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大阪・新世界を舞台に、アウトローが織りなす、昭和風人情物語。新世界から外国人旅行者が消え去ったタイミングでの作品の誕生に、作り手の、タイトル通りのたくましさが伝わってくる。ユーモアとシリアスの配分も良く、(この界隈での)豪華&特濃キャストも飽きさせない。もったいないのは、クライマックスのアクションシーン。スピード感がなく、迫力不足。また、このジャンルは個人的に100分に収めてほしい。間延びの原因となっている余計なシーンが、気になってしまった。
シンガー・ソングライターを目指して18歳で上京した主人公が、28歳で地下アイドルをやっている心情と事情が理解できない。上京して5年後(23歳)の設定なら「若気の至り」で成立するが、この主演俳優では無理がある。彼女の才能や魅力を活かしたいなら違う脚本を、この脚本で撮りたいなら違う俳優で撮るべきだった。思い返せば、演者の年齢とキャラクター、そして脚本との齟齬は、初監督作から見受けられた。監督の武器であるキャスティング力が、作品の足を引っ張っている。
一人でも多くの人に届けられるべきメッセージやテーマを込めた物語を、人気と実力と影響力のある俳優を起用して制作した、真っ向勝負の映画。愛犬との死別や、「犬は健気」といった人間本位のキャラ設定など、観客を泣かせるための下品な装置は一つもない。理想主義で暴走気味の主人公を、見守り癒やす愛犬“ハナコ”役を、「さくら」のちえが相変わらずの涼しい顔で、しれっと名演。難癖をつけるとしたら、動物に目を奪われてしまい、人間の芝居に目が行かないことくらいかも。
「伝説の教師もの」だが、主人公をスーパーヒーローとしてではなく、教師という仕事に真摯に向き合う普通の人間として(なのにとてつもなく魅力的に)描いている。その結果、彼が関わるキャラクター(生徒、保護者、同僚ら)と、それぞれの人生が粒立つ群像劇として、大成功している。西成、大正、鶴橋といった土地とその風景は、本作における裏の主役。土地や出自、社会的属性に縛られた人々のリアルな日常の描写と、希望を込めたラストに、フィクションの力を感じた。
〈ねばぎば〉というのは、〈ネバーギブアップ〉ということなのか。なら、題名に偽りありだ。串カツ屋で働く勝吉も、ムショ帰りのコオロギも、「新世界」というユートピアでぬくぬくと楽しく生きている。喧嘩が無類に強いという二人だとしても、敵のカルト集団もそれに金で雇われるヤクザもなんとひ弱なこと。彼らは出てきた時からすぐに潰せる相手だとわかるだらしなさ。だから二人は無敵であり、ネバーギブアップなどと言う必要など全くない。世の中も映画もちょろいもん?
まっすぐで太い。飾り気のない直球勝負。都会で傷ついた女性が、生まれ育った田舎の町に戻り、心を洗われ再出発を誓う。お馴染みの構図、見慣れた展開。「パターンだ」「ありきたりだ」と人は言うかもしれないが、大いにけっこう。真面目で純粋。それがこの映画に一貫して流れている大切な心情である。姑息なパフォーマンスをして、何か作った気になっているような映画が多い中、この直球は頼もしく、嬉しい。脚本・監督の品川さんがいかに映画を愛しているかがわかった気がした。
犬や猫の映画がやたらに作られていた10年ほど前、この「犬部!」の映画化の話が持ち上がっていたが、実現とはならず、今陽の目を見るに至った。僕の子供の頃は、町に野良犬がうろついていて、時々交尾などして悪ガキたちに石をぶつけられたりしていた。それが今やペットロスなどという言葉が出てくるほど大切な存在になった。が、一方で捨てられる犬は殺処分されてしまう。気の毒な犬がこれでもかと出てくる。犬好きにはたまらないだろう。が、そうでもない人はどう観たらいいのか。
酒に溺れ、ギャンブルで身を滅ぼし、子どもを無視するどころか子どもからさえ金を奪う。問題の親たちは汲めども尽きず、日本中に溢れている。大人はなんで大人になれないんだろう。大人を大人になれなくする何かが日本にはあるのだろうか。子供たちはつらい。希望などまるでない。目の前の現状をなんとか乗り切るのが精いっぱい。教師だけがかれらの救いだ。それにしてもこんな教師たちが世の中にいるんだろうか。いてほしい。子どもたちを救ってほしい。そう思うと、涙がにじむ。
重厚と軽薄、二人の喧嘩師が悪徳新興宗教家と戦う。主人公二人の造形は「悪名」を思わせるが、勝新と田宮の軽妙さには遠く及ばず、それは仕方ないながら、赤井という優れた身体能力の持ち主を用いながら喧嘩場面でそれを生かせていないのは大きな瑕疵だ。拳で人が救えるのかという恩師の娘の言葉が主人公への決定的な縛りになるはずも、ねばぎばでっせの一言で一瞬にして破られる。何が映画の原理となるのか、それをいかに展開するのかの思想が欠如して表層的に話を進めているのみ。
タイトル前の回想場面の横移動、どんでん、ドローン撮影に意味はあるのだろうか。失意のヒロインが帰郷し、同級生との飲み会で飲みすぎ、地元のおっさんに絡まれて吐くと、いかにも弱キャラの同級生二人、絡んでいたおっさんまで釣られて吐く。この貰いゲロの連鎖も、俯瞰の長回しという一歩引いた画角ではなく、いきなり吐き始める人間をカット割りで次々と捉えることで可笑しさが演出できたはずだ。物語も人物設定も紋切り型で閉口な上、演出がこれでいいのか見ている間疑問が絶えず。
救える命はすべて救うことを目標とする獣医師と、殺処分ゼロを目指して保健所に入った二人の「犬部」創設者。前者の現在を中心に話は進み、時折差し挟まれるフラッシュバックが、彼が現在かくあるのは何故かを効果的に描き出す一方、後者の音信不通が不穏な通奏低音としてサスペンスを醸し出す。題名の印象を裏切るシリアスな内容だが、多頭飼育崩壊を引き起こしたペットショップ店主も含め、声高に人を責めず、静かに人を反省に導く姿勢が、映画を後味の良いものにしている。
部落や在日を多く抱える西成という地区の特殊性はあるが、不良の生徒たちが実は家庭環境や社会の歪みを被っていながらも一生懸命生きようとしていること、またいい加減のように見える教師たちも、彼らと真っ向から向き合っていることが判明し、共に学び、変わってゆくというよくある物語。型の力で見てはいられるが、典型を出ることがなく、すべてが予想の範疇である。実話だそうだから時代背景が古いのはしょうがないが、だからと言って構造や語り口が古臭くていいわけでもない。