去、さらにその過去、2つの死をめぐるミステリー。3つの時期を重ねて描く構成は「暗殺の森」を彷彿とさせ、愛憎交錯するドラマが展開する。ジエンイーと〝養子〟のヨウユー、死んだ親子、それぞれの複雑な状況、関係性は、その構造で描くことで、シンプルにあぶり出される。それは多様性を生きる「現代」のリアリティ。
冒頭のモノローグ、「家族が殺されたとしたら。想像してみてくれ……」がゆっくり突き刺さる。我々はその言葉に導かれ、主人公マックスに憑依し物語を体験せざるを得ない。ホロコーストを生き抜き、戦後を迎えたユダヤ人たちの怒りと悲しみは消えることなく、より深くなっていく。その苦しみから逃れるための復讐への渇望。そこにもまた新たな確執が生まれる。最終的に最大の復讐を行なったマックス。その選択の正否に対して〝死ぬまで〟葛藤するクライマックスが秀逸。